2020年6月20日土曜日

岩石と地層の表情:053;鎌倉石の石丁場(1)

茶褐色の五輪塔や宝篋印塔に使われている石材に「鎌倉石」と呼ばれている凝灰岩質石材があります。いろいろと混同もあり、横須賀の鷹取山の凝灰岩に似たものが有りこれを「鎌倉石」と呼んだり、藤沢市内の凝灰岩を「鎌倉石」と呼んだりしますが、実は鎌倉市内には凄まじい数の石丁場が存在していた事が判っています。多くは鎌倉周辺の住宅地開発に潰されてしまいましたが、今尚数多くの井石切丁場跡が市内に現存しています。鋸山の様な大規模な丁場では無く、ごく狭い小さな土地を採掘権込みで一定期間借地して切り出していた様です。鎌倉の散策をするとその様な石丁場跡の直ぐ傍を歩きながらも気が付かない事も多いようなのでその一部をご紹介します。
鎌倉市が遺跡の予備調査を行った際の地図を基に調査用に加筆等をした分布図で、鎌倉市東部の竹林で有名な「報国寺」の南に位置する「衣張山」付近の石丁場分布図です。緑色の線は私も歩いたハイキングコースで、赤線の四角で囲んだ[平282]等と書かれた数字がほぼ石丁場跡として間違いない別途リストとの照合用整理番号。黄色で塗った部分は石切の痕跡が残る崖の所在。緑四角の中が黒く塗り潰されているのが横穴式の石切場。水色で塗られた場所には「切り石」が確認された場所を示しています。ハイキングコース脇に意外と多くの石丁場跡が現存しているのは、ハイキングコースがなんとか開発の手から免れている場所を通っているからなのでしょう。
衣張山の山頂脇に有る、ハイキングコースから僅かに外れた(道は有る)横穴式の石切場跡です。残念ながら岩石に大きな割れがあり途中で採掘方向を変えざるを得なかったのでしょうが、チャンと石切の定法で「垣根掘」の手法で横穴を掘り進んでいます。
浅い石切り場はどうしても割れ(節理)が多く様々に採掘の方向を探りながら掘り進んでいます。
壁面の採掘跡を拡大しています。ツルハシの工具痕が意外と緩い角度で入っているのでここで採れる石材は比較的柔らかかった可能性が感じられます。勿論、石工のツルハシの使い方の「癖」の可能性もありますが・・・
洞内の転石の拡大画像で見ると比較的細粒です。実はこれに少し似た石材が房総半島にもあり「七里川石」と呼ばれています。五輪塔の石材名称を聞かれた時に「鎌倉石ですね」と答えて、鎌倉石が房総半島にも入って来ていたのかと思っていたら、地元から、これは地石だと指摘されて驚いた事があります。石質が似ている。宗教的石造物だからと早とちりしては駄目だと戒めています。
この日歩いたコース途中の鎌倉石は少し粗い凝灰岩もありました。
鎌倉石の五輪塔です。
ハイキングコースの直ぐ脇の石切場の崖を木に掴まり身を乗り出して撮影してみました。風化で壁面には切削痕は残っていませんでした。
ハイキングコースに在る何気ない石や掘られた階段もひょっとしたら古い時代のものかもしれません。今の人たちはスコップで切るでしょうからこのような筋目は付かない筈です。
コース沿いに風倒木がありました。右手の「根」が密集している先に樹幹が倒れています。これも剥ぎ取り技法で凝灰岩や泥岩を切り出した跡です。根の浅い雑木が茂って隠されていたのが倒木であらわになったもので、同じようなものは、鋸山の山麓でも嵐の跡に発掘・調査された事があります。
苔生して石質は見えませんが丁寧に見ていくと剥離した部分で石質が見える事があります。この石垣はやや古い時代の鎌倉石の石垣の様です。

