2015年12月31日木曜日

下田市・白浜神社脇の石丁場跡 (1/2)

白浜神社付近は駐車場が少なく観察には不便ですが、冬場は人が少ないので意外と簡単に駐車出来る事が有ります。神社に参詣した後に、神社の脇に在る道から海岸に出るとこのような風景が広がります。
少し島に近寄ると手前の方は階段状に削り込まれています。
鳥居の有る島の手前の海岸にもこの日は潮が高い時間帯でしたから波を被っていますが、岩が見えます。
波が引いたタイミングを見計らって見るとこのように人工的な切断面が見えます。これは石材を取り出した跡です。石材の性質については2016年に続けましょう。

2015年12月30日水曜日

下田恵比須島海岸の石材採掘跡

下田市内で比較的アクセスの良い海岸沿いの石材採掘丁場の画像をご案内します。但し、この場所は本当に波打ち際のほぼ汀線付近に在るので、潮の満ち干を良く調べて干潮時だけ行く様にして下さい。
また天候の悪い風の日には波に洗われる事もありますので十分に注意して頂く必要が有ります。
場所は、須崎半島の恵比須島です。バス便は最近本数が少ない様なので、爪木崎灯台方面のバス便を利用して確か「爪木崎入口」で降りて、下り坂を歩き、帰途は須崎発の数少ない便を利用する事がお勧めです。団体ならこの地区の民宿を利用すると良いかもしれません。私が泊まった民宿は待遇が凄く良かったと記憶しています。
島の周回道路が現在どうなっているか?判りませんが、風が強く波が打ち寄せるような状況では、最悪は灯台の横を通る中央突破の道で反対側の海岸に出ると、石丁場の跡が観察できます。
下の画像のやや淡い色合いの部分もよく見ると石切の跡が観察されます。
下の画像では水面下にも石切り跡が観察されます。
この島は地質の変化が激しく興味深い場所です。きれいな粒径が均一な砂岩から、軽石混じりの部分もあれば、礫岩の部分も存在します。


余り知られていないようですが、興味深い場所です。岩塊は固着しています。
海岸の石丁場では、須崎から爪木崎への遊歩道沿い(海側)を歩けば細間島の採石跡が在り、夏場は駐車場の確保が難しいけれど、白浜神社の近くの砂浜や鳥居の立つ岩礁にも採石跡があります。
この種の、貝化石片(貝砂)が多く含まれる石材は、類似石材の産出地も多く、科学的な証明も出来ていませんが、江戸・東京から埼玉県の北部まで運ばれて、商家や神社の礎石として数多く使われています。

2015年12月28日月曜日

伊豆下田の凝灰岩石丁場跡の観察例の御紹介

今日は下田市内の伊豆急下田駅から車で10分以内の近場に在る石丁場のお話をさせて頂きしょう。
下田市内の中心部には、実は古い石丁場跡が有ります。文化会館の在る辺りの八幡神社や現在の私立幼稚園もその一例です。残念ながら私立幼稚園周辺の丁場跡は津波避難の際の危険除去の為に数年前に吹き付けコンクリートで覆われてしまっていますが、八幡神社の境内にある灯篭などは地元産の石材です。この石材(に類似性の高い石材)は埼玉の川沿いの宿場町まで大量に入ってきています。

私達は、これまでに下田市内の敷根地区に在る多数の石丁場の中で、夫々に特徴のある石材を産出して居た坑道タイプの地下採掘場の三か所にご案内を頂いて入坑した経験がありました。
千葉県船橋市の船橋大神宮の東西の石垣に用いられている白色の凝灰岩質石材と類似性が非常に高いと考えている石材が、伊豆急下田駅から直線距離で1km程度の処にあります。栃木県足利市の旧家の美しい縞模様を示す石材は、勿論下田市内の古い商家の両袖等にも使われていますが、これは白色凝灰岩を採掘する丁場跡の尾根を挟んで隣の丁場でした。足利の旧家の縞模様の石材は石塀の北側に位置していますが、西側は風化面はやや淡い茶系ですが、実際の石材は淡い緑色です。足利では一部が明らかに大谷石で補修されています。(船橋大神宮もかなりの規模で大谷石に置き換えられています)、最初に入った稲生沢川左岸の石切場はその石材と非常に類似性が高いと考えている石丁場です。

