2020年6月6日土曜日

岩石と地層の表情:039; 上田城に使われた凝灰岩

コロナ禍の影響で、雪崩の様に積み重ねて何が何処に有るか判らなかった凝灰岩に関する資料類がやっと整理出来て、文献の名前だけでは中身を思い出せないのでとうろう、文献リストにその主要テーマを追記して、エクセルに整理し検索出来るようにしてしまった。正に「忘備録」です。整理がついた書棚に「郷土の歴史 上田城」(A5版 168頁)がやっと納まって、購入後何年経ったか判らないがやっと目を通す事が出来た。上田城の石垣や表口の土橋に復元された「武者立石」等に凝灰岩が使われていて、この産地に関してこのガイドブックに資料が掲載されていたので、やっとデータを整理出来た次第。
地図の中央やや下の紫色の円が上田城の位置。緑色の左手が虚空蔵山(1077 m)と太郎山(1164 m)で、古来石材を切り出した山として知られている山。橙色は石切に纏わる地名が残っていたと云われる場所で、恐らく石工集団の居住地域と目されている場所。
赤丸は近年になって、表口土橋にある「武者立石:出陣時に此処に並んだ?」を修復する際に、丁度、砂防ダムを建設中だったので、ここから凝灰岩を切りだして用いた場所。
上田菅平ICから北に進んで菅平湖に向う「菅平口」の分岐を過ぎ、通行止めの旧道分岐に入ると「枕状溶岩」の露頭が在る場所だ。
二枚目は地質図:虚空蔵山と太郎山の山名が見えるが、この「太郎山」は「太郎神社」のある方では無くて途中のピークの一つ。この付近は「枕状溶岩」のメッカ「内村層」の分布領域で、太郎山周辺は「大峯山部層」の「頁岩と凝灰岩」。大峯山はこの地図の領域の北側にそびえる。虚空蔵山の方は太郎山部層に属し「凝灰岩・凝灰角礫岩及び頁岩」。山麓側の“Yk”と書かれた部分は「横尾部層」の「緑色凝灰岩・頁岩及び凝灰質砂岩」
表口土橋の上に築かれた「武者立」。三段にどの程度の密集度かしらないが、鎧を付けた武者が三列に並ぶには随分窮屈そうだ。この石材が最初の地図の赤丸の砂防ダム構築現場から採掘された凝灰岩だと記録に残っている。
城内の神社の玉垣とその下の基壇石組も、「武者立」の石材に似た緑色凝灰岩が使われている。
玉垣の柱の石材を良く見ると、斜めの筋目が入っている。
石垣に使われた凝灰岩質石材が比較的まとまって組み込まれている場所。黄色の階段状の絵は、拡大すると節理を利用しながら掘った「矢穴」が並んでいる様に見える場所。
尚、「坂城地域の地質」(1980)に拠れば、「内村層太郎山部層」の凝灰岩は「淡緑色の凝灰岩や凝灰角礫岩からなり,一部黒色頁岩をはさむ.虚空蔵山付近は,淡緑色で節理が発達するがかなり固結した凝灰岩が殆ど」と記載されている。どうやらその手の凝灰岩らしい。勿論、石垣には安山岩系の岩塊も用いられている。
この岩塊にも二面に矢穴と思われる、単なる破面にしては不自然な凹みが観察される
黴で岩相が良く見えないが、矢穴が加工されたままの岩塊。狙った方向には割れなかったのだろう。
資料館の玄関前に展示されていた堀の水位を調節する水門の枡形石。これは節理が目立たない緑色凝灰岩が使われている。隣のステンレスかアルミの骨組みは普通の傘立てでスケール代わりに写し込んだもの。
石垣は観察していて飽きない。観察する方に夢中になってこれで酒を飲む事は出来ないが、上下の大きな岩塊の間に小さな岩塊を詰め込んだとて、荷重は集中荷重になって旨く分散されないとおもうのだが、鉄路の砕石と同じで却って地震などの時には撓んで揺れを和らげるのだろうか?等と考え続けていると一日がおわりそうだ。

