2010年12月31日金曜日

宇都宮市大谷石(11)

前の画像を含む少し範囲を広げたもの。大きなミソの周りをリング状に取り巻いたミソや、3個並んだ中くらいのミソの周りを楕円形に包み込むミソ。その他にも観察していると星座を紡ぐ様に不思議な形状が浮かび上がって来ます。如何ですか?
今年最後の画像になりました。この一年 このつたない画像のブログをご覧頂き有難う御座います。
明日からの新しい年にも健康である限り1日1枚の地質系画像をUPしてゆきたいと考えています。

2010年12月30日木曜日

宇都宮市大谷石(10)

前の画像で指摘したのは拡大するとこの様な画像になります。中央の平べったい丸型の凹みを取り巻いて、やや小型の穴が取り巻いて居る様に見えませんか?これも「タフォニー」や「蜂の巣状風化」の一形態なのでしょうか?

2010年12月29日水曜日

宇都宮市大谷石(9)

大谷観音の境内です。有料ですが是非内部を見学される事をお勧めします。レンズに水滴が付着してしまいましたが、その水滴の直ぐ左の附近に面白い構造を見る事が出来ます。ミソが抜けた後なのか?気泡なのか?よく判りませんが、火山弾などが降った後かもしれない等と勝手な事ばかり想像しています。お堂の屋根上の部分の侵食で現れた崖の面が他の場所で見られるほぼ垂直な面と異なるのでこの様な構造が現れたのでしょうか?あるいはこれも蜂の巣状風化の一つの形態なのでしょうか?水滴の部分の近くの大谷石の表面を次の画像で取上げます。

2010年12月28日火曜日

宇都宮市大谷石(8)

この部分のミソはかなり菱形とか大分薄い形状が多いですね。かなり圧密されて仕舞ったのでしょうか?もう少し圧密されていればこの部分が黒曜石に変わっていたかも知れません。大谷観音の境内にある石塔には小さくて判り難いですが、やや赤味を帯びた石塔に、圧密されて小さな黒曜石に変化したと思われるものもあります。但し、他の大谷石とは石材の色が異なるので或いは他の産地の溶結凝灰岩かもしれません。

2010年12月27日月曜日

宇都宮市大谷石(7)

望遠で拡大したので前の画像とは収まっている範囲が異なりますが、この部分は途中にかなり厚いミソの無い部分が存在しています。
ミソ=軽石の大きな部分と考えると、もっと大型のものも在って不思議が無いと思うのですが、大きなものは浮いて流れてしまったので浮力を失った小型の軽石だけが堆積したのか、火砕流の中で揉まれて小片に砕かれてしまうのでしょうか?

2010年12月26日日曜日

宇都宮市大谷石(6)

駐車場から大谷公園に入る手前の川沿いの露頭。この附近の大谷石はかなり白い雰囲気が強いですが、所々に抉り取られた部分があります。元々、亀裂などが入っていて弱い部分だったのか?上からの水量が多く削られたのか?判りません。ミソは脱落していてその後の凹みが積み重なった層準を現しています。

2010年12月25日土曜日

宇都宮市大谷石(5)

前の画像の駐車場から見える風景の一部を望遠レンズで撮影してみました。
採石された空洞部の上に斜めに流れる柱状節理の様な姿が見えます。
南九州のシラス台地では厚く堆積したシラスのかなり下の方が溶結凝灰岩となっています。これだけ厚い層の上部に柱状節理の様な姿が見えるのが不思議でなりません。この上空にかっては厚い火砕流堆積物が積もっていたのが侵食により失われ硬い部分だけが残ったのでしょうか?
条件は異なるので比較する事自体がおかしな事なのですが、横山勝三氏の「シラス学」43頁の図表に拠れば、溶結凝灰岩の場合は溶結部の厚みの半分に相当する厚さが溶結により減少しています。更にその上に溶結部の倍以上の「非溶結部」が存在していたようですから、もともとのこの火砕流堆積物の厚さの凄さに圧倒されてしまいます。

2010年12月24日金曜日

宇都宮市大谷石(4)

大谷石資料館と言うかっての地下での大谷石の地下採掘場が公開されています。その資料館の駐車場です。崖の途中に掘り込んでいるのはその部分に良質な大谷石があり採掘された為のようです。車のサイズから採掘されてきた大谷石の厚さがご理解頂けると思います。
大谷石の露頭観察にはこの資料館と大きな公営駐車場のある大谷石公園周辺が一番便利でしょう。

