2010年2月20日土曜日

群馬県下仁田町中小坂鉄山(12)

さて、この画像はお判りでしょうか?製鉄の際に出来たスラグ:鉱滓と呼ばれるものです。鉱石に含まれていた珪酸塩や完全に分離できなかった鉱物分が残って表面に浮いていた部分です。「ノロ」とも言われます。私は北九州市の戸畑区で育ちましたが、現在の新日鉄の八幡製鉄所の高炉で発生したこの鉱滓を戸畑製鉄所側に送り込んで埋め立ての材料とするために、高校の直ぐ傍を専用の「鉱滓鉄道」が複線で走っていました。
鉄だけでなく銅やその他の金属でも精錬時にこのノロが出ます。その中にはまだまだ金属成分が残っていて、以前福岡の空港でしたか、秋吉台傍の長登銅山のノロの小片を持ち帰った時に、金属探知機に検知されて驚いた事がありました。

2010年2月19日金曜日

群馬県下仁田町中小坂鉄山(11)

少々手抜きをして、斜めに撮影してしまいました。この図を改めて見ながら、この当時は焙焼炉や高炉に使うレンガも輸入品だったのか?興味が沸きました。この時は確認をするのを忘れましたが、高温に晒される耐火煉瓦は当初は国産が難しく、海外からの輸入に頼っていた筈です。当時の耐火煉瓦であれば、平らな面に“KCC”とか“ATK”,“TRO”等と文字型が押されている筈です。国産であれば恐らく「品川煉瓦」だと思います。

2010年2月18日木曜日

群馬県下仁田町中小坂鉄山(10)

これは採掘した磁鉄鉱を高炉に投入する前に前処理工程の「破砕」を行い易くする為の「焙焼炉」の基礎部分だそうです。磁鉄鉱と言えども鉄以外の成分が含まれて居ますので、これを加熱してやれば砕けやすくなる、或いはその工程で砕けるので、細粒(といっても約3cm以下)にして高炉に投入するのだそうです。次の画像は「中小坂鉄製鉄所」の設備配置図のある説明板をご紹介する事にしましょう。

2010年2月17日水曜日

群馬県下仁田町中小坂鉄山(9)

なんでこんな石垣の画像があるのだ?と思われる事でしょうが、これは中小坂鉄山の工場敷地を造成した時の石垣だそうです。この様な石垣の素材は山岳に近い急流の河川には何処にでも有るのかと思っていましたが、埼玉県と東京都の境が接しているある場所で石垣の補修をしておられた方に伺いましたら、この様な石垣に使う礫は群馬県産が多いのだそうです。埼玉県でも緑色岩は分布しているのに意外と取れないのだとお聞きして驚いた事がありました。

2010年2月16日火曜日

群馬県下仁田町中小坂鉄山(8)

鉄鉱石をハンマーで割った時に、鉱石の割れ目の間からこんなものが姿を現しました。薄い部分も鉱石の表面に沢山見られるやや上の粒状の物も「方解石」だと思いますが如何でしょうか?他の場所では石灰分がホンノ僅かですが析出して小指ほどの鍾乳石が見られたり、銅成分による鮮やかな緑色の緑青が見られる事もありました。

2010年2月15日月曜日

群馬県下仁田町中小坂鉄山(7)

似たような画像も有りますが、これも磁鉄鉱の路頭の一部です。手前のやや平らな右下がりの部分は昔の軌道の後です。
尚、この場所は私有地です。見学に入る場合は必ず地主の方の了解を得てから入るようエチケットは守って下さい。

2010年2月14日日曜日

群馬県下仁田町中小坂鉄山(6)

鉱山や石切り場には必ずこの様な御社が祭られています。大体は馬頭観音ですが、これは石材や鉱石の運搬に馬の力を必要とする為なのでしょうか?一通りの見学の後、小高い場所に祭られた御社に詣で、遥かな昔と言っても地質学的にはごくごく最近の鉱山採掘への従事者に思いを馳せました。採鉱・採掘に従事された方々については日本中何処を探しても語られる事が殆ど無く記録も残されていないのが残念です。