2020年6月5日金曜日

岩石と地層の表情:038;万田野砂の描く模様

砂取り場の規模の大きさと、その中で観察される砂の堆積の際に形成される「層理」をご紹介します。堆積時の流れの速さやにも層理の作り出す模様のサイズや形状が変わっていきます。
砂取り場の写真地図で黄線の左端のループの辺りから西の(左)の隣接企業の砂取り場方向を眺めたものです。遥かに下の方に重機:パワーショベルやブルドーザーがいます。はるか遠くの方まで大きな高低差の崖が続いているのが見えます。
崖の一部を望遠レンズで拡大して見ました。細かな処までは判りませんが、色や厚みの異なる砂の層が幾重にも積み重なって見えます。層の厚さも様々です。地層の構成を際立たせる為に“photo shop”を利用して画像補正を行っています。
同じ場所から上の方を見上げると、これもまた随分と高い場所にローム層が見えて松の木や広葉樹らしい木々が生えているのが見えます。
堆積時の「斜交層理」の立体的な形状も豪華に観察する事が出来ます。黄線で囲んだ所は 20 cm 程の厚みの火山灰層が堆積しています。比較的締まったそうになったので、その下の砂の層が風雨で洗われて凹んでしまっています。下の荒々しい斜交層理が形成されるような潮流が存在していなかった様な、きっと静かな海の時代に堆積した火山灰なのでしょう。左の方に板碑の様に斜めに建っている板状の岩片はこれが折れて下の層に突き刺さったものでしょう。
これが、前の画像の火山灰層の画像です。ネジリ鎌の柄は 30㎝程度です。火山灰層はほぼ細粒です。直登出来ないので、ずっと層を追ってやっと辿り着きました。
美しいハンモック状斜交層理です。私のフィールドノートのサイズは 16.5 x 9.5 cm です。斜交層理の少し上は平行に堆積層が流れています。どのように周囲環境が変化したのか興味を惹かれます。下から上に斜交層理の大きさが徐々に小さくなっているので、激しいストームから徐々に静かになっていく海の様子などを想像するのも面白いですね。
均一な砂の層だけでは無く、やや火山灰でも混じったのか泥質の様に見える斜交層理もあります。潮流の速度の変化で運ばれてくる土砂の粒径が変化するのでしょう。
細かな砂の斜交層理を砂鉄と輝石が筋目模様を描いてくれています。青いのは岩石ハンマーの柄の先端です。
斜交層理の目立つ砂の壁を見上げてみました。この画像の下の方にも火山灰の厚い堆積層が観察されます。斜交層理を立体的に下から観察するなんて中々出来ない事です。
最後の画像は砂の斜交層理に多分浅い海から運ばれて来た現地性では無い貝殻の破片が巻き込まれた層の観察画像です。小さな円礫も含まれています。