2010年12月23日木曜日

宇都宮市大谷石 (3) カメラで軽石を接写

「ミソ」は特に多孔質と言うか間隙率が大きな軽石部分なのですが、これは見事に細長い気孔が見える軽石部分が在りました。
この後、採石場で見た「ミソ」の部分は触るととても柔らかく真っ黒でした。
大谷石の中に含まれる「気孔」はこの様に、材木が腐食したような細長い気孔が多い様に思います。加藤祐三氏の「軽石 海底火山からのメッセージ」をご存知でしょうか?この書籍の第10章に「漂流出来なかった変り種 材木状軽石」があります。209頁のモノクロの画像しか見た事は有りませんが、きっとこの様な細い気孔が並んでいるのだろうと想像しています。
ミソの部分はこの様な多孔質である為に保水性が高く、他の部分よりも含水率が高いと言う研究論文が有ります。この為に採掘後は乾燥でミソの内部が収縮し脱落しやすくなる様ですね。

2010年12月22日水曜日

宇都宮市大谷石 (2)

一般的なイメージの中の「大谷石」は新しい時にはこの様な雰囲気ですね。これはある建物の外壁に使われていたものです。スケールは有りませんが、縦が丁度ブロックの1枚分ですね。これは「ミソ」が殆ど無いかなり上質の部分が使われています。「ミソ」の部分は軽石質が特に強い場所で大体黒色を呈しています。表面が茶色に汚れているのはその「ミソ」の部分です。
下の画像は同じ画面の一部分をほぼ倍に拡大したものです。細い繊維状の軽石が沢山在ります。これでもまだ余りハッキリしないかも知れませんので、手元に在る大谷石のコースターの画像をスケールを入れて後日もう少し大きな倍率で見て頂く事にしたいと考えています。

2010年12月21日火曜日

宇都宮市大谷石 (1)

久し振りに大谷石の故郷を訪れた日は残念な事に雨でした。処が雨が幸いして思いがけない発見をする事になりました。普段見る大谷石はこの画面の左下側の色合いが多いと思うのですが、雨に濡れた敷石は見事に青い色を呈しているものが在る事が判りました。
採掘場の画像を見て頂くと判りますが、採掘された当初はかなり青い色をしています。学術的にはこの様な用語はない様ですが「酸欠粘土」とか「青粘土」と呼ばれる群青色(?)の粘土層は似たような色合いです。採石場から木片や貝殻が出ることも有るようなので、景観は大きく異なりますが、房州石」と同じく「海成」の火砕流堆積物であるようです。
採掘後、乾燥すると直ぐにこの青色は失せていきます。青い色を長時間保つ為には「CCレモン」なる清涼飲料を岩の表面に塗ると良いのだそうです。本当です!実際採石場にこの清涼飲料が山と積まれていて実際にその作業を見せて頂きました。
今回の「大谷石」については、最初に大谷石の風景を幾つか見て頂き、次に現在も採石を行っている「露天掘り」の作業所の画像を、そして最後に「大谷石資料館」の内部を見て頂く予定です。画像の数が多く40枚程度になるようです。
尚、大谷石の画像のご案内が終れば、同じ海成の火砕流堆積物である。「房州石」の話題に戻る予定です。古墳に使われている「房州石」(富津磯石)にも触れます。

2010年12月20日月曜日

下田市三穂ヶ崎 板見漁港(15)

海水浴客が沢山遊んでいる白浜海岸が直ぐ傍に見えます。手前に三穂ヶ崎の「蜂の巣状風化」面が少し見えていますが、その狭い範囲だけでも随分風化の形状が異なる事がお判り頂けると思います。少し凹んだ部分はかなり硬い表情をしています。
画面左側の半島の様に丘が突き出した部分の海面近くに岩場が見えます。確か其処には貝化石が出ている白浜層群だったと記憶しています。40年ぐらい以前の冬のある日にこの附近を歩いてその岩場に座ってのんびり空を見上げていた記憶が在ります。その時はこの附近の地質景観を再度観察に来る事が出来るとは考えていませんでした。明日からは栃木県の大谷石の景観をご案内する予定です。

2010年12月19日日曜日

下田市三穂ヶ崎 板見漁港(14)

