2009年12月29日火曜日

福島県会津下郷塔のへつりカルデラ周辺(16)

塔のへつりカルデラの噴火後に生成した二岐山(1544.3m)です。正確な場所は失念しましたが、鶴沼川沿いを湯野上温泉方面に下りながらの景観です。塔のへつりにはこれ以外にも幾つかの火山が噴出しています。その中でも取り分け姿が美しくしかも厚い溶岩流を鶴沼川沿いに流出させており、その溶岩流の形状は1/25000地形図にはっきりと記されています。これが今年最後の画像になります。3~4日間静岡県の海岸線をメインに歩く予定でその間お休みします。

2009年12月28日月曜日

福島県会津下郷塔のへつりカルデラ周辺(15)

湖成層の平穏期(?)と岩片の多い部分の画像を追加しましょう。湖成層の中に岩片が多く含まれる部分とそうでない部分が此処にもあります。岩片が含まれる部分もその中では低い部分にはまだ岩片がしっかり残っている部分と、タフォニーの様に凹んでしまった部分や、中にその岩片が残っている部分等があります。
この後は後カルデラ丘や柱状節理、更には火砕流堆積物による平坦面等もご覧頂こうと考えています。
塔のへつりカルデラ周辺はとても見所の多い場所です。

2009年12月27日日曜日

福島県会津下郷塔のへつりカルデラ周辺(14)

堆積層中の岩片の画像をもう少しご紹介しましょう。これは少し観難いかもしれませんが、クリックして大きくして頂ければ水平な堆積層が見えると思います。この附近も、単なる流水の浸食で凹みが出来た訳ではないので、壁面は平滑になっています。堆積直後の水流で外側の堆積層が曲がって見えるのが面白いですね。
湖成層が在る程度の厚みと締め固めを受けた後に噴火でばらばらに破砕され、なにかの機会に流されてきたのでしょうか?回りが少し丸みを帯びているので、これは流されて来たのでしょうか?

2009年12月26日土曜日

福島県会津下郷塔のへつりカルデラ周辺(13)

前の画像と同じく白岩大橋(確かそんな名前だったと思うのですが)から川下側を眺めたものです。鉄橋は野岩鉄道のものです。右岸のでっぱりが岩脈かもしれないと思ってこれに近付こうと思ったのですが、藪がきつくて諦めました。画像から見ると藪漕ぎさえ旨く行けば側も付近まで下れそうな雰囲気が有るように思えました。この附近には岩脈が有るらしいのですが、この画像の右岸の出っ張りは湖成層の様ですね。川の流水による侵食から耐える硬い部分があったのでしょう。

2009年12月25日金曜日

福島県会津下郷塔のへつりカルデラ周辺(12)


野岩鉄道「塔のへつり」駅から坂道を下って直ぐに北側に分岐して白岩方面に続く道が有ります。その道が阿賀野川を跨ぐ附近から「塔のへつり」を眺めてみました。吊り橋が見えます。この部分は整然とした湖成層が続いています。以前はこの附近から吊橋に抜ける遊歩道が有りましたが、今は廃道です。河床に下れそうに思える場所は幾つかありますが、実際に歩いてみると意外と危険な場所が有り、結局此方では河床に降りる事は出来ませんでした。
「塔のへつり」は此処だけを目的に来る観光客は殆ど居ませんので、他の観光地を巡ってのチョットした、息抜きの自然と触れ合う場所として重宝されています。この程度が自然を破壊させない為には丁度良いのかもしれませんね。

2009年12月24日木曜日

福島県会津下郷塔のへつりカルデラ周辺(11)

男女川の合流津縁から少し遡った場所から上流側の風景を眺めてみました。左上方向に少し平に見えるのが野岩鉄道の線路附近だと思います。その近くまでは水平な地層が繋がっていますが、その先がやはり少し乱れている様です。右岸と似たような形が見えています。

2009年12月23日水曜日

福島県会津下郷塔のへつりカルデラ周辺(10)

この附近を観察した時にはこのやや白い柱状の岩体がこの附近の地層の傾斜に影響を与えたのか?と思い込んだので、残念ながら附近全体を眺められるような画像を撮る事をすっかり忘れていました。この場所では気付きませんでしたが、後日画像を確認していて、この白い岩体に見える部分の下部で亀裂が斜交して居る事に気付きました。又、その右側には別の地層の重なりと思われるものがほんの少しですが見えています。苔の付き方も異なるので、きっと別の堆積層だろうと考えています。
この男女川の合流点に断層が入っていいてこのような地形が見えているのではないでしょうか?尚、この附近の地質図では下流側(北側)が落ちる断層が多いので、ここも同じだろうと思います。

2009年12月22日火曜日

福島県会津下郷塔のへつりカルデラ周辺(9)

男女(おなめ)川との合流地点をやや下流側から眺めたものです。途中はもう少し緩い傾斜の部分もありますが、この附近まで来ると支流の川の左岸に向って結構な急勾配で傾斜が続いているのがお判り頂けると思います。この傾斜はここから又上流に向かって登り勾配に変わります。画面右側の大きな柱状の部分がその傾斜方向の変化点になっています。この川の上流にも行って見たい場所がありますが、未だ実現していません。

2009年12月21日月曜日

福島県会津下郷塔のへつりカルデラ周辺(8)

観光地から少しだけ阿賀野川を上流に移動した場所の風景です。左端の真ん中あたりに茶店が見えています。この附近に火山性の断層が走っている事が地質図に記載されています。恐らくこの右岸の洞穴附近が断層線だと思います。下流側が落ちです。実はこの附近から右岸は上流側に地層が下り側に傾斜して男女川(おなめがわと読むそうです)との合流地点まで緩やかに真っ直ぐに下っていきます。左岸は合流点の対岸のもう少し上流まで水平な地層が連なっています。右岸の上の方にガードレールが少し見えますが、この道では露頭には出会う事が出来ませんでした。又、左岸の茶店の下に斜めに走る少し怪しい線が見えるのですが、画像がシャープではないので、断層線かどうか?残念ながら確認出来ません。

2009年12月20日日曜日

福島県会津下郷塔のへつりカルデラ周辺(7)

表面の薄黒い苔の為に少々観察し難いが、丁度この附近で、画面の下部に水平方向に不連続な部分がみられる。空洞部分の形状もタフォニーとするには小型の割合には横長形状が多いので、礫等の岩片が洗い出されたものの様に思える部分が多い。比較的細粒の堆積物層がゆがんでいる部分が多く見られるのは、堆積後の地盤変動の影響だろう。地質図を見ているともう少し上流に行くと断層が有る筈なのでこの附近が変形していてもおかしくは無い。後で画像をご紹介するが男女川(おなめがわ)との合流付近では右岸側の地層が傾斜している事が観察される。

2009年12月19日土曜日

福島県会津下郷塔のへつりカルデラ周辺(6)

これも湖成層に含まれる岩片。これはスケールが無いが岩の上の空洞部分が10~12cm程度だったと記憶する。空洞はタフォニー?か水流で岩片が洗い出されたのか?不明。「塔」の上部には確かなタフォニーが見られるのだが、この層準には内部に岩片がまだ残っているものがあり、洗い出された可能性も否定出来ない。洗い出された場合には穴の入口がもう少し丸みを帯びるような気がするのだが・・・。タフォニーにしては穴の開口面積と奥行きの比率がこんなものだろうか?と言う疑問もある。最もこのような小さな穴が順次連なって大きくなるのかも知れないが、残念ながら知識不足!