2020年6月19日金曜日

岩石と地層の表情:052;金田石を探す

三浦半島で名前だけは判っているものの、実態が判らない石材に「金田石」が有りました。三浦市内で剣崎の北に「金田湾」が広がっていますが、「引橋」の西側に金田地区が有るので何の目星も無いのですが歩いてみました。
GPSを紛失したのでデータが無いのですが、撮影した画像を見ながら地図上に黄色い線で歩いた筈の道を記しています。行き止まりの細い道が結構あるので、この付近を歩く時は注意が必要です。農道が多いのですね。赤線はバス道路。緑色は石材関係のポイントです。黄色の線は二ヵ所の貯水池まで伸びていますが、これは石材産地では、貯水池の堤防に地元産の石材を用いる可能性が有るので確かめに行った為です。
地質図は「三崎地域」と北側はシームレスのままです。シームレス部分の赤線は京急の路線です。交差する灰色の線は、金田地区の北部と前にご案内した黒崎の鼻の根元まで続いていますが、南下浦断層だと思うのですが、こんな細い線では無くもう少し幅を持って考えた方が良さそうです。黄色の線は三浦半島南部の大地に刻まれた細長い谷地形の崖の部分に出ている地層の境界を示すもので茶褐色の部分が初声層の火砕質砂岩で、場所により石材として採掘に耐える可能性を秘めた地層。濃い青と緑は三浦層群の厚いスコリアは別としてまず石材としては通用しない地層です。黄色で囲んだ「岩堂山」は石切の痕跡が残る場所です。
引橋の南側から東に進んでいくと路傍に小さな神社がありました。社殿や玉垣は別にして、基壇とその周りの敷石に手掘りの工具跡が残る切石が使われています。周辺にも少し古い切り石が散乱しているので、石切り場の候補地の一つ。崖の上から下を覗くと余りそれらしからぬ風景なので、「地石」として、必要な時に必要な量だけ採る場所かも知れません。
傍に、馬頭観音が祀られていたので恐らく間違いないでしょう。
同じ初声層でありながら少し砂質ですが綺麗な岩肌です。
盆地に降りて一番西側のため池の手前に露頭が在ります。傍目の手前に水路が在りますが、水路脇に切り石が沢山積んで置かれています。ここに来る手前の路傍にも切り石が沢山ありました。
畑の脇に置かれた切り石のなかでカビが生えていない石材表面の例です。佐島石とは少し違いますが似たような強度だろうと思われます。
低角の断層のような場所にピンクの軽石が出ていました。黒崎の鼻と同じ地層がこの下に伏在しているのかもしれません。
集落の中の「金田走湯神社」の境内が妙に凸凹しています。珍しい事ではありませんが、石材の加工を行って端材を埋めて境内を少し高くしたのでしょう。普通は境内はもっと平らに均すものなのですが・・・「走水」と「走湯」間違いではありません!
集落の中の農家の石塀に緩やかなカーブを描いているものがありました。このような曲線の石塀は、少し厚めに切り出して曲線を合わせていくので、産地の近くや山持でなければ中々出来ない事なので、これは地元石材と考えて良いのでしょう。
佐島石と似ていますが少し粗い雰囲気でしょうか?佐島石でもスコリア層が挟まると結構粗いので類似石材として扱えそうです。

2020年6月18日木曜日

岩石と地層の表情:051;剣崎灯台付近

三浦半島南端の一番東側に小さな灯台の有る「剣崎」が在ります。灯台は標高 29 m 足らずの丘の上にありますが見通しが良いので建物もそれ程高くないのですが、その南側にこれまで見て来た、「宮川湾」~「毘沙門湾」と似た景色が広がります。白い小さな灯台は、故郷の九州の北端の部崎灯台と似た雰囲気(今は埋め立てと石灰石の採掘ですっかり周辺の姿が変わってしまっていますが)が似て好きなので久し振りに歩きました。
緑で囲んだ場所が「剣崎灯台」、左側の黄色で囲んだ部分は「無線方位信号所」で立入禁止。南側の島の様な部分とは西側が僅かにつながっているので潮位が余程高い場合は別にして島の方に渡る事が出来ます。
島の側から灯台を見上げた図です。宮川湾の東側の「盗人狩」等に比べると地層の傾斜は穏やかに見えますが方々に断層が走っています。
逆に灯台傍の崖の上から島の方を見下ろした風景です。西側の島にはコンクリートの壁が見えますが、戦争遺跡かもしれません(確認はしていません)。二つの島と半島とは断層でも在って離れたのでしょうか?航空写真を見ていると時計方向に回転させられた様に見えます。
灯台の西側の斜面を下る道は、石材を敷き詰めています。石材の岩種が気になったのですが、帰りにチェックしようと思ったのに帰りは別の場所を通りすっかり忘れて帰ってしまいました。
左側に一本線を入れましたが、低角の断層が斜めに走り、波打ち際に海食洞が形成されています。この位置で崖を眺めると、堆積層が水平に見えますが恐らく手前が下がる傾斜になっているのだと思います。
二つの島状の場所と灯台の有る崖との間です。右手に斜めに溝が走っていて、段々と離れていきます。
波蝕棚の先に伊豆半島が見えます。小さな凸の部分は小室山でしょうか?
西側の島の側面と、丘の上の無線方位所方向を波蝕棚の端っこから眺めています。手前の黒色スコリアの傾きとしまや灯台のある岬の傾き角度は異なるようです。複雑ですが、石切りをしたような雰囲気は全く残っていません。
この日も風が強く、西の方を眺めると画面左手に小さく城ケ島大橋は見通せますが、この波ではとても毘沙門湾から宮川湾への道を歩く事は出来そうにないですね。

