2013年10月5日土曜日

野蒜石:塩竃石を用いた建築 (1)

塩竃石を野蒜石の範疇に組み込む事には違和感を覚える方も居られるとは思う。
塩竃石は1/50,000地質図幅「塩釜」では松島湾層群網尻(あじり)層最下部の軽石凝灰岩とされ、川下石は中新世志田層群根古層の軽石凝灰岩であり、野蒜駅北側は野蒜石と同じく松島湾層群ではあるが、上部軽石凝灰岩部層。更に東名運河の南側には松島湾層群の凝灰角礫岩部層が分布し採掘されている。
 しかしながら、塩竃石の資源枯渇時には「小野」地区と川下地区で採石が行われており、「塩釜石」の建造物と云えども、正確に塩竃で採掘されたものか?判断材料がないので此処では一括して扱う。岩相についても現在までの調査ではそれ程の大きな差が確認出来ていない。勿論、調査不足の指摘は甘んじて受けるしかない。今後の調査で更に裏付けを得てゆきたいと考える。

塩竃石の建造物としては取り敢えず本塩釜にあるこれは酒造業者の蔵だと思われる巨大な石造建築物をご紹介する。

2013年10月4日金曜日

野蒜石:川下丁場 (4):切断装置

石材の切断に用いられている装置は大谷で用いられているものと同様で、横方向については手前のハンドルでチェーン駆動で減速機構が組み込まれたワイヤーを巻き取るウインチを利用し、丸歯のカッターは、電源ケーブルが見えないので、小型のエンジンを積んでいるらしい。残念ながらシートに包まれていて確認出来なかった。

2013年10月3日木曜日

野蒜石:川下丁場 (3) 石材の表面


上の画像は恐らく矢を用いて起こした面、下の画像は言うまでも無く切断された面です。夫々に内部構造の現れ方が異なり興味深いので両方を一緒に掲示してみました。

これに少し似た石材が伊豆の下田にもありました。何れご紹介しましょう。現在は勿論採掘されていません。

2013年10月2日水曜日

ご案内:房総半島 金谷で「第5回 石のまちシンポジューム」が開催されます!

詳細はこのポスターを御読み頂ければ大体お判り頂けると思いますが、10月12日にこの様なシンポジュームが開催されます。私のこのブログを閲覧して下さる方の中にはきっとこの催しにも興味を持たれる方も居られると思いご案内させて頂きます。

金谷ストーンコミュニティーの鈴木裕士様は、このシンポジュームの主宰者で有ると共に昭和60(1985)年までこの鋸山で房州石を採掘して来られた鈴木家の御当主です。

石川県金沢城調査研究所の西田氏、冨田氏は、我々岩石屋(勿論、小生はその中でもアマチュアですが)とは別の手法で、房州石採石の歴史に迫る遺跡調査等のプロです。
今回も新発見の丁場情報など興味深い報告をされると思います。

伊豆軟石の主要な産地の一つである下田市の教育委員会から増山順一郎氏が出席されます。
増山氏は下田市内の石丁場にはとても造詣が深い方なので興味深いお話を聞く事が出来ると楽しみにしています。

尾張藩上屋敷遺跡は、市ヶ谷の現在は防衛省の存在する場所です。遺構の中には水路と思われるものが有り、間知石に挟まれた間に、明らかに凝灰岩と思われる加工表面を持つ石材が敷きつめられています。
残念ながら、遺跡の調査報告書(4巻)に掲載された画像ではどのような凝灰岩が用いられたのか読み取る事は出来ないのですが、間知石が小田原などの真鶴や熱海付近の石材であれば、伊豆軟石が用いられている可能性が高いのでしょう。遺跡調査報告書からは読み取れない情報にどのように迫って頂けるのか興味を惹かれます。

野蒜石:川下採石丁場 (2)

主の居られない時に訪問してしまい撮影させて頂き申し訳ないのだが、これが現在の丁場の全景。切断機はユンボ(正式には油圧ショベルだろうか?)の陰に隠れています。

10月にはもう一度東名と小野を歩く予定なので、運が良ければもう一度訪ねてみたいと考えています。前回と同じタクシーの運転手さんに出会えれば良いのだけれど・・・・
川下の対岸に吉田川と鳴瀬川を挟んで「小野」地区がありますが、塩竃石で農業倉庫等を建築していた方の記録に、塩竃石の資源が枯渇した時に「野蒜の小野」から採掘し始めたと書かれています。地質図では現在の「小野」地区には、石材となりそうな凝灰岩は分布していないのですが、小野地区には石材業者が数軒存在していた時期が有る事は判明している。

2013年10月1日火曜日

野蒜石:宮城の凝灰質石材:川下石 (1)

今日から暫くの間、旧仙石線東名~野蒜地域で採掘されていた「野蒜石」を取上げます。
画像は現在も唯一この石材を採掘して居られる川下(かわくだり)の大友氏の丁場。
野蒜石は塩竃石に始まり、松島石、東名石、等の名を冠しながら長い年月に亘って採掘が続けられ、その石材は北上川の水運等で岩手~青森方面まで農業倉庫や石蔵として用いられ、現在も多くの石造建築物がある石材です。

採掘をしておられる大友さんには、小生の時間の都合でお会いする事が出来ませんでしたが、情報に拠れば最近石材50本の注文が入り、この様に切削した石材をこれから成形する様です。
川下(かわくだり)の石丁場は、三陸自動車道・仙台松島線の鳴瀬奥松島ICの傍に在ります。
ICの南西側に広がる「ひびき工業団地」は造成時に石材が大量に出て来たのでその処分費が膨大になり工事費の追加が問題になった場所でもあります。
恐らく、この場所が、塩竃石の資源が枯渇した時に採掘を始めた場所だと見当を付けています。
大友氏の丁場は探しにくい場所ですがICと吉田川に挟まれた小さな丁場です。

2013年9月29日日曜日

伊豆半島,下田市須崎,恵比寿島の“Z”型変形構造 (2)

9月26-27日の二日間に千葉県立中央博物館が10月に開催する「県外岩石観察会7 伊豆半島と伊豆石」の下見を行い(2度目)その際に撮影した画像の整理が終わらないので、実は始める予定だった「塩釜石・松島石・野蒜石」等の画像集を始める事が出来ないでいます。
その為、恵比寿島の興味深い変形構造を数枚取上げてタイミング調整です。
これは小さなラミナの部分が折れ曲がっていて興味深い画像です。