2009年12月18日金曜日

福島県会津下郷塔のへつりカルデラ周辺(5)

昨日の画像の中の少し大きな岩片のクローズアップです。右側の四角いものはポケットサイズの拡大鏡。43x54mmの大きさです。下の地層に少しめり込んでいます。又右上側には水流で作られた横方向の縞模様も出来ています。左右が対象形ではないので、この岩片が定置した直後には既に水流が有ったものと思われます。この画面に対して右後方側が上流側に相当します。このほかにも少し大きな岩片が幾つかありますので、順次ご紹介しましょう。この附近の地質に関しては1/50000地質図「宮下地域の地質」に詳しい他、この地質図の主著者である山元孝広氏の幾つかの文献があります。nkysdbでチェックすればpdfでwebから入手出来るものがあります。

2009年12月17日木曜日

福島県会津下郷塔のへつりカルデラ周辺(4)

横に凹んだ部分は高さが大体2m程度大人がゆっくりと通れる。恐らく人の手によって削れたものと思われるが比較的均質な細粒の柔らかい堆積物の層である。但し、どのように混じりこんだのか?結構大きな岩片も含まれていて、特別下の層に突き刺さった様な形跡もない。以前は右岸にかなり長い距離に亘って歩道が作られていた様だが、吊橋よりも下流側は床板が無くなって通行出来ないし、上流側もこの直ぐ先で終わり。大内宿等の人気に支えられて途中に此処を訪れる観光客は多いのだが観光用として観る事の出来る場所は少ない。露頭も結構探すのが大変だし、河床に下れる場所が少ないのが残念。
12/17:訂正追記;画面に大きく見えている岩片の画像が有る事を思い出し点検してみた処、この岩の下の部分はやはり凹んでいるのが判りましたので、明日その画像をUPします。尚、丁度水面の高さから下の部分は水流による侵食を受けて削られていて、右側に張り出した部分の下は綺麗に削られています。画像を観ていて、この下の日陰の部分に沢山の小魚が泳いでいたのを思い出しました。

2009年12月16日水曜日

福島県会津下郷塔のへつりカルデラ周辺(3)

相変わらずスケールの入っていない画像が多くて恐縮ですが、塩原の湖成層の堆積状況とは異なり、ここ「塔のへつり」の湖成層には色々な岩片が含まれて居ます。色白の斜めの岩片は堆積した湖成層が噴火で破壊されてここに着地したものでしょうか?爪の先で傷を付けることが出来るほどに柔らかいものです。ここは観光客が常に多いので観察も容易ではありませんが、様々な岩片が在り、興味深い場所です。

2009年12月15日火曜日

福島県会津下郷塔のへつりカルデラ周辺(2)

これが「塔のへつり」の代表的景観。
塔のへつりカルデラの湖成堆積物が阿賀野川に浸食されて出来上がった景観です。湖成堆積物の水平な堆積層がその硬軟によって差別侵食されてこの様に興味深い風景を作り出しています。
「宮下地域の地質図」によれば、隣接した成岡カルデラ、小野カルデラと連続して、隈戸⇒芦野⇒南倉沢⇒西郷⇒天栄火砕流を1.5Maから1Maに掛けて噴出しています。

2009年12月14日月曜日

福島県会津下郷塔のへつりカルデラ周辺(1)

白河から国道118号を走り、羽鳥湖から先の岩瀬で南下し二岐温泉方面に向かった途中の二俣川沿いで(川はこの奥)に見掛けた露頭。火砕流堆積物かと思ったが、含まれている礫が円磨されているので、どうやら二次堆積物らいし。しかし、この附近でこれだけ円磨されていると言う事は一体どれだけの距離を駆け下ってきたのか?興味深い。
このカルデラはなんとなく惹かれるものが有ってかなりの回数を通っていて、画像の枚数も多いので、恐らく暫く続いてしまいそう。宜しくお付き合い下さい。とは言うものの、閲覧数が少なくて残念。

2009年12月13日日曜日

千葉県鋸山の石切跡 房州石(11)

房州石を切り出した鋸山の姿です。
遠目にも画面を大きく斜めに横切る筋目が見えます。
このブログの最初の10枚の画像が栃木県足利市の足利学校近くで見掛けた立派な「房州石」の画像です。最初はその筋目模様の砂岩の様な石のブロックがどこの産か?全く判らない状態でしたが、「縁」は不思議なもので、その後、千葉県の地質に興味を持ち4年前に千葉県に移り住みました。
足利で見た房州石がこの崖から切り出されたのだと思うと、この崖に現れた筋目の一つ一つがこの様に大きな崖の壮大な姿を刻んで居たのだと実に感動します。この画面の右側が向斜軸になります。大きな平面を石切り場に残してくれた石工の皆さんに感謝です。

2009年12月12日土曜日

栃木県塩原温泉の湖成層(8)

斜めの陽射しが有って少し見難い画像で恐縮ですが、この波の様な構造が全て同じ方向に倒れているのかと思っていましたら、丁度この部分で対照的に反対方向に波頭が傾いているのが観察されました。一体どのような原因で波頭の傾く方向が変わるのでしょう?

2009年12月11日金曜日

栃木県塩原温泉の湖成層(7)

乱れた地層の画像をもう一枚。
南房総の林道工事で現れた海底地すべりの堆積層の画像とその堆積層が形成過程の想定図を拝見しましたが、地震の際に液状化した砂が貫入し、南房総の場合はこれが周辺地層のブロック化を促進し、更に数度の滑動でばらばらな向きの乱堆積層を形成しているようです。ここではブロック上に成るほどには固結していなかったけれど砂層が潤滑剤の役割を果たしてこのような堆積層を形成したのでしょうか?

2009年12月10日木曜日

栃木県塩原温泉の湖成層(6)

折れ曲がった層の部分を1箇所だけ清掃してみました。左側の隣の山の部分との間に砂の層が見えます。かなり粗いものを含んでいます。砂がこの乱れた層の上端にあったのか(上端の様に見えますね)?下に有ったのか?残念ながらこの画像からは確認出来ません。現地ではこの砂にまで気付かなかったのです。残念!

2009年12月9日水曜日

栃木県塩原温泉の湖成層(5)

塩原温泉の湖成層といえばこれまで見て頂いた画像の様に大変整然と積み重なったものと言うイメージが強いのですが、実はそうでも有りません。
画像は比較的下部層に見られるもので、恐らく地震等で未固結だった一部の層が踊って横方向に移動して折り重なったものだと思います。数年前まではこのような構造が此処で見られるとは思われて居なかったのではないでしょうか?折り重なり方が興味深いので、この後も数枚この部分の画像をご紹介したいと考えます。

2009年12月8日火曜日

栃木県塩原温泉の湖成層(4)

同じ崖面でも手の届かない高さはこの様な状態が見えます。非常に薄く成層しているのが判ります。この薄い一枚一枚の間に木の葉の化石等が含まれているのでしょう。しかし崖が綺麗な平面で構成されているのには驚きますね。
前の画像で厚く均質に成層している様に見えた部分も薄く成層していた事がこの画像から判断出来ます。

2009年12月7日月曜日

栃木県塩原温泉の湖成層(3)

少し小さな画像ですがやっとスケール代わりのネジリ鎌が入っている画像が出てきました。鎌の刃先は100mm程度です。最近はネジリ鎌も普及してかなり手に入り易く成って来たようですね。さくさくと露頭の表面を清掃する様子を見ているとこれを考えた人物は凄い!と思いますよね。火山灰をやる方には必須のアイテムですね。
年縞の間の均質な部分が場所によって随分厚みが異なるものなのですね。

2009年12月6日日曜日

栃木県塩原温泉の湖成層(2)

湖成層もどこまでも均質・均等に縞模様が繋がって居ると言う訳では無い。少し範囲を広げるとこの様に中間には厚い層が堆積している。残念ながらこれが火山灰層なのか?珪藻が大量に発生した為なのか?恐らく珪藻だと思うのですが調査した事はありません。
秋田や輪島の「七輪」には年縞がありませんから、季節変動の影響を受けずに厚く珪藻が堆積したのでしょうね。同じ湖成堆積物でも北に登った「塔のへつり」附近はは色の変化が少ないですね。「塔のへつり」では火山灰だけだったのでしょうか?