2020年6月17日水曜日

岩石と地層の表情:050;宮川湾の波蝕崖

前回の続きで、宮川湾とその東側の毘沙門湾の間の凹凸の激しい岬の部分を歩きます。ここには、名前が付いていても良さそうな「独立峯?」があり、逆に深く切れ込んだ「盗人狩」があり、その先の毘沙門湾に続くやや足元の不安定な処を歩き抜く事が出来なければ、宮川湾入り口のバス停まで戻らなければなりません。「盗人狩」と言う地名は、由緒は判りませんが、前回添付した地図の【Ω】形の部分。「独立峰?」はその稍西側の小さな丸の位置です。
前方に奇妙な形状の岩峰が見えてきました。周囲は全て同じ高さの波蝕棚なのにごく狭い範囲だけが取り残されています。
奇妙な岩峰の周囲の波蝕棚に入ってもまだ、遠くに城ケ島と城ケ島大橋が見えます。地層は御覧の通り凄まじい角度で立ち上がっています。これだけ分厚い黒色スコリアの層も折れているのにどうしてこの岩峰は生き残る事が出来たのか、不思議です。
覆いかぶさる様な絶壁に近寄って見上げるとここでも地層が様々に折り畳まれている事が判ります。
整然と地層が立ち並ぶだけでも波に強いのかと思っていると、この様にぐちゃぐちゃに折れ曲がりしている地層も含まれています。
凝灰岩の厚い層がありました。左側がやや粒子が粗い級化構造も観察されます。
前後の奥行き感が全く無いベタな画像で申し訳ありませんが、これが「盗人狩」と呼ばれる地形です。奥の方まで水路が貫入しているのでこの地形の入り口部分に小さな橋が架けられています。
もうすぐ「毘沙門湾」にかかる辺りで波蝕棚が水浸しになって来ました。もうこの先を左手に曲がると漁港の施設が目に入る筈と云う処にまで来て、やばい、引き返させられるのか?と言う疑念と不安が頭をよぎります。風は確かに少し強いけどこんなに天気は良いし・・・・・
駄目です!これ以上は長靴と雨合羽が無ければ勧めません!!
引き返す途中で見掛けた急角度で折れ曲がった地層です。
何度見ても不気味な地形ですね。でも美しい!!

2020年6月16日火曜日

岩石と地層の表情:049;宮川湾の波蝕棚

ここ数回は三浦半島の南岸を歩くコースです。天候が良くともちょっとした風が災いして、周回コースが通れずに引き返さなければならない事がありますので、時間には余裕をもって計画をして下さい。崖下から崖上に上がるエスケープがないので前に進むことを諦めたら引き返すしか無いのです。石切場は無く、海食崖と波蝕棚、乱堆積層と、殆ど垂直に立っているようにも見える急傾斜の地層を楽しむコースです。三浦半島南端部の風景は、東側とも西側とも異なる不思議な景色です。
地図の黄線は県道ですがバス通りではありません。バス路線はこの地図の左側でこの県道から離れて直ぐに「宮川町」BSで下車し緑の線を歩いて宮川漁港に下っていきます。そうそう、バス停前の大型農家の石塀は佐島石が使われていました。
次にバス路線と歩くコースが接近するのは「毘沙門港」の近くの「毘沙門天入口」ですがかなり距離があり、更にそのあともう少しと言う処で波しぶきをかぶりながら強行突破をするか、足を滑らせて転倒する危険を避けて出発点に戻るかの決断を迫られます。
潮位と風向きに注意して下さい。黄色いマークはそのポイントで説明します。
波蝕棚が比較的同じような高さで広がるので、凝灰岩と言えどもあまり強度は無いのかもしれないと思いながらも切り立った海食崖の風景は城ケ島や三浦半島のほかの地域とも異なる不思議な雰囲気にすっかり取りつかれてしまいました。
海食崖の地層は凄まじい角度で切り立っています。
平行な地層が切り立っているだけでは無く、波蝕棚の面を見ていると地層が折り曲げられて何処がどの様に折れ曲がり繋がっているのか、下手なパズルよりも遥かに高度な理解力が必要な雰囲気です。
足元は、御覧の通り余り良く無いので雨の日は絶対に避けるべきですし、滑らない・動きやすい服装が基本です
角を曲がると平らな波蝕棚の片隅に細長い水が溜まった部分が有りました。凝灰岩に凝り固まった頭は咄嗟にこの波蝕棚と思った平らな面は、石材を採掘した跡だ!!と思ったのですが、水溜まりのそこの形状を見るとどうも雰囲気が違うし、周辺の崖にも石切の跡を思わせる形状が見当たりません。帰宅後、ネットで様々なキーワードで検索を掛けると、此処は「塩田」の跡だという事が判りました。期待し過ぎてガッカリです。最初の地図の横長の黄色の四角がこの貯水槽です。
これも、塩水を貯める貯水槽だった様です。
折れ曲がった地層の傾きが頭から被さって来る様な角度で迫ってきます。
振り返ると城ケ島への橋が遠くに見えていました
前方に変なものが見えてきました。さて次回に続きます。