伊豆の石丁場を全て巡ったわけではありませんが、比較的坑道型の地下採掘の丁場が多い様です。房総半島では鋸山に観られるように開放型の丁場が多く存在します。鋸山の採掘された地層は褶曲により上総湊から湊川沿いに東西に延びて勝浦の南付近まで点々と採掘跡が現存し、一部は地元の方々の努力で整備保全がなされ、地元の教育現場で生かされている例もあります。房総は同じ地下採掘でも開放部が多く、かなり光が差し込み観察が容易な丁場が多いと感じています。
但し、日光に晒されているとシダ類が繁茂して石質の観察には往生する事があります。石丁場跡に入る際は常に壁面や天井の崩落の危険性があるので、現場の状況に詳しい地元の方々の情報を得ておく事が大切ですし、常に複数で行動する事、大きな懐中電灯と予備の電池を携行する事、急斜面での移動用にロープを用意する事等も大切ですがまず第一に、可能な限り地権者の了解を得る事が求められます。イノシシ除けの電気柵への注意も重要ですね。

宅地跡のある広場から切通風の地形の中の土砂が緩く堆積した急斜面を滑りながら登ります。体重80㎏の私はこのような土砂の斜面は苦手です。斜面上の小さな足掛かりの場所から1mほどの高さに在る平場に在る小さな立ち木に縋って登るとその後は崩落した大きな岩塊の上を飛び渡り、岩石屑の堆積した斜面を上り下りしながら広い丁場の中を行き来する事が出来ました。幸いな事にこの丁場は所々に明かり窓があり、比較的うす明るい空間で写真を撮りやすい環境でもありました。

大谷石の地下採掘と同様に大きな列柱が残されて高い天井を支えていましたが、石質(強度)にばらつきが有るらしく、採掘跡の空間の壁面の方角はまちまちでした。部分的に粗く弱い部分があったらしいことは、坑道の一部が完全に陥没したり、大きな亀裂や採掘跡の在る大きな岩塊が倒壊していることからも理解できました。三脚を持参しなかったので、広い空間を長時間露光でとらえる事が出来なかったのが残念でし
た。
上の画像は壁面が大きく崩壊した例です。この右奥では隣室との境が大きく崩落していました。
奥の壁面が屋や茶色に見えますが、崩落した部分を繋ぐと、丁度この辺に地層の境界が有るる雰囲気でした。伊豆の地層は変化に富んでいます。
壁面にはこの様に大きな亀裂が生じて少しずれが生じている部分もあります。

大部分の緑色凝灰岩は、一般的な大谷石に観られるような味噌が無く全体が細かな軽石が変質を受けて、緑泥石か緑簾石が生じているものと思われました。破断面の観察では四谷駅前再開発の商家の基礎に用いられた「ローソク石」と非常に類似性が高いのですが、やや細粒部分が多いのと、壁面に残された採掘痕から判断される石材の採掘寸法が、ローソク石とは全く異なる事が見て取れました。坑内二か所で大きく露天の場所が有り、GPSデータを取得してみましたが、竪穴の深さが深く樹木が生い茂り、一か所では誤差範囲が20mもう一か所では10mほどの推計値が示されていました。

坑内の斜面を造る転石(ずり)の中に、市内の弁天島や柿崎等に観られる貝砂を含む淡い茶系の石材も見られましたが、残念ながら壁面では観察する事が出来ませんでした。このずりの堆積は巨大な垂直の崖を形作る開放型の採掘跡につながっていました。

伊豆半島では松崎町に、無人ながら町が整備し照明も付けられた室岩堂と言う坑道型の採掘跡が公開されています。下田市内では、干潮時に観察可能な海浜の石丁場跡が、須崎半島の恵比須島や白浜神社の浜の鳥居のある島付近等にあります。白浜では漁協の駐車場傍に、凝灰岩質石材を用いた石蔵があり。下田一~三丁目には数十か所に石蔵、家屋、礎石等を観察する事が出来ます。凝灰岩の顔(岩相)を観察するのも旅の中での楽しみです。伊豆急下田駅前に近い「旧南豆製氷所」は既に取り壊されてコジャレタレストランに生まれ変わっていましたが、ガラス張りの店内の石材や周辺に置かれた石材は今も観察可能です。