2009年12月5日土曜日

栃木県塩原温泉の湖成層(1)

湖生層か湖成層か何れが正しいのか知らない。ここでは自分の習慣に従って「湖成層」と書かせて頂く。スケールが無いのは申し訳ないが、後でスケール入りの画像を紹介するのでお許し頂きたい。有名な塩原の湖成層も中々観察する場所には恵まれないが、ここ「要害公園」では余人に邪魔される事なく堪能出来る。下部に灰色の成層があるのは火山灰なのだろうか?と思ったが「年縞」を跨いでいるので珪藻以外の藻類が繁茂したものが炭化したものかもしれない。小生は素人なので単なる推察。このような地層の観察にはやはりネジリ鎌が威力を振るう。

2009年12月4日金曜日

東京都某所沖積シルト粘土層(6)川向こう

この都内某所附近でも幾つかのトンネル工事に係ったのですが、何故か全く画像が残っていません。この画像は、川向こうの粘土分が殆ど無い細砂層を掘削したのですが、その時掘削した土砂をトロッコの台車に積み込んでいる時のものです。直径250mmほどのパイプから流れ出した土砂が台車に下りた途端にこんな風に流動性を失って山になってしまいます。ホンノ少しの含水比の差や、砂の粒子の振動によって、配管の中をするすると土砂が流れたり、積み重なってしまったりします。
スコップで掘った土砂を、特殊な装置を使って、配管に通してやると、中はポッコリと折れるほどの状態なのですが、配管と接した土砂はまるで水が浮いたみたいに表面に水が浮き出して光ります。その状態では、配管の抵抗は驚くほど少なくなって容易にトンネルを掘った土砂を地上まで送り出してしまいます。細かな粘土・シルトから細砂については実にその流動特性が不思議で面白い事があります。

2009年12月3日木曜日

東京都某所沖積シルト粘土層(5)

この高層ビルの位置を「某所」とする必要は無いかな?とも思ったのですが、何処の誰がこの画像を見るかもしれないし、それをどう理解するかも判らないので敢えてここは正確な場所を示さなかったのは、この画像が有るからです。
私は江東区の南端から葛飾区の北端までの地下に広がる沖積シルト粘土層の固さを良く「羊羹」に例えます。ここの4枚の画像を見て頂きました。人間が普通にその上を歩けるし、斜めにカットした斜面も安定しています。この画像はその斜面を指でチョット引っ掻いてみた状態です。しかも、画面の左上には乾燥による収縮が発生した証拠の亀裂が見えます。これでも自然状態の含水比ではないのです。軍手の網目模様が乾燥しているように見える土の表面に簡単に着いてしまいますし、粘土細工の様にクシャクシャに変形した土の様子が判ると思います。静的な荷重には比較的耐える層も、有る限界を超える力を加えると瞬時に部分的な液性化が起こり容易に塑性変形が起こってしまいます。
江東区の同様な土質のシールドトンネルの現場で、私達は止めたのですがそこの工事長が止せばいいのにセグメントに取り付けられて居る2インチのプラグを、外の地山は安定しているのだと言い張って外した事が有りました。途端に地山の土が直径50mmほどの太さで、練り歯磨きの様に凄まじい勢いでトンネルの中に噴出して来た事が有りました。水と異なり噴出してくる土砂は簡単に抑える事が出来ません。暫く、その工事長が悪戦苦闘をしているのを知らん顔して観ていた後で、チョットした方法で私達はそれを止めました。
地震の時の「液状化」と言う言葉をお聞きになっていると思いますが、東京東部の沖積シルト粘土層は結構怖い動きをする事が有ると言うお話です。

2009年12月2日水曜日

東京都某所沖積シルト粘土層(4)

残念ながら小生は貝の名前を殆ど知りません。この場所で記憶に残っているのはもう少し上の部分で「マテ貝」。同じ深さで赤貝。これは実にでかいのを15cmくらいのを見ました。アカニシやカキは見掛けませんでした。
東京湾の横断道路のシールド工事では部分的に30cmを越えるしかも厚いカキの貝殻がものすごい量出て来て驚きました。掘削土を地上まで排出する配管が閉塞するのではないかと心配な程でした。
この地域の地質文献は比較的少ないように思いますが、ネットで閲覧出来るものとしては産総研の「地質調査研究報告 第57巻 第9/10号 261-282頁 2006年に「東京都葛飾区における沖積層の堆積層と堆積物物性:奥東京湾口の砂嘴堆積物の時空間分布」が参考になるかもしれません。産総研のHPから DL 出来ます。勿論、同じ場所ではありません。

2009年12月1日火曜日

東京都某所沖積シルト粘土層(3)

スケールになりそうなネジリ鎌が入っている画像がありましたので、少しトリミングしてご紹介します。大体この手のネジリ鎌は柄の長さが30cmと考えて間違いないでしょう。まるで液状化で噴砂が通った後に貝化石が濃集して居る様にも見えます。貝化石が有る為かもしれませんが、この部分は少し柔らかい雰囲気ですね。このような濃集部が最初の画像の斜面に、10mに1箇所程度見えましたから、もし、これを平面的にみれば濃集部の分布頻度はかなり高いと思われます。残念ながら少し上には細砂層が在るので工事中の平面ではそれを確認する事は出来ませんでした。

2009年11月30日月曜日

東京都某所沖積シルト粘土層(2)

理由は判りませんが、このような沖積層には所々に貝化石の濃集部分がポケットの様に分布している所が有ります。スケールが無くて申し訳在りませんが、こんな風に縦穴風に貝殻が妙に多い部分がある訳です。
30年前に都内江戸川区の葛西附近でブラインドシールドの現場に通った事があります。大部分はやる事が無くて只、じっと機械の運転状況を監視しているだけなので、退屈でシールド掘削機の一番前の「切羽」で「羊羹」の様に坑内に流れ込んでベルトコンベアで後方に運ばれる、やはりシルト粘土を見ていました。
今回の様には実際に地中に在る時の状況は判りませんでしたが、やはり、所々に貝化石の濃集部が存在していて土砂をスムースにベルトコンベアに搭載するようにスコップで切り込んでいると、その濃集部が判りました。その部分には、葛西の場合は「ほら貝」に似た「アカニシ」の大型の化石が時々見付かりました。その1個を職場に持ち帰った処、妙に沢山の同僚・先輩からリクエストがあり、その後も良く探したものでした。
勿論、1個だけ今でも大切に持っていますが、なるほど、こんな様子で濃集していたのか!とやっと理解出来ましたが、何故こんな風に集まるのかは理解出来ていません。

2009年11月29日日曜日

東京都某所沖積シルト粘土層(1)

