2012年7月7日土曜日

松戸宿の房州石

これまでに何度かこの路地は歩いていて居たのだが、塀の為に一番上の石材しか目に入らずに、更にその直ぐ傍には大谷石があるので、これまでは雰囲気が似ているけれど大谷石だろうと思い通り過ぎていた場所。偶々、坂川に鵜が居て、上から眺めると背中の羽の模様や目の碧が美しい等と思いながら振り返ると、偶然何故か2段目の石材の上の方が目に入ってしまった。
私のデジカメはチルトファインダーと言うのか?液晶をかなり自由な角度に動かせるので、足元の地面すれすれの低い位置や、自分の眼では直接確認出来ない高さから撮影が出来る。
個人宅の敷地の中だが、隣家との境界部分なので撮影させて頂いた。
下の画像が房州石とはっきり判別出来る石材部分。この付近はまとまった構造物にはなっていないが房州石が少しずつ分布している。不思議な場所である。 
松戸市立博物館で1999年に博物館調査報告4として「松戸市旧宿場町建築物調査報告書」を発行しておられる。この調査の対象は小生が生まれた1945年以前の建築物。博物館でこれを入手する事が出来たので、これらの建築物が調査時点で存在した場所を辿りながら改めて古い町割りを確認しながら、松戸宿の中の房州石の痕跡を再確認しようと歩き始めた次第。残念ながら、此処に記された建築物のかなりの部分が既に姿を消している。そして、最近の建築は古い遺構を全く消し去っているので、石材も残っていない。駐車場の片隅に岩舟石が、玄関前の一角に房州石がポツンと置かれているのを見るとチョット嬉しい!

2012年7月6日金曜日

大磯血洗い海岸で採集した橄欖石玄武岩

偏光顕微鏡を用いてコリメート撮影をすると、特にクロスニコルの場合にこの様に暗黒であるべきバックグランドが赤紫色に写ってしまうのが残念でならない。
これは2年前の春に大磯の血洗い海岸で採集したピクライト玄武岩の薄片をコリメート法で撮影したもの。元々の倍率はx10,x10だが画像をトリミングした時にくるっているのでさてどの程度の倍率かな?
かんらん石が美しく、更に全体に針状の斜長石が流理構造を示しているのが美しい。なんて自己満足!かんらん石の下にチョット大きな斜長石が在るけれど、富士山溶岩の場合とはかなり分いいが異なるので、何処の産出なのだろうか?そう言えば、溶岩に付き物の気泡が全くない。
大磯丘陵に枕状溶岩の露頭を探して歩き回った挙句に疲れ果てて、血洗い海岸で空を眺めて居たら、直ぐ傍に緑色岩や玄武岩が変成岩等と共に綺麗に磨き上げられて結晶や内部構造が見える状態で転がっていたので、幾つか拾い集めて博物館に持参。暫く忘れていたがやっと薄片が仕上がって観察できた次第。

2012年7月4日水曜日

松戸宿で見掛けた房州石の礎石 (3)

旧水戸街道に面して、古い寺院の石碑が在る。この礎石の部分が房州石で出来ている。
碑の前には衝突除けのブロックが有り、電柱もあるので少々悲しい状況ではあるが裏側から見るとこの通り、房州石の特徴ははっきりと表れている。

2012年7月3日火曜日

松戸宿で見掛けた房州石の礎石 (2)

前の画像の反対側です。これだけの数の房州石を一体何処に使っていたのか?興味が湧きます。下の画像はその内の一個を接写してみたものです。 

2012年7月2日月曜日

松戸宿で見掛けた房州石の礎石

石垣と言うほどの段数では無いのだが、松戸市内の旧本陣の近くの路地に房州石が使われている。恐らく何処かで使われていたものの余ったものか、廃材の有効利用と言ったものらしく、全部が房州石では無いのが興味深い。松戸宿の旧本陣は既に建物が無く、其処に本陣が存在したと言う記念碑が小さく残るだけになっている。

2012年7月1日日曜日

房州石 街道筋で

春日部市粕壁の大谷石と芦野石のコラボをご覧頂いたが、実はブログの目玉は隣の蔵の様な建物に向いていたのです。その建物の殆どは新しい建材で囲まれているので、内容は伺い知れないのだが、足元だけは見えている。探し求めた房州石が粕壁にも存在したのです。左手にスケール代わりに緑のフィールドノートを置いています。この高さが165mmです。
一個だけ大谷石が使われているので、全体が房州石では無く何処かで使われていたものが解体等で不要になり、この建物の建築の時に流用したのかもしれない等と想像している。
 大谷石と芦野石の石蔵と、この建物の位置関係は下図の通り。