2011年11月12日土曜日

鋸山風景:C-4;車力道

坂之上側から下を見た状態です。前を歩く人の姿(足だけだけれど)から坂道の傾斜を想像してみて下さい。一番減っている部分が金具のついたブレーキの部分でその外側が車輪道なのでしょう。でも結構コントロールが大変な感じですね。

2011年11月11日金曜日

鋸山風景:C-3;車力道;ねこ車復元図


この画像は「石のまちシンポジューム」実行委員会で纏められた、「房州石の歴史を探る」第一号「金谷 石のまちシンポジューム特集」(金谷美術館でも販売されている)の41頁に掲載されている房州石運搬用具の復元図です。43頁には下記の説明図があります。
道に穿たれた二条の溝の意味が良く判ります。
「車力道」に建てられた説明板にはその一部を抜粋引用すると「この新登山道は、かっての「車力道」です。鋸山の頂上部付近で切り出された石を運び出した道です。房州石を木製の荷車に載せ、急傾斜の道をブレーキをかけながら下りたので、石の重みで道の表面に荷車の轍が残っています。この石を運搬した人達は「車力」と呼ばれ、女性の仕事でもありました。空の荷車を背負って頂上まで上り、1日3往復する大変な重労働でした。」
房州石を積載してバランスを取りながらの運搬も大変ですが、この復元図の「ねこ車」がどれほどの重量なのか判りませんが、これを背負うのはかなり大変な作業に思えます。車力道は「単線」ですから、すれ違うには、石を積載していない側が道路から逃げてすれ違うしかないのですから。勿論、炭鉱でも運搬は女性の仕事である時期が長く続く時代が在りました。女性は家計を担う強い働き手だったのですね。敬服!

売津の採石場で使われていたネコ車が現存していました。下記に画像があります。
http://iwatotsuchi.blogspot.jp/2012/09/14.html

2011年11月8日火曜日

鋸山風景:C-2;車力道

画像ではこの道の傾斜は判り難いが、かなりの傾斜です。昨日、「修羅」のようなもので運んだらしいと書きましたが、「房州石の歴史をさぐる」第一回「石のまちシンポジューム」特集の中に、運搬位に使われた用具の復元図がありましたので、明日にご紹介しましょう。

2011年11月7日月曜日

鋸山風景:C-1;車力道

鋸山の遊歩道を歩くとこの様な風景に出合います。
凝灰岩質の礫岩の敷石に深い溝が掘り込まれています。これは石材を山頂付近の丁場から降ろす為に使われた道で、詳しい画像などの資料はありませんが、どうやら「修羅:しゅら」を小型にした、石材を運ばない時には背負って運べるような「橇:そり」の様な道具を使っていた痕跡です。「車力道」とされているので、大きな車が在る台車を想像したのですが、傾斜がきつい坂道ではブレーキを掛けなければならず、しかも、麓で荷卸しした後は背中に背負って運んだと在りますので、ブレーキ付荷車ではとてもコンパクト軽量とは行きませんので、ブレーキを掛けながらとすると小型の修羅を想定した次第です。修羅の掘り込んだ細い溝は左右に二本あります。

2011年11月6日日曜日

日光連山 女峰山

人並みに黄葉を観たいなって、雨で人出が少ないかもしれないと日光に出掛けてみました。いろは坂より下の方の紅葉は実に美しく堪能しました。画像は大谷川にかかる歩道橋から撮影した女峰山です。雪景色やこの様な雲が纏わりついた様な風景は山襞がはっきりみえて大好きな風景です。さてそろそろ、落ち着いて新しいテーマに掛からねばと思って居ますが、中々手が付けられない状況です。