今日ご紹介するのは都内某所。もうこの上に高層ビルが完成してしまいましたが、沖積の柔らかい海成層の貝化石が出現した場所の見学記録です。
数年前、都内某所の居酒屋で酒を飲んでいましたら、当時仲良くなって居た建築設計者から「今の現場で面白い貝が出るのだけれど、名前が判るかな?」と聞かれました。
結局、その貝は二枚貝で蓋がきちんと閉まらない、今の「ミル貝」らしいと判ったのですが、面白そうなので見学させて頂く事になりました。貝類素人の私だけでは面白くないので、何時も色々とご教示頂いているある博物館の地学の先生に声を掛けさせて頂き、当日はそのT先生と貝化石に詳しいK氏に私の3名で現場を訪ねました。画像はK氏が丁寧に貝化石を掘り出している処です。足元が大体地表面から15m程度でしょうか?
斜面はシルト粘土の地層そのものです。
高層ビルは勿論、N値が50以上の礫層に深く基礎を打ち込んでいますが、地表から少し掘り進むと貝化石の詰まった沖積層が広がっています。東京都の東部は大体似たような地質環境です。

2009年11月28日土曜日

千葉県清和県民の森(4)

断層?と思いそうな構造ですが、折れ曲がった地層を挟む上下の地層は撓んではいますが破断はしていませんね。灰色で折れ曲がった層はその下の紫色の薄い層を挟む部分が「衝上断層」の様に二枚重なった様な形状で折り重なっています。
規則正しく成層している地層にも所々にこんな不思議な折れ曲がり構造が構成されている場所があります。塩原の湖成層にもそんな場所が有りますので何れ見て頂きましょう。
ここ清和県民の森を頻繁に歩いていた頃は、未だフイルムカメラの OM-1 でした。スキャナーで読み込んだデータが少ないのでフイルムを探し出して再度この附近の地層をご紹介したいと思いますが、今回はこの4枚の画像だけで、次は都内某所の高層ビル建築現場の地下のとても柔らかい地層をご紹介する事にしましょう。
(県民の森の4枚の画像は「火山の無い千葉で火山に思いを馳せる会」の参加者から提供を頂いた物ですが、撮影者の名前を失念していまい記載出来ません。ゴメンナサイ!)

2009年11月27日金曜日

千葉県清和県民の森(3)

「バーミューダ:Ky7」と名付けられた鍵層とその標識
国道410号から林道淵ヶ沢支線に入りトンネルを抜けた先。「秋田おばこ」と「はっけよい」の露頭に挟まれてこの「バーミューダ」がある。時には「黒とかげ」もセットで林道沿いに出現する。この附近は「三浦層群・清澄層」でおよそ5~3Ma前のものと考えられている。1/25000は「坂田」狭いがこの先にも駐車場がある。我々は駐車場までマイクロバスで入りました。普通車なら離合に苦労は有るがかなり中まで入れます。
参考文献は千葉県立中央博物館「自然誌研究報告特別号6 房総半島小糸川上流の自然誌Ⅰ」(2003年3月)掲載の徳橋秀一・石原与四郎両氏(産総研)の報文。詳細のルートマップが記載されている。画像は同じく千葉県立中央博物館 地学資料集「三浦層群中部鍵層集Ⅱ(1993年版・出版は1994年3月)

2009年11月26日木曜日

千葉県清和県民の森(2)


これも「ダービダイト」の露頭の一つです。スケールの人物は実は小生です。身長175cmです。分厚いドカンと流れ下ってきて堆積した層と、15cm程度の恐らくゆっくりと長い時間を掛けて少し固く締まった層が積み重なっています。
手にしているのは「火山の無い千葉で火山に思いを馳せる会」と言う観察会の資料で、初めて「巡検」なる言葉を知り、初めて「巡検」の案内者となって作成したものです。2005年の事です。
産総研の徳橋秀一氏(確か2009年に定年退官されました)からこの地域の沢山の露頭資料を頂戴しました。又、千葉県立中央博物館の広域テフラに関する資料集からも引用させて頂いたり、博物館の高橋直樹さんには日本地質学会2004年の見学旅行案内書を頂き、案内書に収録させて頂いたり沢山の方々からご教示を頂いた思いで深い見学会でした。

2009年11月25日水曜日

千葉県清和県民の森(1)


千葉県には海成の堆積層が広範囲に露頭が広がって、観察には大変良い場所だと思っています。足利の「房州石」の石塀に見られる筋状の模様がどのように作られたか、興味深いところですが、その中で「ダービダイト」の線は実は無いだろうな!と思っています。それはこの画像が、南房総の清和県民の森で見られる「ダービダイト」の露頭として紹介されているのを見た事がある為です。「ダービダイト」にも色々な様相があるのかもしれませんが、どちらかと言うと混濁したものが大量に流れる雰囲気ですから、どこかでは速度を失って堆積するにしても、あのような層流が作るような構造は出来ないと思っています。(11/26:追記:こう書いてしまいましたが、この県民の森では薄い層が幾重にも重なった露頭もあるので、「無い」と言い切るのは間違いだと思い訂正させて頂きます)ここでは様々なサイズの礫や材木片などがでたらめに堆積しています。清和県民の森には所々で火山灰層の名札が付けられていたり、解説が建てられていたりします。又、とても詳しいルートマップが公表されていますから、自家用車ではないと行き難い場所ではありますが、地層の観察にはとても良い場所です。

2009年11月24日火曜日

栃木県足利市房州石の塀(10)

お詫びと訂正:永い間この石材は房州石だと思い込んでいましたが、様々な土木建築物を見て歩く中で、この石材は房州石に似ている部分も有るけれど、静岡県下田付近で採掘された「伊豆石」の可能性の方が高いと判断するに至りました。
判断の根拠は岩石学的あるいは成分観察等の結果では無く、この石材の姿に非常に良く似た石材を下田市内で観察した結果です。南豆製氷所の石材を見た時は房州石一般と非常によく似ていると思いましたが、この目の細かさがぴったりと同じ石材に下田で会いましたので、産地に近い場所での目撃がより正確な判断につながると考えた次第です。
未だに多少の迷いが在るのですが、実はこの画像は他の岩石画像よりもはるかに多くの方に見て頂いて居ますので、誤りの訂正は素早く行うべきだと判断いたしました。
正しい「房州石」画像は、画面右側のラベルで「房州石」入ったラベルをクリックする事でご覧いただけます。近日中に下田で観察した石材の画像のUPを始めます。
間違った情報を公表した事をお詫びし、今後間違いのない情報の発信に努めたいと考えますのでご了承ください。現在、伊豆と房総半島の産地に近い場所の石材の画像集を作成して、石材産地のより正しい把握が出来る様努力しています。
この画像のラベルは今まで「房州石?、足利の街で」でしたが、「伊豆石、足利の街で」に変更します。

2012年9月12日追記:下田市内で明治・大正期の伊豆石を使用した建築物を沢山見て来ました。石材の表面仕上げが異なると印象がずいぶん変わって来るものですが、この石材は房州石よりも「伊豆石」に近いのかと思い始めています。静岡県内には100か所を越える伊豆石の採石場が有った様ですが、その丁場と産出した石材の照合が出来て居ません。結論を得るにはかなりの時間が掛かりそうですが、そのような可能性が在る事をご報告します。