2020年6月4日木曜日

岩石と地層の表情:037;万田野砂取り場の長浜礫層

今日ご案内するのは残念ながら立入禁止の場所です。写真地図の横幅は約 2 km 強。広大な敷地から砂を取り、東京湾の湾岸地区の埋め立て造成や、建築資材として高層ビル等の原料としている地区です。昨年、博物館の地学の仲間とこの地域に数年振りに立ち入らせて頂く予定だったのですが天候が悪く延期になってしまい、しばらく入域していない状態で久し振りに地形図を見ると随分様相が変化していました。画面上部の赤い線が県道。黄色の線は、砂取り場の場内道路で、その先端で円を描いている今は緑になってしまった付近と途中に見える比高 100 m の崖の下部に見える礫層の画像です。二回に分けてご案内しますが、今日は昨日の「磯根崎」との関連でこの地域に産出する「長浜砂礫層」の紹介です。元々、海に堆積した砂層なので、この付近から発見された鯨の化石等が、千葉県立中央博物館に展示されています。
写真地図は国土地理院地図を使用しています。赤線が県道。黄線が砂取り場事業所の構内道路です。基本立入禁止です。構内の最高標高は約 270 m で、作業所内の低い場所は 160 m 前後ですから標高差は 110 m あります。
標高差 100 m を越える崖の一部です。中ほどの茶褐色の地層から下は礫層です。ここは崖の崩落が怖いので二重に立入禁止です。
茶褐色の地層の少し下を望遠レンズで写したものです。礫のサイズはかなり変化が有りますが、大きなものは大人でも運ぶのに苦労するようなサイズのものが有ります。
房総半島で発見される「石器」の中に、この長浜礫層以外では取れそうもないサイズと岩種のものが有ります。勿論、当時は砂取り場は有りませんから、川底とか、海岸に露頭が在ってそこから採取したのではないかと想定しています。望遠レンズの手持ち撮影なのでシャープな画像では無く申し訳ありませんが、「ハンドアックス」等に良さそうなやや細長い形状のものも多数あります。小さな川幅どころではない広がりを持ってこのサイズの礫が有るという事は余程の流速のやや浅めの潮流でも流れるか、傾斜が無いと無理です。礫径も大きく変化するのも謎です。
小さな礫径の層です。私の岩石ハンマーのこの部分は 18 cm です。
砂の層には大型哺乳類の骨の化石が時折混じります。鯨の仲間が多いのだそうですが、同行者は全員岩石系なのでそのままです。
少しだけ集めた礫の形状と岩種のざっとしたチェックをやって居る処です。表面が砂鉄由来の錆で汚れているので、色は良く見ないと騙されます。
砂の堆積層の中に突然このように軽石や岩礫を含む地層が現れる事があります。ストームなのか、土石流なのか?
この様に、海岸に近い浅い海に堆積していただろう貝殻が大量に表れる事も有ります。基本的に割れている事が多いので現地性ではないのでしょう。現在マンションなどが立地している東京都内の昔の海の底ではこんな貝殻の堆積の仕方はなさそうです。高層マンションの基礎工事の際に、貝の研究者をご案内した事がありますが、貝殻の大きさが半端ないサイズで驚きました。
シルト岩(偽礫)なのか、軽石の潰れた偽礫なのか?固める前に乾燥でバラバラになったので判りませんが、卵型のこんな不思議な礫も偶にあります。
次回は、砂の織り成す美しいラミナの世界をご案内します。

2020年6月3日水曜日

岩石と地層の表情:036;磯根崎の地層

今日はやや広い範囲の地図からスタートです。画面上の富津岬とその先の東京湾に浮かぶ白丸印は左から「東京湾第二海堡」、「東京湾第一海堡」岬の中に在るのが「富津元洲砲台」で、左手、神奈川県側の白丸は「観音崎砲台」です。元洲砲台には、「房州石」と呼ばれる凝灰岩質石材が使われていますが、一部に伊豆半島産の細粒緑色凝灰岩が使われています。第一海堡には、堅石は伊豆方面からの石材が主体ですが、凝灰岩質石材は鋸山よりは少し北の「売津」地区の石材が使われています。第二海堡は、千葉県側には此処への石材納入で潤ったという話は全く無いのと、石材の使用量に比べてその費用が極端に少ないので、横須賀の現在は米軍基地となっている場所を中心に採掘した軍部の自前の石材が多かった様です。
観音崎第一・第二砲台には、凝灰岩としては伊豆の下田方面の石材が大量に使われています。
磯根崎は富津岬の南側にポツンと張り出した赤丸で印をした岬ですが運が良ければ面白い地層を観察できる場所ですが、行く前に必ず「干潮」時間帯を調べて干潮の時間帯に行動して下さい。黄色は「東京湾観音」です。海岸の崩落で、様々な地層の残骸が観察される場所ですが、常に崖の崩落の危険がある事。潮が満ちると岬から帰る事が出来なくなる可能性が有る事を認識して行動して下さい。