この画像は比較的岬の入口附近で撮影した画像です。ナンジャコリャ!と驚いたので今でもはっきりとその時の事は記憶に在ります。風食にしては大きな3個の岩塊の筋目の方向が異なりますので説明出来ません。蜂の巣状風化の類型なのでしょうがこの分野は難解です。

2010年12月18日土曜日

下田市三穂ヶ崎 板見漁港(13)

これはまた全く別の「様式」ですね。風の向きでこの様に筋が着くのかと思いましたが、次の画像の露頭ではまたサッパリ判らなくなりました。しかも画面手前にはなんだか小型の異質なブロックが含まれています。これは誰かがこの上の部分を持ち去ったのでしょうか?
この地域の画像も残り少なくなりました。この後は大谷石や最初に取上げた房州石等を取上げる予定です。
二つの地学系素人画像的ブログに掲載した画像が788枚、283MBに達しました。このペースなら後2年は広告も無しで小生の経済的負担の無い無料のママ充分やっていけそうです。画像は古いものを覗いて1280x800サイズを出来るだけ守る様に選択編集しています。DLは御自由にどうぞ!

2010年12月17日金曜日

下田市三穂ヶ崎 板見漁港(12)

少し広い範囲を見るとこの様に配列しています。海水面との位置関係で、彫の深さが変わっている事も有りますが、この様に同じ平面でもかなり形状の変化はあります。節理の様な割れ目の筋は別の塊の中にまで食い込んでいるものが在りますので、枕状溶岩や偽枕状溶岩とも考えられないと思います。しかもほんの少し離れただけで地層の流れる向きが変わる事だって在るとは思うけれど、この附近の堆積層はほぼ「横位置」です。垂直方向には流れていない様です。

2010年12月16日木曜日

下田市三穂ヶ崎 板見漁港(11)

前の画像の凸部の出っ張りの高さも大きかったけれど此方の凹みも彫が深いですね。これだけ彫りの深い侵食が出来ると言う事は、この形状に類似した密度差か硬度差か?侵食に強い構造がこの岩に不均質に存在するからなのでしょう。
残念ながら小生の知識レベルでは「不思議!」以外には・・・

2010年12月15日水曜日

下田市三穂ヶ崎 板見漁港(10)

まだまだバリエーションが在ります。柱状節理の場合にたまに中心部に円形の色相が異なる部分が存在する事があるので、といっても、左側は一応円形を作りながら右側では線状ですから、一体どのような要因があってこんなものが出来るのやら!

2010年12月14日火曜日

下田市三穂ヶ崎 板見漁港(9)

前の画像と異なり、この画像では比較的外側に気泡状の穴ぼこが多く中心部は比較的少ないですね。解説も説明も付けようが無いのが残念。このような風化に至るには岩質や雰囲気中の塩分や様々な要素があるのでしょうが不思議な造形です。

2010年12月13日月曜日

下田市三穂ヶ崎 板見漁港(8)

溶岩なのか?凝灰質砂岩なのか?横の崖を見ると凝灰質砂岩の様な雰囲気ですが、中々面白い顔付きになりますね。割れ目に沿った縁の部分が残るのは割れ目の隙間を埋めた鉱物がその岩の極浅い部分まで固めてしまったせいでしょうか?真ん中の気泡の様な穴だらけの部分も内部が一体どうなっているのかハンマーが有れば叩いて見たい気がしましたが残念ながら手が在りません。薄片を作って顕微鏡で観察すれば子の様な事になった要因が判るかもしれませんね。誰か研究しておられる方はいらっしゃるのでしょうか?

2010年12月12日日曜日

下田市三穂ヶ崎 板見漁港(7)

念の為に、前の画像の位置から反対側の崖を見た所です。一枚一枚が余りにも薄いので溶岩と言うよりは火砕流堆積物と言った雰囲気です。場所によってその抉れ方がかなり違います。
海からの飛沫が岩に沁みこんだ後で乾燥する時に小さな割れ目を作り風化が進んでいくのでしょうか?