さて、足利市で見る事の出来た「房州石出出来た石塀」画像はこれで一段落です。この画像にも(9)でご紹介したものと同じ様な円弧スベリと思われるものが現れており、その下にある画像と共に心引かれてならないものです。
千葉県内には火山はありませんが、海成の堆積層は豊であり、南房総に行けば実に様々な堆積層を観察する事が出来ます。しかし、それらの中でも、この房州石が特に素晴らしいと小生は感じて居ます。
このブログでは岩石と土の織り成す興味深いと感じた画像を、出来る限り毎日新しい画像をUPする意気込みでご紹介する予定です。画像の範囲は私の興味の赴くままに日本国内を飛び回ります。等と言いながら関東地方が中心になってしまいますが、地質についての専門知識が無い分を画像の数と種類でごまかそうと言う魂胆です。明日の画像は千葉?東京?福島?どれにしようかと迷っています。
12/13追記:鋸山の画像を写していた筈だと探していましたが、どうやら遠目ながら石切跡の筋目が見える画像が見付かりましたので、12/13の項に追記します。

2009年11月23日月曜日

栃木県足利市房州石の塀(9)

お詫びと訂正:永い間この石材は房州石だと思い込んでいましたが、様々な土木建築物を見て歩く中で、この石材は房州石に似ている部分も有るけれど、静岡県下田付近で採掘された「伊豆石」の可能性の方が高いと判断するに至りました。
判断の根拠は岩石学的あるいは成分観察等の結果では無く、この石材の姿に非常に良く似た石材を下田市内で観察した結果です。南豆製氷所の石材を見た時は房州石一般と非常によく似ていると思いましたが、この目の細かさがぴったりと同じ石材に下田で会いましたので、産地に近い場所での目撃がより正確な判断につながると考えた次第です。
未だに多少の迷いが在るのですが、実はこの画像は他の岩石画像よりもはるかに多くの方に見て頂いて居ますので、誤りの訂正は素早く行うべきだと判断いたしました。
正しい「房州石」画像は、画面右側のラベルで「房州石」入ったラベルをクリックする事でご覧いただけます。近日中に下田で観察した石材の画像のUPを始めます。
間違った情報を公表した事をお詫びし、今後間違いのない情報の発信に努めたいと考えますのでご了承ください。現在、伊豆と房総半島の産地に近い場所の石材の画像集を作成して、石材産地のより正しい把握が出来る様努力しています。
この画像のラベルは今まで「房州石?、足利の街で」でしたが、「伊豆石、足利の街で」に変更します。

2012年9月12日追記:下田市内で明治・大正期の伊豆石を使用した建築物を沢山見て来ました。石材の表面仕上げが異なると印象がずいぶん変わって来るものですが、この石材は房州石よりも「伊豆石」に近いのかと思い始めています。静岡県内には100か所を越える伊豆石の採石場が有った様ですが、その丁場と産出した石材の照合が出来て居ません。結論を得るにはかなりの時間が掛かりそうですが、そのような可能性が在る事をご報告します。

中央のブロックの画像は堆積層の中に起きた円弧スベリを現しているのだと思います。堆積時には左下がりの姿勢だったのでしょうか?
その上の段の左側のブロックも興味深いですね。大した重量を持つはずも無い軽石が下の層にめり込んでいるのは、やはりかなりの深い海で堆積物が本当に柔らかい状態だったのか(それがこんなに固まるかい?)ダービダイトの様に流れ下ってこの様に定置したのか?不思議でなりません。(ダービダイトではこの様には堆積出来ないと思いますが)この様なブロックがお互いにどのような位置関係であの鋸山の山腹を構成していたのか?興味深いテーマです。
今日は3連休の最終日。カミサンに行田経由で足利のこの石塀の写真を撮影に行きたい!と提案したのですが、残念ながら却下!未だ3週間前の手酷い腰痛から完全には復帰出来ていないし、道路は混むだろうし、明日・明後日は勤務なのですから、当然と言えば当然なのですが・・・
行田の古墳の石棺に「房州石」が使われていると書かれているものが在るのに、その画像が一枚も見られないので、多分何かの間違いなのだろうとは思うのですが、「正」か「誤」か?確認してみたいと思っています。阿蘇溶結凝灰岩の宇土半島産のものが奈良の古墳の石棺に使われていると言う話が在るのですから、有り得ないとは思いませんが確認をしたいです。

2009年11月22日日曜日

栃木県足利市房州石の塀(8)

お詫びと訂正:永い間この石材は房州石だと思い込んでいましたが、様々な土木建築物を見て歩く中で、この石材は房州石に似ている部分も有るけれど、静岡県下田付近で採掘された「伊豆石」の可能性の方が高いと判断するに至りました。
判断の根拠は岩石学的あるいは成分観察等の結果では無く、この石材の姿に非常に良く似た石材を下田市内で観察した結果です。南豆製氷所の石材を見た時は房州石一般と非常によく似ていると思いましたが、この目の細かさがぴったりと同じ石材に下田で会いましたので、産地に近い場所での目撃がより正確な判断につながると考えた次第です。
未だに多少の迷いが在るのですが、実はこの画像は他の岩石画像よりもはるかに多くの方に見て頂いて居ますので、誤りの訂正は素早く行うべきだと判断いたしました。
正しい「房州石」画像は、画面右側のラベルで「房州石」入ったラベルをクリックする事でご覧いただけます。近日中に下田で観察した石材の画像のUPを始めます。
間違った情報を公表した事をお詫びし、今後間違いのない情報の発信に努めたいと考えますのでご了承ください。現在、伊豆と房総半島の産地に近い場所の石材の画像集を作成して、石材産地のより正しい把握が出来る様努力しています。
この画像のラベルは今まで「房州石?、足利の街で」でしたが、「伊豆石、足利の街で」に変更します。

2012年9月12日追記:下田市内で明治・大正期の伊豆石を使用した建築物を沢山見て来ました。石材の表面仕上げが異なると印象がずいぶん変わって来るものですが、この石材は房州石よりも「伊豆石」に近いのかと思い始めています。静岡県内には100か所を越える伊豆石の採石場が有った様ですが、その丁場と産出した石材の照合が出来て居ません。結論を得るにはかなりの時間が掛かりそうですが、そのような可能性が在る事をご報告します。

この足利市にある石塀の画像は後2枚在ります。お付き合い下さい。
2段目の左側は、これはきっと斜交葉理と呼んで差し支えないと思うのですが、上部に軽石の破砕されたものの堆積層とは少し角度が合わない軽石が含まれて居ない部分がある事。その右側のブロックも半分より下の軽石の部分の重なり方も微妙に面白いと思いました。
勿論、私の狙い目は3段目。マア、余計な講釈は辞めましょう。お酒が美味しくなりそうな画像だと思っとります!