2015年12月20日日曜日

四谷の発掘現場で観察した白色凝灰岩

四ツ谷駅前再開発の発掘現場で出土した石材の中に、白色の凝灰岩が含まれていた。最初の画像は少しピンボケとなったがその破断面を撮影したもの。
この下の画像は薄汚れているが実は白色の凝灰岩らしい。洗えば白色が見えるのだが、画面中央下部に軽石らしい構造が見えている。この画像では粒状の組織に注目して頂きたい。
以下の3点の画像は、伊豆のある場所に使われていた白色凝灰岩の石塀の風化面ばかりをさつえいしたものです。風化面と破断面では見え方が違ってしまうのだが、多分同じ種類の石材だと思い比較してみた。伊豆では白浜層群に白色の凝灰岩が結構産出して居る。下田市内でも数か所採掘跡が存在している。四谷の町屋に使われた礎石類は、導入された時代から見ても房州石よりは伊豆軟石の可能性が高いようだ。


2015年12月16日水曜日

ロウソク石に用いられた緑色岩

前の画像とは別の発掘現場で拝見したのは「ローソク石」です。これは縦長の石材を松杭のように建てたものです。このように土中に埋まっています。ここでは緑色の凝灰岩質砂岩がローソク石として使われていました。清掃前で色合いが見にくいかもしれませんがローム層の中で緑色は結構目立ちます。
杭の上面が見えていた例です。通常はこの上に平らな石材をおきます。
少し、絞りをミスったのですが、このローソク石も緑色の凝灰質砂岩でした。
石材の表面です。緑色であることが良く判ります。この手の石材は原則として伊豆です。以前は「湯ヶ島層群」と呼ばれていた時期もありますが、現在では「白浜層群」の岩石が熱水による編成を受けていると理解されているようです。

2015年12月13日日曜日

伊豆半島産の緑色岩化した砂岩石材

先日、機会を得て都内二か所の遺跡発掘現場の見学をさせて頂いた。その内の午後に回った新橋に近い発掘現場ではどうやら伊豆石と考えられる砂質凝灰岩の石材が建物の初期建設部分に大量に用いられていました。その中で、特に注意を引いたのが子供のこぶし程度の大きさに砕いた採石が緑色を示していた事でした。房総半島や三浦半島ではこのような緑色岩化した砂岩はありませんので、伊豆産と判るのですが、このような砕石まで伊豆から運んでいたことに驚きました。勿論、成形された石材も、泥のついたままの観察なので見落とすことが無いとは言えないのですが、成形された石材では同類の石材は非常に少ないのでおそらく石丁場からの出荷の際に舟で同時に運んできたものだと思われました。
普段は礎石と言えども、人目に付く場所に使われている石材ばかりを観察していましたが、今日は両方ともに「人目につかない」石材だけを観察する事が出来ましたので大変参考になりました。
これらの石材も泥を取れば中央の一本を除けば緑色かもしれません。建物の礎石です。下の画像は、はっきりした緑色岩の例です。雨どいの受けなのでしょう。かなり堅そうです。
砕石を撒いたた部分です。既にやや薄暗くなっていました。スケールはルーペです。
小さな砕石を一個頂き、一つの面を#800で磨いて平面を造りデジカメで拡大してみました。
参考用に上総湊で神社の境界石の笠石に使われていた貝砂入りの砂質凝灰岩です。スケールは同じものを使っています。淡い茶色の部分は研磨で平面まで至らなかった凹みの部分です。
下の石材の表面に希塩酸を掛けると、炭酸ガスの泡が出るので石灰質(白い物は貝の破片が殆どなので)と判るのですが、上の緑色岩の場合は、同じように希塩酸を掛けても極く限られた場所のルーペで見なければ判らない程度の発泡なので発泡量は全く異なります。

2015年12月7日月曜日

上総湊の神社で石垣の笠石

上総湊の神社で花崗岩製石垣の笠石に用いられていた貝砂の入った凝灰質砂岩を頂いていましたので、実態顕微鏡で観察をした折の画像を御紹介します。破断面を簡単に削ってやや平らな部分を造っています。
横幅が30mmの部分拡大図です。
視野直径はほぼ10mm程度です。貝砂が目立ちます。

勿論、堆積方向に対してどの方向から見るかによっても印象は大きく変わります。

2015年12月5日土曜日

少し古い瓦 (14)  真岡の瓦の拡大画像

11月の14日と16日に画像を御紹介した栃木県真岡市で頂戴した105年前に棟上げされた長屋門に使われた瓦の断面を実態顕微鏡を使用して、コンパクトデジカメでこコリメート撮影してみました。スケールはありませんが、水平方向が瓦の厚みです。目の細かなやや淡い色の粘土と、やや濃いめの粗いシルト質の材料が余り混じらずにいて面白い模様を見せてくれています。