2010年12月11日土曜日

下田市三穂ヶ崎 板見漁港(6)

さて、この画像は一体どのようにして出来るのでしょうか?溶岩の気泡が残っているのか? まさか「穿孔貝」の痕跡なのか?これは まあ 序の口です。小生の影が画面に写りこんでいます。スケール代わりです。

2010年12月10日金曜日

下田市三穂ヶ崎 板見漁港(5)

この先は残念ながら先に進む事は出来ませんでした。YAHOOの地図画像ではこの附近に獣道ほどの痕跡がありますので、国道まで戻れるのかもしれません。でも一人では危険そうなので辞めておきました。赤錆の部分は溶岩流の様です。足元の岩岩に見られる不思議な風化による模様はこれから沢山ご覧に入れます。海水の飛沫が掛かる部分が特に興味深い形状を示します。

2010年12月9日木曜日

下田市三穂ヶ崎 板見漁港(4)

ご案内した3枚の画像がなんとか1枚にぎりぎり引っ掛かっている画像を見付け出しました。海蝕洞は大分高い位置に有りますからこの附近がかなり隆起した場所だと判ります。撮影した場所も確か水際ではなかった様に記憶しています。

2010年12月8日水曜日

下田市三穂ヶ崎 板見漁港(3)

全景をパノラマ画像にしてお見せしたい様な気がしますが、残念ながらこの露頭の景色に圧倒されてそれどころでは有りませんでした。この部分は左側の高まりから右側に急激に薄くなる堆積層の様な雰囲気があります。下の方は少々様相が異なりますね。左上の部分に前の画像の繋がりでしょう、でもなんとなく傾斜が其の儘繋がりそうな雰囲気で続いています。この部分は少なくとも堆積層と考えて良さそうです。

2010年12月7日火曜日

下田市三穂ヶ崎 板見漁港(2)

火砕流堆積物、ハイアロクラスタイトと呼ばれるものなのでしょうか?不思議な様相を示しています。かなり高い位置まで常に風雨に晒されている為なのか?侵食模様はフレッシュです。一番上の少々黒味がかった荒い部分は溶岩なのでしょうか?

2010年12月6日月曜日

下田市三穂ヶ崎 板見漁港(1)

板見漁港の海に向って右側に細い道が防波堤の先まで続いています。「枕状溶岩」の観察に訪問した時に、少し時間に余裕が有ったのでその附近を散策してみました。これからご紹介する画像はその時に撮影したものです。海が荒れている時はこの道は少し危険かもしれません。海岸は、風雨と波による侵食で古い火砕流堆積物や溶岩らしきものが荒々しい様相で断崖を刻んでいます。
何故、この様な不思議な紋様が岩石に刻み込まれるのか?小生には理解出来ない分野ですが、興味深いのでご案内する次第です。これらの紋様を読み解く事は、小生のテーマの「枕状溶岩」の様々な形態を理解する上で参考に成りそうです。最初の1枚はその断崖と海蝕洞の様子です。

2010年12月5日日曜日

兵庫県豊岡市玄武洞(15)

玄武洞の画像もこの辺で一段落としましょう。これは敷石に使われている柱状節理のブロックです。加工していない自然状態での冷却節理と見えて、綺麗に放射状になっています。右側に置いた手帳は通常のフィルドノートにビニール表紙が着いた全天候型のものです。サイズはほぼ同じ。
柱状節理の画像は1月26日からの高原山・箒川や10月26日からの日御碕、それに小生のメインのブログである「枕状溶岩の表情」の中の2月20日以降に、福井県の松島海岸(東尋坊の東側)にも不思議な形の柱状節理の画像を掲載しています。
明日からは、「枕状溶岩の表情」での画像に合わせて、下田市板見漁港・三穂ヶ崎の不思議な海蝕・風蝕に晒された岩石の表情を取上げます。

2010年12月4日土曜日

兵庫県豊岡市玄武洞(14)

この部分は羊歯が沢山生えています。柱状節理の下側が失われているので、板状節理(と言うよりブロック状?)の割れ目に隙間が出来て水分や風化土などが溜り、シダ類の生育に適した環境が整ってしまったのでしょう。節理の結合が緩んだなりに落下しないで居ると言う事は、柱状節理の側面にかなりの段差が出来ている証拠なのでしょう。

2010年12月3日金曜日

兵庫県豊岡市玄武洞(13)

この画像では二つの厚い板状節理の隅が三角形に上側の岩を伸び其処が縁を取るように脱落していく様子が判ります。又その角の割れ目を作った一つの単位と言うか節理が、更に細かな(薄い)6-8枚程度の板状節理状の横縞で構成されている事が判ります。随分昔に、この様な柱状節理の中の板状節理に付いての文献を読んだ記憶が在りますが、残念ながら手元の文献集には収録していなかったらしく見付かりません。160万年前の噴出だと言うこの溶岩も興味が尽きません。