2009年11月21日土曜日

栃木県足利市房州石の塀(7)

お詫びと訂正:永い間この石材は房州石だと思い込んでいましたが、様々な土木建築物を見て歩く中で、この石材は房州石に似ている部分も有るけれど、静岡県下田付近で採掘された「伊豆石」の可能性の方が高いと判断するに至りました。
判断の根拠は岩石学的あるいは成分観察等の結果では無く、この石材の姿に非常に良く似た石材を下田市内で観察した結果です。南豆製氷所の石材を見た時は房州石一般と非常によく似ていると思いましたが、この目の細かさがぴったりと同じ石材に下田で会いましたので、産地に近い場所での目撃がより正確な判断につながると考えた次第です。
未だに多少の迷いが在るのですが、実はこの画像は他の岩石画像よりもはるかに多くの方に見て頂いて居ますので、誤りの訂正は素早く行うべきだと判断いたしました。
正しい「房州石」画像は、画面右側のラベルで「房州石」入ったラベルをクリックする事でご覧いただけます。近日中に下田で観察した石材の画像のUPを始めます。
間違った情報を公表した事をお詫びし、今後間違いのない情報の発信に努めたいと考えますのでご了承ください。現在、伊豆と房総半島の産地に近い場所の石材の画像集を作成して、石材産地のより正しい把握が出来る様努力しています。
この画像のラベルは今まで「房州石?、足利の街で」でしたが、「伊豆石、足利の街で」に変更します。

2012年9月12日追記:下田市内で明治・大正期の伊豆石を使用した建築物を沢山見て来ました。石材の表面仕上げが異なると印象がずいぶん変わって来るものですが、この石材は房州石よりも「伊豆石」に近いのかと思い始めています。静岡県内には100か所を越える伊豆石の採石場が有った様ですが、その丁場と産出した石材の照合が出来て居ません。結論を得るにはかなりの時間が掛かりそうですが、そのような可能性が在る事をご報告します。

この場所で見られる房総石の石塀中で最も私が好きなブロックがこれです。左下隅と右上隅の対角線を結んで右下側は少し粗い成層した堆積層に対し、左上側は今まさにその斜面を流れ下っているような流動感のある構成になっています。
更にその上の段の右側のブロックの左側、ややこしいですね!中央に有る私の大好きなブロックの中央の少し上に、角張った軽石が二つ有るのにお気付きでしょうか?「円摩されていない」軽石なのです。残念ながらピントが甘くてこの軽石の構造までは見えませんが、これは水中で噴出した事は間違いない。噴出して海水に急冷されひび割れてしまって、空中に飛び出す事も他の軽石とぶつかり合って角が取れる事も無く堆積してしまったと思えます。細かく粉砕された軽石の中に在って一際興味を引く軽石です。

2009年11月20日金曜日

栃木県足利市房州石の塀(6)

お詫びと訂正:永い間この石材は房州石だと思い込んでいましたが、様々な土木建築物を見て歩く中で、この石材は房州石に似ている部分も有るけれど、静岡県下田付近で採掘された「伊豆石」の可能性の方が高いと判断するに至りました。
判断の根拠は岩石学的あるいは成分観察等の結果では無く、この石材の姿に非常に良く似た石材を下田市内で観察した結果です。南豆製氷所の石材を見た時は房州石一般と非常によく似ていると思いましたが、この目の細かさがぴったりと同じ石材に下田で会いましたので、産地に近い場所での目撃がより正確な判断につながると考えた次第です。
未だに多少の迷いが在るのですが、実はこの画像は他の岩石画像よりもはるかに多くの方に見て頂いて居ますので、誤りの訂正は素早く行うべきだと判断いたしました。
正しい「房州石」画像は、画面右側のラベルで「房州石」入ったラベルをクリックする事でご覧いただけます。近日中に下田で観察した石材の画像のUPを始めます。
間違った情報を公表した事をお詫びし、今後間違いのない情報の発信に努めたいと考えますのでご了承ください。現在、伊豆と房総半島の産地に近い場所の石材の画像集を作成して、石材産地のより正しい把握が出来る様努力しています。
この画像のラベルは今まで「房州石?、足利の街で」でしたが、「伊豆石、足利の街で」に変更します。

2012年9月12日追記:下田市内で明治・大正期の伊豆石を使用した建築物を沢山見て来ました。石材の表面仕上げが異なると印象がずいぶん変わって来るものですが、この石材は房州石よりも「伊豆石」に近いのかと思い始めています。静岡県内には100か所を越える伊豆石の採石場が有った様ですが、その丁場と産出した石材の照合が出来て居ません。結論を得るにはかなりの時間が掛かりそうですが、そのような可能性が在る事をご報告します。

既にご紹介した広い範囲の石塀の一番最初の画像の右側に、このブロックが含まれて居ます。この右側が丁度区切りなので少し幅が狭くなっていますが、軽石の部分が微妙な、逆断層の様に裂けています。しかも軽石層の中も微妙に微褶曲していますので、横方向の力を受けて変形した様ですね。ブロックの中央より少し左側の三角形の部分も逆断層を起こした時に頭部が削られたのでしょうか?赤茶色のスコリアが含まれているので、これも噴火時に空中に噴出された部分が混ざっているようです。

2009年11月19日木曜日

栃木県足利市房州石の塀(5)

お詫びと訂正:永い間この石材は房州石だと思い込んでいましたが、様々な土木建築物を見て歩く中で、この石材は房州石に似ている部分も有るけれど、静岡県下田付近で採掘された「伊豆石」の可能性の方が高いと判断するに至りました。
判断の根拠は岩石学的あるいは成分観察等の結果では無く、この石材の姿に非常に良く似た石材を下田市内で観察した結果です。南豆製氷所の石材を見た時は房州石一般と非常によく似ていると思いましたが、この目の細かさがぴったりと同じ石材に下田で会いましたので、産地に近い場所での目撃がより正確な判断につながると考えた次第です。
未だに多少の迷いが在るのですが、実はこの画像は他の岩石画像よりもはるかに多くの方に見て頂いて居ますので、誤りの訂正は素早く行うべきだと判断いたしました。
正しい「房州石」画像は、画面右側のラベルで「房州石」入ったラベルをクリックする事でご覧いただけます。近日中に下田で観察した石材の画像のUPを始めます。
間違った情報を公表した事をお詫びし、今後間違いのない情報の発信に努めたいと考えますのでご了承ください。現在、伊豆と房総半島の産地に近い場所の石材の画像集を作成して、石材産地のより正しい把握が出来る様努力しています。
この画像のラベルは今まで「房州石?、足利の街で」でしたが、「伊豆石、足利の街で」に変更します。

2012年9月12日追記:下田市内で明治・大正期の伊豆石を使用した建築物を沢山見て来ました。石材の表面仕上げが異なると印象がずいぶん変わって来るものですが、この石材は房州石よりも「伊豆石」に近いのかと思い始めています。静岡県内には100か所を越える伊豆石の採石場が有った様ですが、その丁場と産出した石材の照合が出来て居ません。結論を得るにはかなりの時間が掛かりそうですが、そのような可能性が在る事をご報告します。

このブロックの中にも斜交葉理と思えるものが含まれています。白い軽石の部分が本当に多く、それがこの筋目模様を際立たせて美しく見せています。最下段にはかなり大きな軽石が抜けた後があります。それに赤茶色のスコリアが見えますので、水上に頭を出したような状態での噴火も起こっていた様ですね。海上に浮遊していた軽石が波にもまれて少しずつぶつかり合いながら磨り減って粉末状になった軽石の砕屑物が沈殿・堆積していく様子が眼に見えるようです。少し、大きな軽石のブロックは、水による急冷を受けてひび割れ、その隙間から水が浸入し、浮力を失ったものなのでしょう。急冷による放射状冷却節理が構成されていないか?興味が有りますが、まさかこじりだすなんて出来ませんね。以前横須賀の郊外で、石垣に綿飴の様な軽石が有って欲しかったのですが、流石に人通りも在るし、一応「常識」が心を抑えて手が出ませんでした。

2009年11月18日水曜日

栃木県足利市房州石の塀(4)

