2010年11月27日土曜日

兵庫県豊岡市玄武洞(7)

この画像でも、縦方向の節理には柱状に直角の方向の節理が目立つのに、斜め方向の柱状節理にはそれに直交する節理は目立っていません。また。縦方向の節理に直交する節理には縁が欠けているものが多いのも特徴です。これについては又別に詳細な画像を用意しています。

2010年11月26日金曜日

兵庫県豊岡市玄武洞(6)

柱状節理の垂直部分は後回しにしてかなり水平に近い傾斜部分。垂直部分には柱状節理の中に板状節理が見えるのだが、この部分には余り見えないのは単純に水平方向には緩む余地が無いからなのか?でも、垂直に立っている部分でも途中が抜けていなければ、上載荷重で圧縮を受けているから緩む余地は無い筈。水平に近い部分も途中が抜けている箇所が有るのだから、柱状節理に直角な節理も構成されている筈なのだが何故目立たないのだろうか?ボランティアのガイドを務められて居る方々に、こんな質問をしたら嫌がられるだろうなと思いながら撮影していた。

2010年11月25日木曜日

兵庫県豊岡市玄武洞(5)

複雑な冷却節理の、私が勝手に「火炎状節理」と呼んでいる部分(決してまともな学術用語ではないので誤解しないで下さい。他では通用しません)
を正面から撮影したのでは凹凸が判り難いかと思って、斜めから撮影したのだが、余りにも崖の面に近付き過ぎて失敗してしまった。でもこの画像で柱状節理を形成していない部分の詳細を多少でもご理解頂ければ幸い。
冷却節理が構成している緩やかな曲線の組み合わせが興味深い。

2010年11月24日水曜日

兵庫県豊岡市玄武洞(4)

前の画像の一部に望遠で迫ってみた。柱状節理とその上部の勝手な呼称「火炎状節理」部分との境目附近。右側の柱状節理の一番上の部分が細くなりながら左側に倒れているように見える。境目附近はかなり乱雑になっているものの、中央上部附近の曲線は緩やかなカーブが美しい。又、画面左側では柱状節理の上部が板状節理になっている。どのような擾乱が起こったのだろうか? 明日の画像はこの自称「火炎状節理」の部分を斜め横から撮影したもの。

2010年11月23日火曜日

兵庫県豊岡市玄武洞(3)

直立した柱状節理の部分と炎の様に乱れた部分の境界附近を見たものです。恐らく別の輪廻の溶岩が流れ込んで上部の構造が作られたのでしょうが、上部が何故冷却方向によって支配される筈の「冷却節理」が、深成岩の様に全く構成(目に見える形で)されないならそれなりに「出来ない事もあるんだ!的に」理解出来るのだが、この「火炎状節理」(こんな言葉は無いのだろうが)は興味深い。冷却方向が時々刻々と乱れてしまう事は考え難いが、地震が頻発していたとか?何か外的要因が大きいのだろうか?上部の破片を拾ってみたかった!

2010年11月22日月曜日

兵庫県豊岡市玄武洞(2)

これも同じくかなり広い部分を撮影したもの。玄武洞が柱状節理の景観で観光地となったのはひとえにこの柱状節理が構成する曲線美にある。整然と垂直に立ち昇る柱状節理ならば採石の対象にはなっても観光地にはならない。尤も、垂直に立ち昇る柱状節理であっても、六角形の断面の上を歩けきながら別に柱状節理の壁を見られるなら観光地となる可能性は在るだろう。この様な曲線が冷却面の変化によってもたらされるのか?何故冷却面が移動するのか?良く判らない事は興味をそそる。

2010年11月21日日曜日

兵庫県豊岡市玄武洞(1)

最初から玄武洞の細部を見るのもどうかと思うので取り敢えずは少し広い範囲を捉えたこんな画像からスタートします。垂直に延びる「柱」の部分と、画面左側の柱状節理が整っていない部分、それに右側の柱状節理が斜め横たわって居る部分がありますが、一体どのような噴火の輪廻でこのような形状が出来てしまったのか?玄武洞溶岩と赤石溶岩が噴出した160万年前の地質状況に興味を引かれます。時間が無く、ボランティアらしい方々が数人居られたのですがその説明をお聞きする機会が有りませんでした。
有名な場所なので、私の画像より遥かに、もっと美しい芸術性のある画像を見られた方も多いと思います。この「柱状節理」の分野では山本治之氏の「大地の鼓動 柱状節理の四季」が素晴らしいですね。柱状節理に興味がある方は是非一読をお勧めしたい書籍です。