2010年12月2日木曜日

兵庫県豊岡市玄武洞(12)

前の画像にもその片鱗は在りましたけれど、ほぼ真ん中の辺りの柱状節理を観て下さい。板状になった節理の右端が上の方に伸び上がっています。角か牙の様な雰囲気です。単純に割れ目がそう見えるだけなのか?板状節理が構成される時に、何らかの熱的影響や力学的影響で本当にこの様な形状になったのか?判断は着きませんが、興味深い形状だと思います。中にはその牙の根本に亀裂が入っている様に見えるものも有ります。

2010年12月1日水曜日

兵庫県豊岡市玄武洞(11)

なんだか?柱状節理部分に変なものが見えるな!と思って撮影し帰宅して画面を広げてみたら、マイクロホンの様なものがセットされていました。節理の寒暖差による崩壊を音か超音波によって検知しようとするものなのか?(想像ですよ)急崖の崩壊検知にマイクロ波を使う例は聞いていましたが、これは一体ナニなのでしょう。
ところで柱状節理から板状節理が発達しているこの縦型部分ですが、妙に柱の左側、板(と言ってもかなり厚いが)の特に右下側が大きく丸みを帯びているとは思いませんか?転がって移動する礫でもないのに何故「角」が取れてしまうのでしょうか?自然界では時間の経過で角が取れるのは当然なのか?場所によってはその角が取れた部分が残っています。次の画像ではもう少しその辺を詳しく観てみましょう。

れまでの主要なテーマの開始日を下記に紹介します。
「まくら状溶岩の表情」もご覧下さい。
2009年11月15日:栃木県足利市房州石の塀
2009年11月25日:千葉県清和県民の森
2009年11月29日:東京都某所沖積シルト粘土層
2009年12月 5日:栃木県塩原温泉の湖成層
2009年12月14日:福島県会津下郷塔のへつりカルデラ周辺
2010年 1月 8日:栃木県高原山の黒曜石
2010年 1月26日:栃木県高原山・箒川ひん岩岩脈
2010年 2月 9日:群馬県下仁田町中小坂鉄山
2010年 2月22日:群馬県本宿陥没地周辺
2010年 4月 7日:神奈川県城ヶ島
2010年 5月20日:横須賀市周辺の蛇紋岩と土木工事
2010年 6月21日:荒川流域の蛇紋岩
2010年 7月13日:神流川下久保ダム下流
2010年 8月 6日:伊豆河津町鉢の山横のスコリア丘
2010年 8月15日:那須火山
2010年 9月13日:山口県美祢市附近
2010年10月 2日:松江市加賀浜
2010年10月23日:三瓶山
2010年10月26日:日御碕
2010年11月 4日:兵庫県豊岡市竹野海岸
2010年11月21日:兵庫県豊岡市玄武洞
2010年12月 6日:下田市板見漁港三穂ヶ崎

2010年11月30日火曜日

兵庫県豊岡市玄武洞(10)

前の画像と同じ位置を望遠で拡大して捉えたものです。良くマアこれで剥離して崩壊してこないものだと少々不安がありますが、意外と自然はバランスが巧いのでしょうか?柱状節理の繊細な凹凸が巧く噛み合っていて脱落し難いのでしょうね。

2010年11月29日月曜日

兵庫県豊岡市玄武洞(9)

まるで岩脈の様に上下の溶岩を分割している。上部も節理の状況が左右で異なっている。その原因やこの意味するものは全く判らないが興味深い構造。

2010年11月28日日曜日

兵庫県豊岡市玄武洞(8)

これも斜めに流れている(流動と言う意味ではない)柱状節理の画像。やはり曲線は直線よりも美しい。この画像については特に語る事無。

2010年11月27日土曜日

兵庫県豊岡市玄武洞(7)

この画像でも、縦方向の節理には柱状に直角の方向の節理が目立つのに、斜め方向の柱状節理にはそれに直交する節理は目立っていません。また。縦方向の節理に直交する節理には縁が欠けているものが多いのも特徴です。これについては又別に詳細な画像を用意しています。

2010年11月26日金曜日

兵庫県豊岡市玄武洞(6)