お詫びと訂正:永い間この石材は房州石だと思い込んでいましたが、様々な土木建築物を見て歩く中で、この石材は房州石に似ている部分も有るけれど、静岡県下田付近で採掘された「伊豆石」の可能性の方が高いと判断するに至りました。
判断の根拠は岩石学的あるいは成分観察等の結果では無く、この石材の姿に非常に良く似た石材を下田市内で観察した結果です。南豆製氷所の石材を見た時は房州石一般と非常によく似ていると思いましたが、この目の細かさがぴったりと同じ石材に下田で会いましたので、産地に近い場所での目撃がより正確な判断につながると考えた次第です。
未だに多少の迷いが在るのですが、実はこの画像は他の岩石画像よりもはるかに多くの方に見て頂いて居ますので、誤りの訂正は素早く行うべきだと判断いたしました。
正しい「房州石」画像は、画面右側のラベルで「房州石」入ったラベルをクリックする事でご覧いただけます。近日中に下田で観察した石材の画像のUPを始めます。
間違った情報を公表した事をお詫びし、今後間違いのない情報の発信に努めたいと考えますのでご了承ください。現在、伊豆と房総半島の産地に近い場所の石材の画像集を作成して、石材産地のより正しい把握が出来る様努力しています。
この画像のラベルは今まで「房州石?、足利の街で」でしたが、「伊豆石、足利の街で」に変更します。

2012年9月12日追記:下田市内で明治・大正期の伊豆石を使用した建築物を沢山見て来ました。石材の表面仕上げが異なると印象がずいぶん変わって来るものですが、この石材は房州石よりも「伊豆石」に近いのかと思い始めています。静岡県内には100か所を越える伊豆石の採石場が有った様ですが、その丁場と産出した石材の照合が出来て居ません。結論を得るにはかなりの時間が掛かりそうですが、そのような可能性が在る事をご報告します。

石塀の広い範囲の石組みの妙を見て頂いた後は、個別のブロックの画像を少し拡大してご覧頂きます。2段目の右側のブロックは白い軽石の部分がかなりの面積を占めていますね。右手の方の重なり方を見ていると、私はどちらかと言うと、このブロックは上下が逆様かな?等と思うのですが如何でしょう?
この画像で注目したいのはやはり3段目の層が落差は小さい様だけれど、数箇所に切られた様子があるのと、右側の断ち切られてはいない落差の部分ですね。堆積したばかりの層では、円弧スベリやこの様な小さなスベリが多い様です。
4段目の右側にはこれは斜交葉理と考えて良いのでしょうか?3個の不整合と言うよりは斜交葉理なのでしょうね。と言う事はそれなりの流速が有った比較的浅い海底での堆積物なのでしょうか?
いやー!これを肴に旨い酒が飲めそうです。暫く、此処のブロックの表情を見て頂く事になります。

2009年11月17日火曜日

栃木県足利市房州石の塀(3)

お詫びと訂正:永い間この石材は房州石だと思い込んでいましたが、様々な土木建築物を見て歩く中で、この石材は房州石に似ている部分も有るけれど、静岡県下田付近で採掘された「伊豆石」の可能性の方が高いと判断するに至りました。
判断の根拠は岩石学的あるいは成分観察等の結果では無く、この石材の姿に非常に良く似た石材を下田市内で観察した結果です。南豆製氷所の石材を見た時は房州石一般と非常によく似ていると思いましたが、この目の細かさがぴったりと同じ石材に下田で会いましたので、産地に近い場所での目撃がより正確な判断につながると考えた次第です。
未だに多少の迷いが在るのですが、実はこの画像は他の岩石画像よりもはるかに多くの方に見て頂いて居ますので、誤りの訂正は素早く行うべきだと判断いたしました。
正しい「房州石」画像は、画面右側のラベルで「房州石」入ったラベルをクリックする事でご覧いただけます。近日中に下田で観察した石材の画像のUPを始めます。
間違った情報を公表した事をお詫びし、今後間違いのない情報の発信に努めたいと考えますのでご了承ください。現在、伊豆と房総半島の産地に近い場所の石材の画像集を作成して、石材産地のより正しい把握が出来る様努力しています。
この画像のラベルは今まで「房州石?、足利の街で」でしたが、「伊豆石、足利の街で」に変更します。

2012年9月12日追記:下田市内で明治・大正期の伊豆石を使用した建築物を沢山見て来ました。石材の表面仕上げが異なると印象がずいぶん変わって来るものですが、この石材は房州石よりも「伊豆石」に近いのかと思い始めています。静岡県内には100か所を越える伊豆石の採石場が有った様ですが、その丁場と産出した石材の照合が出来て居ません。結論を得るにはかなりの時間が掛かりそうですが、そのような可能性が在る事をご報告します。

石塀の広い範囲の画像 3枚目。一つ一つのブロックの中の岩石の表情を見ていると飽きる事が無い。この後に桐生に入る予定が無ければ、一枚一枚のブロックッを順番に番号をつけて撮影したかった程です。ジグゾーパズルの様に、一つ一つのブロックを積み重ねて組み合わせてみたい(勿論、裏表があるから必ずしも全てが組み合わさるとは思えないが・・・)気がします。この後、幾つかのブロックを拡大して見て頂こうと考えて居るが、小型のダービダイトの様な物が堆積する過程でこの様な筋目が出来たのだろうかと何処までも夢が広がってしまいます。
学術的な事は判らないが、これ程の火山灰の堆積層を作る火山が堆積地から遥か遠くにあったとは考えられない。一体何処に火山が有った時の堆積物なのか?その火山はその後どうなってしまったのか?幻の湘南火山帯のがその後どうなったのか?興味が尽きる事がない!

2009年11月16日月曜日

栃木県足利市房州石の塀(2)

お詫びと訂正:永い間この石材は房州石だと思い込んでいましたが、様々な土木建築物を見て歩く中で、この石材は房州石に似ている部分も有るけれど、静岡県下田付近で採掘された「伊豆石」の可能性の方が高いと判断するに至りました。
判断の根拠は岩石学的あるいは成分観察等の結果では無く、この石材の姿に非常に良く似た石材を下田市内で観察した結果です。南豆製氷所の石材を見た時は房州石一般と非常によく似ていると思いましたが、この目の細かさがぴったりと同じ石材に下田で会いましたので、産地に近い場所での目撃がより正確な判断につながると考えた次第です。
未だに多少の迷いが在るのですが、実はこの画像は他の岩石画像よりもはるかに多くの方に見て頂いて居ますので、誤りの訂正は素早く行うべきだと判断いたしました。
正しい「房州石」画像は、画面右側のラベルで「房州石」入ったラベルをクリックする事でご覧いただけます。近日中に下田で観察した石材の画像のUPを始めます。
間違った情報を公表した事をお詫びし、今後間違いのない情報の発信に努めたいと考えますのでご了承ください。現在、伊豆と房総半島の産地に近い場所の石材の画像集を作成して、石材産地のより正しい把握が出来る様努力しています。
この画像のラベルは今まで「房州石?、足利の街で」でしたが、「伊豆石、足利の街で」に変更します。

2012年9月12日追記:下田市内で明治・大正期の伊豆石を使用した建築物を沢山見て来ました。石材の表面仕上げが異なると印象がずいぶん変わって来るものですが、この石材は房州石よりも「伊豆石」に近いのかと思い始めています。静岡県内には100か所を越える伊豆石の採石場が有った様ですが、その丁場と産出した石材の照合が出来て居ません。結論を得るにはかなりの時間が掛かりそうですが、そのような可能性が在る事をご報告します。

