2020年4月2日木曜日

土浦市東城寺の結界石

昨日(3月31日)は予想外に昼頃から雨になってしまったが、つくば市から土浦市方面の泥質片岩(黒雲母片岩)の史跡を訪ねてみた。中でも土浦市東城寺は付近に泥質片岩の採掘跡や現在も稼業中の採掘場も在る場所です。紅柱石が含まれるのはもう少し東のかすみがうら市雪入なのだが、急がば回れで周辺の詰めを忘れてはいけない。

山門脇の道が狭いので歩いて登ったが、舗装道路が上まで続いていて普通に境内に来るまで行ける。西側の池のある場所は採掘跡で南西側は現在も家業中。砕石と粘土を採掘しているらしい。この付近の遺跡から発掘される瓦などの粘土製品は雲母が含まれていてキラキラ光るのです。

参道を登る途中に、何気なくこのような花崗岩の貫入跡が観察されます。歩く事は良い事です!

参道の上部はこのようにほぼ泥質片岩の階段になっています結構昇り降りには苦労します。勿論、別に車用の道路は有ります

間もなく「境内」です。

余り怖くない仁王像がひっそりと境内を守っていましたが私はすんなりと入れましたネ!
衣の下に出ている膝小僧の位置から見て凄まじい胴長・短足のお姿が目の怖さを、お顔の形状と共になんとなく優しさを表現しているのか・・・

境内は桜が満開です
結界石は画像の左手の小さな屋根掛けの場所にあります。

結界石の説明。ここには一枚だけで残り四枚は参道下の集落内に在るようでしたが地図が曖昧なので諦めました



これが結界石。勿論泥質片岩

境内の泥質片岩にはこのように脈状の貫入がんが観察されます

裏手に板碑が集められた場所がありましたが、この様に雑木林の中で、他にも沢山有るのですが一つ一つの岩相を確認するのは諦めました。

2020年3月31日火曜日

香取市大戸の下総型板碑群

香取市大戸は、つくばの黒雲母片岩を香取の海を舟運で運ぶには適地に在るのだが、ここには半加工のものや素材も残されていて興味深い。
尚、ここには千葉県指定文化財の板碑も二点存在する。中間で折れたものも有るが、文化財指定のものは正元元年:1259年の銘が残る。画像は数年前の撮影で、下総型板碑も石材の資料集に収集する事にしたので、何れ再度撮影に行こうと考えている。







黒雲母片岩の強度が緑色片岩よりは劣るのだろう。この様にに三か所で折れてしまったものが多い。

加工途中なのか風化で表層が剥がれたものか・・・

加工途中で折れてしまったものだろうか、彫刻が観察されるものも含まれている

紅柱石が多数生成しているもの。平らにしたのでこのように観察できるのだが、普段は破面などのごく一部に観察されることが多い。

宝篋印塔の部材だろうか、銚子砂岩の素材も数点

2020年3月29日日曜日

弘化二(1845)年に建設された緑色凝灰岩の基壇

赤沼香取神社の社殿は昭和35(1960)年に建築されており、境内も清潔に保たれた神社で、改修に際して、本殿基壇に使われている石材も洗浄して頂いたものらしく、全体に美しく基壇を観察する事が出来ました。本殿基壇の裏側に寄付を奉じた方々のお名前と共に『奉造立弘化二巳年三月吉日』との刻銘が明瞭に観察される。石材が美しく保たれている事だけでも嬉しいが、この様に造立された時期が確認出来る事は特に嬉しいのです。この日は、バス路線の関係で、松伏町の二ヵ所の神社と、春日部市のこの赤沼付近と一ノ割~武里付近の神社有等10か所を巡る事が出来たが、六ケ所で伊豆の凝灰岩質石材を観察する事が出来たが、距離が長く少々草臥れた一日だった。二日連続のFWで、改修後も以前の石材を使って居られる複数の神社に出会うことが出来たのは幸いでした。

図の左手、一段高まった部分(基壇)の石材が、火山角礫を含む緑色凝灰岩。比較的硬く風化にも強い。

基壇の笠石に刻まれた年号「弘化」

四隅は安山岩質切り石で縁取りをしている。笠石は私が勝手に「げんこつ」と呼んでいるやや風化した大きな暦の隙間を淡緑色細粒の凝灰質がしっかりと埋めている石材で、礎石や、文字庚申塔等に良く用いられる石材。

含まれる石材中の角礫の大きさはさまざま

右手のスケールは 17 cm

杏仁構造を持つ火山岩が必ず観察される。

杏仁構造部分の接写拡大図。少し焦点がくるってしまった。接写用のステーを使わなかったのが失敗。玄武岩溶岩等の既報に、沸石や石英成分が空洞を埋めたもので、溶岩中の結晶とは異なり、角ばらず白い部分の外形が緩い曲線を示すのが特徴。熱水の影響を受けた事が判る。

昨日のコース。自宅を7時前に出て終わったのは15時頃。四角い部分のデータは赤沼香取神社のポイント。旗のマークが無いのは立ち寄ったが、凝灰岩の石材が見つけ出せなかった場所です。