2010年7月24日土曜日

神流川下久保ダム下流(11)

表面に近寄ってみました。かなり風化しています。ここの結晶片岩ではありませんが、昨日まだ作り掛けの岩石薄片2枚を観る機会がありました。まだ厚い研磨途中のもので、400番でもう少し続けるか? 800番に進むか?と言う頃合のものです。1枚は黒色片岩で、本当に小さな炭素粒子(だろうと思う)が羽衣の様にたなびいていました。もう一枚の緑色片岩の方は比較的大きな磁鉄鉱の自形結晶が幾つか並んでいました。一見同じ様に見える結晶片岩ですが中々興味深いものがあります。

2010年7月23日金曜日

神流川下久保ダム下流(10)

この公園に面した河床には結晶片岩が露出しています。先に見える黒い物体は高さ30cmの三脚です。ここの結晶片岩は風化に拠るのでしょうか?とても薄くペラペラに剥れます。そんな様子を後2-3枚ご覧頂きましょう。

2010年7月22日木曜日

神流川下久保ダム下流(9)

表面が苔で汚れていて良く見えませんがこの岩石には「赤鉄片岩」と名称版が付けられていました。普段はあまり耳にしない名称なので調べてみると
埼玉県立自然史博物館 自然史だより  第36号 1998.7 長瀞付近の鉱物 ア・ラ・カ・ル・ト <その3>
③水にぬれると美しい茶褐色の帯 赤鉄鉱(セキテッコウ) の項目に、「自然史博物館前に「日本地質学発祥の地」記念石碑があります。これは、片理・節理等の自然の割れ目を生かしたもので、赤褐色の縦縞模様が発達しています。正式な岩石名は、「赤鉄石英片岩」といい、赤褐色の部分は主として「赤鉄鉱」の微細な結晶の集まりになっています。
 これらの赤鉄鉱はFe2O3を成分とする鉱物で、鉄成分の堆積層や磁鉄鉱などの変成により生成されたもので、この付近の三波川結晶片岩類には局部的に挟在すること空き禁認(ママ)されており、岩相分布や地質構造をさぐる鍵層として注目されています。
 また、鮮やかな金属光沢をもつ赤鉄鉱結晶は、「鏡鉄鉱(キョウテッコウ)」と呼ばれ、装飾標本などになります。」と書かれています。勉強になりました。

2010年7月21日水曜日

神流川下久保ダム下流(8)

この岩石に付けられた名称は「赤色角岩」前の画像の「黒色角岩」と両方を考えると、この名称板を決定した方は「チャート」を「角岩」と呼んでいたらしいことが想像できる。その当時は正しい呼称であったとしても、難しい事かも知れないけれど、時代が変わり分類法や名称の付け方が変わった時に、例えばその地方自治体の教育委員会などが、見直す或いは「学識経験者?」に確認して頂く等と言う事は出来ないのでしょうね?

2010年7月20日火曜日

神流川下久保ダム下流(7)


スケールを置き忘れたがコンクリート面の礫から大体の大きさを類推して頂きたい。この岩石標本に付けられた名称は「黒色角岩」この「角岩」と言う名称は現在のチャートに対して使われていたらしい。詳細は不明であるが、名称の定義があいまいで有った為に最近では使われて居ないと書かれた資料が在った。何時の時代にこの名称が使われなくなったのか?も判然としないのだが、偉大なる先人が名称を付けると、その後の学説に異論が起こっても中々変更する事が難しいのが現状・人情なのかもしれない。

2010年7月18日日曜日

神流川下久保ダム下流(6)

この岩石に付けられた名称は最近あまり使われる事の少なくなった「輝緑凝灰岩」別名:シャールスタイン。これは今でも使う方が居られるので、時代背景を考えると仕方が無いと思える名称。折角の表面がシャープでは無いのが残念だけれどこれは「枕状溶岩」と考えて良さそう。緑泥石が発生して(他の鉱物も有るけれど)緑色に輝く正体不明の岩石にはこの名称が付けられて居た時代が長かった。