2015年5月2日土曜日

旗山崎砲台跡の石積み (1)

猿島の画像の次は旗山崎の取敢えず凝灰岩ここは明らかに三浦半島産




2015年5月1日金曜日

横須賀市猿島に用いられた石材 (7)

 上の画像は砲台の一番大型の施設が並ぶ場所だが高い石垣が造られている。下の画像はその一部を拡大したものだが、ざっと石材の表面を見ると房州石と似た雰囲気が有るが赤茶色の部分が目立つ。この石材は房州石では無く三浦半島産の石材だ。
 横須賀市の観音崎砲台でも地山をそのまま構造物とした場所が有るが、ここでも表面にモルタルを被覆して保護策を取った痕跡が残るが、地山をそのまま利用した部分が有る。

 下の画像は洞道の内部でアーチ部分はコンクリートだが側面は地山そのままである。
これは島の東部と結ぶ人専用の狭い洞道の側面

2015年4月30日木曜日

横須賀市猿島に用いられた石材 (6)

 上の画像では右手が積み上げた擁壁で、左側は地山そのもの
 ここのレンガ積の洞道アーチはテーパー材を用いていて美しい。
これは北端の砲台に抜ける洞道の台車用、人道は左手。
 石材のブロックはやはり赤茶系の強い三浦半島産の石材
洞道の腰の部分に使われたものの一部は風化により剥離している。海風の影響か?
この洞道は一番上の画像に見える洞道

2015年4月29日水曜日

横須賀市猿島に用いられた石材 (5)

猿島の石材に興味を擁いたのは、猿島が国の史跡に指定される事を祈念してのシンポジュームを聴講した時に主宰者側の教育委員会の方が「猿島には房州石が使われている」と発言した事にあります。元々そんな噂を聞いて居たからシンポジュームに参加したのですが、文化愛調査等を担当する教育委員会の方から直接そんな話を伺うとそれではどんな房州石が使われているのか?確認してみようと島を訪ねた次第です。でも、どうにも探し出せません。これは島の中央部の要塞内のトンネルが三か所集まった場所なのですがこの右手の崖は地山です。
 トンネルが集まる部分にはこの様に石垣が組まれていて、これは恐らくは間知石では無くブロック状の石材で、表面には苔や黴類が繁茂していて素地が見えにくいのですが確かに雰囲気は房州石の模様に似ていますが、実は素地は赤茶色で房州石には無い、鷹取山や古い鎌倉石・池子石に似た石材です。段々と大きくしているので(勿論撮影した場所も少し移動しているけれど)素地が見えてきますが、これでは房州石とは言えません。



2015年4月28日火曜日

京成電鉄 旧博物館動物園駅

確証が有る訳では無いが京成電鉄の廃止された博物館動物園駅の上野の国立博物館敷地の角にあるこの建物はコンクリート造ですが、外廻りに用いているのは万成石では無いかなと思っています。この処、歴史的建築石材の調べ物の関係で国会図書館より歴史資料が豊富な国立博物館の資料室に通っていますが、50年近く昔に何度か利用させて頂いて居たこの出入り口の横を通りながら、これは多分万成石だろうな!と思うのでUPしてみました。中川俊二氏の設計と聞く。1931年竣工。




横須賀市猿島に用いられた石材 (4)


船上から望遠レンズを用いて手持ちで撮影したので、多少ぶれているのはご勘弁願うしかないのだが、船着き場の東側に見える護岸の状況です。鳥の糞で真っ白になっている崖の下です。
間知石の控えが結構長いですね。間知石と言うよりは煉瓦状の大きな石材の地山側に玉石などを入れて傾斜を調整しながら石垣を組んだような雰囲気で、更にその奥にも積み上げた石材が見えます。海岸部の画像は此処までです。次からは要塞部の石積を紹介します。レンガも。

2015年4月27日月曜日

横須賀市猿島に用いられた石材 (3)

 島の西端の恐らくは旧軍事施設の擁壁だろう部分には黒色スコリア質の石材が用いられている。この種の石材は、自家消費のケースを除くと殆ど市場に流通した気配は無いが、意外と海岸部の擁壁に用いられて、間隙率の高い新小松石等に比べると耐久性が高いらしく、横須賀市佐島の天神島でも水際の擁壁に使われているが、中に少し弱いのが有るので時々この様に崩落してしまうが、これは必ずしも此の石材の問題とは言えず、背後の裏込め材の良否に大きく影響される。
生産地は特色が無いので特定できないがこの付近なら旗山崎でも採掘可能だし、採掘された痕跡も有る。旗山崎でもここと似た擁壁が有る。擁壁の直ぐ傍に採石の痕は残っている。