柱状節理の垂直部分は後回しにしてかなり水平に近い傾斜部分。垂直部分には柱状節理の中に板状節理が見えるのだが、この部分には余り見えないのは単純に水平方向には緩む余地が無いからなのか?でも、垂直に立っている部分でも途中が抜けていなければ、上載荷重で圧縮を受けているから緩む余地は無い筈。水平に近い部分も途中が抜けている箇所が有るのだから、柱状節理に直角な節理も構成されている筈なのだが何故目立たないのだろうか?ボランティアのガイドを務められて居る方々に、こんな質問をしたら嫌がられるだろうなと思いながら撮影していた。

2010年11月25日木曜日

兵庫県豊岡市玄武洞(5)

複雑な冷却節理の、私が勝手に「火炎状節理」と呼んでいる部分(決してまともな学術用語ではないので誤解しないで下さい。他では通用しません)
を正面から撮影したのでは凹凸が判り難いかと思って、斜めから撮影したのだが、余りにも崖の面に近付き過ぎて失敗してしまった。でもこの画像で柱状節理を形成していない部分の詳細を多少でもご理解頂ければ幸い。
冷却節理が構成している緩やかな曲線の組み合わせが興味深い。

2010年11月24日水曜日

兵庫県豊岡市玄武洞(4)

前の画像の一部に望遠で迫ってみた。柱状節理とその上部の勝手な呼称「火炎状節理」部分との境目附近。右側の柱状節理の一番上の部分が細くなりながら左側に倒れているように見える。境目附近はかなり乱雑になっているものの、中央上部附近の曲線は緩やかなカーブが美しい。又、画面左側では柱状節理の上部が板状節理になっている。どのような擾乱が起こったのだろうか? 明日の画像はこの自称「火炎状節理」の部分を斜め横から撮影したもの。

2010年11月23日火曜日

兵庫県豊岡市玄武洞(3)

直立した柱状節理の部分と炎の様に乱れた部分の境界附近を見たものです。恐らく別の輪廻の溶岩が流れ込んで上部の構造が作られたのでしょうが、上部が何故冷却方向によって支配される筈の「冷却節理」が、深成岩の様に全く構成(目に見える形で)されないならそれなりに「出来ない事もあるんだ!的に」理解出来るのだが、この「火炎状節理」(こんな言葉は無いのだろうが)は興味深い。冷却方向が時々刻々と乱れてしまう事は考え難いが、地震が頻発していたとか?何か外的要因が大きいのだろうか?上部の破片を拾ってみたかった!

2010年11月22日月曜日

兵庫県豊岡市玄武洞(2)

これも同じくかなり広い部分を撮影したもの。玄武洞が柱状節理の景観で観光地となったのはひとえにこの柱状節理が構成する曲線美にある。整然と垂直に立ち昇る柱状節理ならば採石の対象にはなっても観光地にはならない。尤も、垂直に立ち昇る柱状節理であっても、六角形の断面の上を歩けきながら別に柱状節理の壁を見られるなら観光地となる可能性は在るだろう。この様な曲線が冷却面の変化によってもたらされるのか?何故冷却面が移動するのか?良く判らない事は興味をそそる。

2010年11月21日日曜日

兵庫県豊岡市玄武洞(1)

最初から玄武洞の細部を見るのもどうかと思うので取り敢えずは少し広い範囲を捉えたこんな画像からスタートします。垂直に延びる「柱」の部分と、画面左側の柱状節理が整っていない部分、それに右側の柱状節理が斜め横たわって居る部分がありますが、一体どのような噴火の輪廻でこのような形状が出来てしまったのか?玄武洞溶岩と赤石溶岩が噴出した160万年前の地質状況に興味を引かれます。時間が無く、ボランティアらしい方々が数人居られたのですがその説明をお聞きする機会が有りませんでした。
有名な場所なので、私の画像より遥かに、もっと美しい芸術性のある画像を見られた方も多いと思います。この「柱状節理」の分野では山本治之氏の「大地の鼓動 柱状節理の四季」が素晴らしいですね。柱状節理に興味がある方は是非一読をお勧めしたい書籍です。

2010年11月20日土曜日

兵庫県豊岡市竹野海岸(17)