二枚目は富津地域の地質図の抜粋です。岬はほぼ“Ksn”「笠森層長浜砂礫部層」と言う小さな礫ばかりの層とか大きな円礫の層が適度に分布しながら、何処から来た礫か判らないものが混じっているチョット不思議な地層です。
駅から歩いてくると海岸の砂浜が狭くなる辺りにこんな乱堆積層が観察されます。崩落の検出用ワイヤーなどが今も張られていると思いますので触らない様にお願いします。
潮が引いている時は岬の方の景色はこんな雰囲気です。普段は崖のぎりぎりの処迄海水が来ています。釣りの連中は長靴で平気で出入りしていますが、慣れないと急に深くなっている様に見える海水の色でチョット怖いかもしれません。
岬への道を辿りながら振り向くとこんな雰囲気です。黄色で囲んだ部分が乱堆積層の露頭です。
海岸にはこんな岩片が観察されます。不定形の鉄錆色の岩片も割ってみると似たような構造をしています。
地層を良く見て頂くために画像を回転しています。砂泥互層的な「砂鉄泥互層」の地層もあります。黒い部分には、砂鉄だけでは無く輝石も混じっています。そう!凝灰質なのです。
これは「長浜砂礫層」の小礫の部分です。南の嶺岡山地からの岩石もありますが、南には無い岩石もあり含まれている岩石の出自を調べるのも面白いようです。
これは砂鉄を多く含む層の下部に生痕化石が生じている岩塊です。堆積時やその後の地層の変動よりも、底生生物に拠る擾乱がこの形状を作り出しています。但し、何時も見る事が出来る訳ではありません。
硬貨をスケールにするとお判り頂けると思いますが、小さな巣穴等が砂鉄で固まっています。
こちらは「ウニ」でも動き回ったのでしょうか?化石は全く知識が無いのでですが、見事な生痕化石です。
尚、この南に「上総湊」への海岸が広がっていますが、その一部に東京湾の浚渫土砂で埋め立てた場所が在ります。海流に乗ってその浚渫土砂の中の貝化石などが、この付近(岬の南側ですが)までたどり着く可能性が有りますので、化石採集の際は注意が必要です。千葉県立中央博物館から「房総半島の海岸打ち上げ及び埋め立て地の化石群」と言う地学資料集が発行されています。

2020年6月2日火曜日

岩石と地層の表情:035;渡良瀬の枕状溶岩

桐生市から黒保根付近はシームレス地質図を見ていると緑色・黄褐色や灰色の筋状の地層が幾重にも走っている。多少位置が違うかなと思う場所もないでは無いが、桐生市内の市民のハイキングコースになっている場所にも露頭が在って写真を撮っていると「なにしてるの?何が有るの?」と次から次へと質問攻めにあって作業が捗らない事があった。
渡良瀬渓谷鉄道の水沼駅から程遠からずの場所にもこの緑色が勢力を伸ばしています。荒神山には登った事がないのだが、ここの落石には枕状溶岩が混ざっている事が有るので渡良瀬川沿いの石屋さんの展示場に置かれている枕状溶岩の大きな塊は、恐らくこの辺で採掘されたか、拾われて来た落石なのだろうと思っている。黒保根大橋を渡って直ぐの処に、夏の終わりに彼岸花の群落が美しく咲き乱れる昔のキャンプ場があるのだが、ここの少し下流の、水位が低い時には河床を伝っていける場所に珪化して美しい枕状溶岩がある。一つ上流の五月橋付近にも河床や対岸の崖に露頭はあるが近付きにくく、こちらはむしろ上流の石材屋さんが放棄した花崗岩の端材を拾うのに便利な場所になっている。
地図は、産総研のシームレス地質図のこの付近の抜粋で、白く囲んだ辺りに荒神山から落石したらしい大量の枕状溶岩がある。水量が多いと近付けない可能性も高い。
対岸には渡良瀬渓谷鉄道のトロッコ電車が見える様な位置から少しだけ下流に下る。
枕状溶岩は典型的な形状のものが多いので、初めてでも直ぐに判ると思う。急冷を受けてガラス質になった様な岩肌なのでチョット驚くが硬い。大きなものが多いので、叩いても枕状溶岩の雰囲気を形状に残すサンプルは取り難い。
これは比較的小型だが、珪化していても放射状の冷却節理は残っている。
慣れて来るとこのような折り重なったものも順番が判るようになってくる
形状の謎解きも慣れると面白いもんです
これも良い形状ですね。
真ん中のピローから下に溶岩が流れ出している
運が良いと、この様に矢穴の残る花崗岩が観察されたりする。さて何時の時代のものやら?此処から上流は「沢入:そうり」花崗岩の産地で、今は無くなったが昔学校のグランド等に巻いていた風化花崗岩の粗い砂はここのものが多い。
園内にはこのようにチャートの露頭もあります。