2016年5月28日土曜日

No.082031-01(2):土浦市,伊豆軟石の石塀

石塀の石材を少し詳しく紹介します。石材は基本的に地層の傾きや斜交層理の向きとは無関係に、水平或いは垂直に採掘されるので、この石切場から採掘する石材には斜め方向の模様が現れます。採掘は表土と、表土に近い風化層を避けて地下で採掘されます。地下の壁を切り開いて更に横方向に採掘場所を広げる時には、石材が縦方向になる様に採掘を行うので、石材の表面に現れる模様は下の画像の中央の様に他とは向きが異なる石材が採掘されます。
参考用に、その場合に採掘の状態を示す画像を紹介します。ここは採掘途中で放棄されています。全体の採掘量の中で、その石切場の石材の分布状態にもよりますが、模様の向きが異なる石材は数少ない存在です。
縦に石材を切られるとその後には縦方向に採掘跡が残ります。これを「垣根堀」と言います。
天井部分は、「羽ツル」を水平に近く打ち込むのが難しいのでこのようにうねって居る事が多くなります。この二枚の画像は下田市内に数多く存在する石切場の中の一つです。
土浦の石塀のもう一つ別の石材の画像を紹介しておきます。石材一個の姿とその左側の拡大図です。

2016年5月27日金曜日

No.082031-01(1):土浦市,伊豆軟石の石塀

江戸時代から御商売をしておられる土浦市内の老舗は、霞ヶ浦から水路が繋がり、当時は舟運を主として交易を行っていました。
この石塀は、土浦の街中の蔵造りの店蔵等が連なる場所に在ります。
石材は伊豆下田市内に産出するものである事が、現地の石切場での観察でほぼ特定できています。或いは下田市内ではないかもしれませんが、伊豆半島のかなり南側の地域で産出するものです。最初の画像はこの石塀のほぼ全体像です。

下の二つの画像は夫々門の右側と左側の拡大図です。



幾つかの切石の一個単位の画像と、その部分を拡大した画像をご覧に入れます。
この二組の石材は塀の向かって左側にあり、この石材の特徴を良く表しています。








2016年5月22日日曜日

自然誌シンポ 「火山と石材が」終わった!  三依の凝灰岩

昨日5月21日、千葉県立中央博物館で開催された自然誌シンポ「火山と石材」がやっと終わった。季節展示「石材が語る 火山がつくった日本列島」の会期も6月5日までと、既に2週間を切ってしまった。シンポジュームでは私は「凝灰岩の利用状況」の報告を担当。初めての経験なので、自宅で練習した以上に時間が掛かり少々お小言を頂戴したが、取り敢えず立往生をする事も無く最後の石材の項を中断して終わった。
総じて、仲間内からは好意的な感想を頂いたのでまずまずかもしれない。しかし、準備段階で報告内容に大きな変更を迫られてデータの編集に苦労した。
報告内容は、①房総半島の凝灰岩質石材 ②三浦半島の凝灰岩質石材 ③伊豆半島の凝灰岩質石材 最後に④栃木南部の凝灰岩質石材の予定だったが、時間が超過し最後の岩舟石の報告は割愛する羽目に陥った。どこまでデータを公開するか、それを定められた時間内に報告するのは意外と難しい。
展示の方は、あと2回、展示説明をする予定だが、そろそろ、フィールドワークに戻りたい。
このブログの方も、展示準備や展示改善の為に忙殺されてすっかりご無沙汰にしてしまったが、意外と、更新しない事に慣れてしまうと、これはこれで、このまま続けるか?辞めてしまうか?少し考えてみる事にした。外の世界との窓を開いて置く事も必要だと思うけれど・・・

画像は最近、塩原の奥の三依に入った時に見つけた凝灰岩。下の方はきれいに成層しており、最初はこの部分らしい岩片を見付けて、こんなところに変成岩・結晶片岩が有る筈もないのに緑と白が筋状に重なっているのが妙で、他を探している時にの岩片を見付けて納得、シリカの多い、流紋岩質の古生層が熱変成を受けて、有機物を含む部分が緑色化しているらしい。上の方は全く清掃していない岩片の様な部分を含んでおり興味を惹かれる。


これが、成層した部分だけの岩片

昨年秋に、茨城県では鬼怒川が決壊して広い面積が洪水に襲われたが、その時にこの三依付近の増水で、沢筋の崩落が各所で発生し、中には家屋も流されたのだ事例もあるとの事で、澤は岩片で埋め尽くされて災害復旧の最中でした。何時もの沢で、何年も通っているのに始めてみる岩相が珍しかった。