この地域最後の画像は前の画像と同じ場所から見た対岸の礫岩層。恐らく凝灰角礫岩が波や風雨に洗われてこんな姿になったのだろう。なんとなく放射状に見えるのは目の錯覚か?
明日からは竹野から保津峡に向う途中で立ち寄った玄武洞の柱状節理のマニアックな(?)画像を数枚見て頂こうと考えて居る。最近、「本業」の枕状溶岩の画像ブログよりも此方のヒット数が増えていて(といっても大した数ではないのだが)「不本意」な状態。等と言うのが不遜な態度ですよね。枕状溶岩はやはり関心が持たれない分野なのか?画像がお粗末なのか・・・

2010年11月19日金曜日

兵庫県豊岡市竹野海岸(16)

サテ、竹野附近の画像も残り僅か。これは竹野海岸は猫崎半島付け根附近の東側、広い駐車場の先に見える砂岩泥岩互層。白い礫岩(凝灰岩?)の中には参加の為かやや赤味を帯びた部分もあり、火山灰層を思わせる部分もある。この画像ではデータを縮小しているので確めきれないかもしれないと思ったが、中央のやや下に細い線状の赤い線が見える。

2010年11月18日木曜日

兵庫県豊岡市竹野海岸(15)

内湾い面した柱状節理の崖とその下部に開いた洞門の部分を望遠で撮影したものです。この左側にも小さな開口部の様なものが有りましたがこの洞門の部分は海側も大きく抉れているのでかなり狭くなって居るのではないかと思います。地図では小さな入り江が切れ込むように入っていますが拡大できないのでその詳細は判りません。

2010年11月17日水曜日

兵庫県豊岡市竹野海岸(14)

「はさかり岩」と「猫崎半島」の間に国民休暇村の西側に突き出た半島が在りました。竹野海岸の3番目の画像の半島の西(左)側にあたりますが、これは「はさかり岩」側から観た眺めになります。1/25000地形図には半島の根本に「切濱」と有りますが、「淀の洞門」と言われる海蝕洞がある様です。旅の後で調べますとこの附近の海岸を巡る遊覧船が在る様なので惜しい事をしたもんだと、旅のスケジュールを決める時にもう少し幅広く調べなければ・・・と反省しています。洞門周囲の柱状節理の画像が有りますので明日にご紹介します。

2010年11月16日火曜日

兵庫県豊岡市竹野海岸(13)

やや手前の堆積層を撮影したもの。白色部が多いので何れ火山岩起源なのだろうか?と言いながらまだ詳しく知れべて居ない。手前に妙な形の溶岩みたいなメランジェみたいなものが在るが、撮影する時は残念ながら気付いていないらしく、この部分だけを写した画像が残っていない。デジカメを使うようになってからは兎に角気になるものは交通標識でも撮影するようにしているのだが、ファインダーの中で何か一つに注目するとその傍のものが見えなくなってしまっている。
最近も、ある先生から緑色岩だけでなく、他のどのような岩体とセットになって居るかをチェックしなければいけないと注意されてしまった。

2010年11月15日月曜日

兵庫県豊岡市竹野海岸(12)

猫崎半島の柱状節理群。手前は勿論砂岩と礫岩の互層。猫崎半島は最高峰が140mあるが全山がこの柱状節理の続きなのだろうか?手前の砂岩・礫岩互層は白い部分が多いのはやはり火砕流堆積物なのか?それともメランジェ系統なのか?手前の水面すれすれの出っ張りを見ると礫岩層の様に思える。火砕流堆積物の様な粗さが有るのがこれも興味深い。この日は、京都嵐山附近から上流の保津峡での枕状溶岩探索がメインだったので後ろ髪を引かれながらこの場所を離れる事になった。再訪あるべしである。

2010年11月14日日曜日

兵庫県豊岡市竹野海岸(11)

この地域の画像の3番目にご紹介した半島は竹野海岸休暇村の西側に在る標高104mのものですが、東側に最高地点の標高がやや高く141mの猫崎半島が有ります。観光案内には此方が掲載されていますが、この二つのこぶの部分は流紋岩、手前は砂岩と礫岩の互層です。中央部には空の明るさに災いされて少し薄ぼんやりとしていますが、整然と並ぶ柱状節理が見え、その手前と右側の海岸線附近には水平な堆積層が見えます。もう少し夫々の部分を望遠で拡大した画像もご覧頂きます。

2010年11月13日土曜日

兵庫県豊岡市竹野海岸(10)

はさかり岩の傍にある岩礁も望遠で観察するとこの様に大きな礫を含んだ火砕流堆積物である事が判る。岩礁の位置は竹野海岸(6)を参照下さい。