一番驚くのは、この気泡の例だけでは無く、気泡の形状をしていないけれど隙間が多い事です。









2015年12月2日水曜日

シールド掘削 最近のセグメント ”K”セグメントの軸方向挿入とボルトレス

先日、四谷で発掘作業が行われているという情報を得て少しは見えるだろうと状況を見に行ったのだが、まだ私が見たい状況にまでは至っていなかったので、あきらめて外堀通りを市ヶ谷方面に歩いていたらセグメントを積んだトレーラーが時間待ちをしているらしいのが見えたのでちょいと撮影。4リング分ですね。
 セグメントを組むのは結構大変な作業なので、東京湾横断道路の場合はセグメントの自動組み立て装置が結構活躍して、確か1時間以下で1リングを組んでいた。正し、東京湾の時のように大型のシールドならそれなりの作業空間と自動化の為の費用をかけられるけれど、普通の下水程度のシールドでは空間もないし費用も掛けることが出来ないので、ボルトを出来るだけ使わずにセグメントのピース間の締結が出来るように工夫されてきている。これもその成果の例でずいぶん簡単になっている。
 5個のセグメントピースを食い合わせて一つのリングを組み立て、そのリングと既に組み立ててきたリングとの長手方向の締結も、ここではボルトレスで溝と板状の金具がしっかりと組み合わされて締結構造を構成するようだ。
 長手方向の締結はこの矢印の先端のような形状をした金具が締結させるようだが意外と細いものです。
 一番上に載っているのは”K”セグメントだが、長手方向にかなり大胆にテーパー形状になっているのが判る。この軸方向挿入型が完成する前は、この”K”セグメントが土圧がかかる場合の弱点だったのだが、長手方向に挿入するためにジャッキのストロークがやや長くなったので急曲線には不利だがそれを上回る利点が得られたと言える。

2015年11月28日土曜日

興味深い岩相の一致

この処少々体調を崩した為に更新が出来ない日が続いています。少しずつですが復帰に向けて努力中です。
今日は房総半島の鋸山の麓の「浜金谷」で第7回金谷 石のまちシンポジューム「房州石の歴史を探る」が開催されたので聴講に参りました。シンポは午後だったので、午前中に高宕石との関係で少し気になっていた上総湊の神社で使われている房州石の再確認に行って来ました。
上総湊には湊川沿い(右岸)に「岩井堂」や「鶴峯八幡神社」等の直登の旧階段が有り、房州石が使われています。この階段に使われた石材と、高宕山の石材を比較したかったのと、一ヶ所、御影石の石垣の上の「笠石」に貝砂が含まれた砂岩が使われているので、その材質も再確認したいと考えての事でした。上の画像がその石垣と笠石のものです。丁度境内の清掃に氏子の方が来られたので、少しお話を伺って居ましたら、石垣の上の草むらに笠石とは別にポツンとあった石材を指して、これを割って御持ちなさいと言って下さり、片手ハンマーまで貸して下さいました。サンプリング用の岩石ハンマーとタガネは持って居ましたが意外と堅く何とか割って小片を持ち帰らせて頂きました。
午後に、シンポジュームの会場で展示物を観ていると東京都内の発掘で出てきた石材の一つに貝砂が多量に含まれているものが有りましたので、両方をルーペで観察してみると、下の画像ではそこまで判らないでしょうが、小さな、1mm以下の赤色のスコリアが両方とも殆ど同じ様な粒度と分布で入っているではありませんか!貝砂の量は都内のものの方が多いのですが、貝砂は比重が小さいので濃集する事は良く在る事ですが、スコリアの状態が余りにも似ているのです。
都内で発掘されたものは、場所柄で伊豆産の可能性が高いのですが、伊豆の白浜層群の貝砂を含む石灰質砂岩が天神山石や海良等の房州石産地の目の前のこの神社に供せられる事は考え難い事なので、都内のものも、房州石である可能姓を検討する必要がありそうです。
湊川左岸の売津には「貝殻目」と言う石材名称がありました。現存の石丁場では貝殻はあまり目立たないのですが、実際にはたまたま貝砂の多い部分が目に止まらなかっただけかも知れないと思い始めています。少々厄介な発見ですがこれから頑張って比較検討をしてみようと考えています。下の画像がその石材の表面の一部です。
常用のカメラを修理に出しているのでポケットサイズのカメラでの撮影です。週末に博物館で実体顕微鏡を用いて細部の撮影をしてみたいと考えています。