取り敢えず、壁面の構成を感じて頂く為にあと数枚、石塀の少し広い範囲の画像を見て頂く予定です。その後で幾つかの個別のブロックを見て頂こうと考えています。画像は後7枚を用意しています。
昨日の第一枚目の画像に「深海堆積層」らしいと記しました。でも、フット 「深海」での堆積でこの様なダイナミックな堆積が出来るのだろうか?斜交葉理が「深海」での堆積層で構成されるのだろうか?少々疑問に成りましたが、調べてみると、深海とは200m以上の深さを表現しているそうです。
残念ながら、小生の画像ストックの中には鋸山の岩の表面でこれほど素晴らしい筋目が出ているものは有りません。南房総には同じ県内であり時折歩いているので、今度は是非この様な表情を見せている石切り場跡の画像を撮りたいと考えています。房州石を扱った様々なHPを拝見させて頂きましたが、少し小さな画像で筋目が見えている「地獄覗き」附近の画像が有りました。でもその画像では筋目は長く続いていて、千葉県の砂取場で良く観察される「斜交葉理」とは少々趣が異なる様な気がしました。画像の中にも「斜交」していると思えるものは無さそうです。ガイドブックの記載をそのまま引用するのは失敗だったかもしれません。もう少し画像をゆっくり観察して見ます。

2009年11月15日日曜日

栃木県足利市房州石の塀(1)

お詫びと訂正:永い間この石材は房州石だと思い込んでいましたが、様々な土木建築物を見て歩く中で、この石材は房州石に似ている部分も有るけれど、静岡県下田付近で採掘された「伊豆石」の可能性の方が高いと判断するに至りました。
判断の根拠は岩石学的あるいは成分観察等の結果では無く、この石材の姿に非常に良く似た石材を下田市内で観察した結果です。南豆製氷所の石材を見た時は房州石一般と非常によく似ていると思いましたが、この目の細かさがぴったりと同じ石材に下田で会いましたので、産地に近い場所での目撃がより正確な判断につながると考えた次第です。
未だに多少の迷いが在るのですが、実はこの画像は他の岩石画像よりもはるかに多くの方に見て頂いて居ますので、誤りの訂正は素早く行うべきだと判断いたしました。
正しい「房州石」画像は、画面右側のラベルで「房州石」入ったラベルをクリックする事でご覧いただけます。近日中に下田で観察した石材の画像のUPを始めます。
間違った情報を公表した事をお詫びし、今後間違いのない情報の発信に努めたいと考えますのでご了承ください。現在、伊豆と房総半島の産地に近い場所の石材の画像集を作成して、石材産地のより正しい把握が出来る様努力しています。
この画像のラベルは今まで「房州石?、足利の街で」でしたが、「伊豆石、足利の街で」に変更します。

2012年9月12日追記:下田市内で明治・大正期の伊豆石を使用した建築物を沢山見て来ました。石材の表面仕上げが異なると印象がずいぶん変わって来るものですが、この石材は房州石よりも「伊豆石」に近いのかと思い始めています。静岡県内には100か所を越える伊豆石の採石場が有った様ですが、その丁場と産出した石材の照合が出来て居ません。結論を得るにはかなりの時間が掛かりそうですが、そのような可能性が在る事をご報告します。

「岩石と土の表情」第一弾の画像は栃木県足利市で見掛けた「房州石」(と思われる)石塀。足利学校に行く機会があればその周辺を巡ってみては如何?
「房州石」とは千葉県金谷に位置する「鋸山」に産する海成の凝灰岩質堆積岩。上総層群竹岡層に相当する。170万年前辺りまでの深海堆積層らしい。現在では殆ど弱溶結凝灰岩の大谷石等に追われて採掘はされていない。軽石の含まれている割合が高く斜交葉理が非常に美しい。陸上に堆積した溶結凝灰岩ではとても見る事が出来ない美しさだと思う。
千葉には火山どころか高い山も無い。それなのに溶岩があり、礫岩があり、火山灰層も勿論沢山在って広域テフラの同定研究も盛んな場所。こんな火山灰や溶岩は一体何処に在った火山から供給されたものか?

注記:古墳の石室に使われている「房州石」について
2011年1月9日 訂正追記
1月27日追記「房州石と古墳と富津磯石」の特集を始めます。
以前から記載していた通り、古墳に使用されている「房州石」は、鋸山で採掘され建材として使用されてきた一般的な用語としての房州石とは全くの別物です。
考古学で6世紀頃の古墳に使われている「穿孔貝の生痕化石」がある泥岩~スコリア質砂岩を「房州石」と呼ぶのは、産地が似ているからと言う理由だけで捻じ曲げて使うのは適正ではない、地質学上堆積時期も堆積環境も異なる地層に対して同じ名称を使うのは正しいやり方では無いと考えます。
私は考古学分野で「房州石」の用語を他の単語に、例えば富津市での使用例の様に「富津磯石」の様な言葉に書き換えるべきだと考えています。
この埼玉県(栃木県と書いたのは小生の誤記です。申し訳ありません)での使用例だけでは無く、富津市、鋸南町を歩いて頂ければ本来の房州石がどのようなものかお判り頂けると思います。特に金谷美術館の外壁に使われている房州石はこの画像同様に素晴らしいものです。
2010年11月から、さきたま古墳群の将軍山古墳を初めとして、この博物館の展示に記載してある「房州石」を石室に使っていると言う古墳や類似施設を見学しました。赤羽台古墳・スサノオ神社の瑞光石・立石様・市川市法皇塚古墳・木更津市金鈴塚古墳・木更津市稲荷森古墳(これはリスト外)・富津市弁天山古墳等です。
また、改めて金谷の民家の塀や蔵に使われている房州石を観察し、富津岬以南鋸山付近までの海岸の砂岩泥岩互層の露頭をや鋸山の露頭を改めて観察しました。
これを足懸りにこれから1年程度の計画でもう少し、古墳と露頭を廻りその一部をこのブログで紹介する事に致しました。ブログへの画像の掲載は1月30日から暫く続ける予定です。

2011年5月5日追記:2012年5月26日一部訂正追記
先日この実際の塀をご覧になった方から、他に何処の産地なのか?指摘出来ないが、ヒョットしたらこれは房州石では無いかも知れない!と言うご指摘を頂きました。地質の目で房州石を良くご覧になる機会が多く、岩石に関して実に博識な方のご指摘で「石材の表面に現れる様々な堆積模様やスコリアの大きさ等が微妙に違うような気がする」との事でした。
2012年秋に、鋸山で房州石を採掘しておられた方に間接的に御目に掛かり、この画像を見て頂きました。ご自身の採石場でのものでは無いが「見た事が有る様に思う」との事でした。
2012年1月27日、石廊崎等を歩いた際に、下田市内の「南豆製氷所」に使われている「伊豆石」の建物を拝見しました。実にそっくりでした。伊豆韮山の反射炉の前室に、房州石とよく似た伊豆石が使われている事は既に現物で確認しています。
別の機会に、伊豆半島よりも鋸山が消費地に近いので、鋸山から出荷した「房州石」が納入先では「伊豆石」とされていた事が有ると言う話も伺いました。
伊豆半島と火山の無い房総半島に殆ど同じ特徴を持つ岩石が存在する不思議に感動します。
この伊豆石関係の画像をご案内するのをすっかり忘れて居たようです。2012年6月中旬には「房州石・伊豆石:似た者同士」等と言うラベルが増えているかもしれません。
右側に「房州石」関係の幾つかのラベルを置いています。ご覧頂ければ幸いです。