2015年4月4日土曜日

黒崎の鼻 (5)

 黒崎の鼻の最も先端に突き出したこの様な高みが有るので登ってみた。岬に拡がる波蝕棚を見ていると、自然なのか、人工的に石切をしたのか?判断し難い地形が散在している。もう少しはっきりと残っていれば良いのだが、波の力は凄まじいのだろう。

それにしても、地元にも資料が残っていない。謄写版の地元の観察会の資料なども拝見したが石切については全く残っていない。やはり漁業主体の街なので、零細な石材産業は当時から余り重要視されては居なかったのでしょう。
三浦半島に週に一度程度の頻度でおよそ五カ月間通い、その内の数何時は各地の図書館等で文献調査をしたが、鎌倉は武家時代の歴史や遺跡には手厚いし、三浦では漁業に、葉山は別荘経営や観光、横須賀は軍関係の資料が充実しているけれど、石材産業に関しては実に無かった。残念です。

2015年4月3日金曜日

アイスランド“ Bárðarbunga - Holuhraun” 火山噴火が終わり

アイスランドの“ Bárðarbunga - Holuhraun” の噴火に対する終息宣言が出てから久しいが、アイスランド気象庁の特設サイトも閉鎖され通常モードに移行された、下図は2014年8月16日からアイスランド時間で2015年3月28日12時20分までに記録された地震分布図。最近の地震である事を示す赤色がダイク付近を中心に伸びてはいるが非常に少なくなった。過去48時間の“Vatnajolull”地区の地震もその下の図の様に頻度も低下した。小生の統計も本日から通常のアイスランド監視モードに移行した。


2015年4月1日水曜日

黒崎の鼻 (4)

 黒崎の鼻から西を観ているので遠くの背景は伊豆半島でしょうか?採掘跡の有る崖から海を眺めると岬上の突端の先の黒色スコリア層に何やら人手が掛かった風な雰囲気が見えます。
 目一杯近付いて望遠で移すと間違い無く採掘跡です。
 しかも、採掘跡の在った崖の右手にはこれも採掘跡の様なこんな崖が広がっています。
でも残念な事に間にはこんな場所が在り崖をよじ登るには手掛かりも無く無理なのでした。
対岸からは長靴を履いたオッサンが波をものともせずこの右手kから此方に歩いて来ました。

2015年3月31日火曜日

黒崎の鼻 (3)

前回確認した崖の段差部分に近付いてみた。間違い無く人手による加工跡が在る。崖の面にハンマーを置いて撮影したのが中段の画像。下の画像は採掘面らしい場所の岩相。



2015年3月30日月曜日

黒崎の鼻 (2)

鼻の突端まで行って振り返ると台地が見える。この台地が三浦大根の農場
 台地の東の端を見るとなにやら不自然な垂直の段差が見える。これは人工的な採石跡に違いない。残念ながら時間が押していてしかも潮が高いので対岸に渡れない、台地の突端の崖にも行きたいので、次回再挑戦する事にして帰途についた。帰りに良く見たら崖の上に行く道が在ったが、いずれにせよ再度来る事にしたのでそのまま帰宅。


2015年3月29日日曜日

黒崎の鼻の黒色スコリア質凝灰岩層:表題地名の訂正をしました

京急三崎口から大根畑の中を西に歩いていくと黒崎の鼻に辿り着く。ここは悩ましい事に、房州石の「桜目」に似た地層が広がっており、更に石丁場の跡が残っている。一体どの程度の採石を行ったものだっただろうか?