2009年11月28日土曜日

千葉県清和県民の森(4)

断層?と思いそうな構造ですが、折れ曲がった地層を挟む上下の地層は撓んではいますが破断はしていませんね。灰色で折れ曲がった層はその下の紫色の薄い層を挟む部分が「衝上断層」の様に二枚重なった様な形状で折り重なっています。
規則正しく成層している地層にも所々にこんな不思議な折れ曲がり構造が構成されている場所があります。塩原の湖成層にもそんな場所が有りますので何れ見て頂きましょう。
ここ清和県民の森を頻繁に歩いていた頃は、未だフイルムカメラの OM-1 でした。スキャナーで読み込んだデータが少ないのでフイルムを探し出して再度この附近の地層をご紹介したいと思いますが、今回はこの4枚の画像だけで、次は都内某所の高層ビル建築現場の地下のとても柔らかい地層をご紹介する事にしましょう。
(県民の森の4枚の画像は「火山の無い千葉で火山に思いを馳せる会」の参加者から提供を頂いた物ですが、撮影者の名前を失念していまい記載出来ません。ゴメンナサイ!)

2009年11月27日金曜日

千葉県清和県民の森(3)

「バーミューダ:Ky7」と名付けられた鍵層とその標識
国道410号から林道淵ヶ沢支線に入りトンネルを抜けた先。「秋田おばこ」と「はっけよい」の露頭に挟まれてこの「バーミューダ」がある。時には「黒とかげ」もセットで林道沿いに出現する。この附近は「三浦層群・清澄層」でおよそ5~3Ma前のものと考えられている。1/25000は「坂田」狭いがこの先にも駐車場がある。我々は駐車場までマイクロバスで入りました。普通車なら離合に苦労は有るがかなり中まで入れます。
参考文献は千葉県立中央博物館「自然誌研究報告特別号6 房総半島小糸川上流の自然誌Ⅰ」(2003年3月)掲載の徳橋秀一・石原与四郎両氏(産総研)の報文。詳細のルートマップが記載されている。画像は同じく千葉県立中央博物館 地学資料集「三浦層群中部鍵層集Ⅱ(1993年版・出版は1994年3月)

2009年11月26日木曜日

千葉県清和県民の森(2)


これも「ダービダイト」の露頭の一つです。スケールの人物は実は小生です。身長175cmです。分厚いドカンと流れ下ってきて堆積した層と、15cm程度の恐らくゆっくりと長い時間を掛けて少し固く締まった層が積み重なっています。
手にしているのは「火山の無い千葉で火山に思いを馳せる会」と言う観察会の資料で、初めて「巡検」なる言葉を知り、初めて「巡検」の案内者となって作成したものです。2005年の事です。
産総研の徳橋秀一氏(確か2009年に定年退官されました)からこの地域の沢山の露頭資料を頂戴しました。又、千葉県立中央博物館の広域テフラに関する資料集からも引用させて頂いたり、博物館の高橋直樹さんには日本地質学会2004年の見学旅行案内書を頂き、案内書に収録させて頂いたり沢山の方々からご教示を頂いた思いで深い見学会でした。

2009年11月25日水曜日

千葉県清和県民の森(1)


千葉県には海成の堆積層が広範囲に露頭が広がって、観察には大変良い場所だと思っています。足利の「房州石」の石塀に見られる筋状の模様がどのように作られたか、興味深いところですが、その中で「ダービダイト」の線は実は無いだろうな!と思っています。それはこの画像が、南房総の清和県民の森で見られる「ダービダイト」の露頭として紹介されているのを見た事がある為です。「ダービダイト」にも色々な様相があるのかもしれませんが、どちらかと言うと混濁したものが大量に流れる雰囲気ですから、どこかでは速度を失って堆積するにしても、あのような層流が作るような構造は出来ないと思っています。(11/26:追記:こう書いてしまいましたが、この県民の森では薄い層が幾重にも重なった露頭もあるので、「無い」と言い切るのは間違いだと思い訂正させて頂きます)ここでは様々なサイズの礫や材木片などがでたらめに堆積しています。清和県民の森には所々で火山灰層の名札が付けられていたり、解説が建てられていたりします。又、とても詳しいルートマップが公表されていますから、自家用車ではないと行き難い場所ではありますが、地層の観察にはとても良い場所です。

2009年11月24日火曜日

栃木県足利市房州石の塀(10)

お詫びと訂正:永い間この石材は房州石だと思い込んでいましたが、様々な土木建築物を見て歩く中で、この石材は房州石に似ている部分も有るけれど、静岡県下田付近で採掘された「伊豆石」の可能性の方が高いと判断するに至りました。
判断の根拠は岩石学的あるいは成分観察等の結果では無く、この石材の姿に非常に良く似た石材を下田市内で観察した結果です。南豆製氷所の石材を見た時は房州石一般と非常によく似ていると思いましたが、この目の細かさがぴったりと同じ石材に下田で会いましたので、産地に近い場所での目撃がより正確な判断につながると考えた次第です。
未だに多少の迷いが在るのですが、実はこの画像は他の岩石画像よりもはるかに多くの方に見て頂いて居ますので、誤りの訂正は素早く行うべきだと判断いたしました。
正しい「房州石」画像は、画面右側のラベルで「房州石」入ったラベルをクリックする事でご覧いただけます。近日中に下田で観察した石材の画像のUPを始めます。
間違った情報を公表した事をお詫びし、今後間違いのない情報の発信に努めたいと考えますのでご了承ください。現在、伊豆と房総半島の産地に近い場所の石材の画像集を作成して、石材産地のより正しい把握が出来る様努力しています。
この画像のラベルは今まで「房州石?、足利の街で」でしたが、「伊豆石、足利の街で」に変更します。

2012年9月12日追記:下田市内で明治・大正期の伊豆石を使用した建築物を沢山見て来ました。石材の表面仕上げが異なると印象がずいぶん変わって来るものですが、この石材は房州石よりも「伊豆石」に近いのかと思い始めています。静岡県内には100か所を越える伊豆石の採石場が有った様ですが、その丁場と産出した石材の照合が出来て居ません。結論を得るにはかなりの時間が掛かりそうですが、そのような可能性が在る事をご報告します。

さて、足利市で見る事の出来た「房州石出出来た石塀」画像はこれで一段落です。この画像にも(9)でご紹介したものと同じ様な円弧スベリと思われるものが現れており、その下にある画像と共に心引かれてならないものです。
千葉県内には火山はありませんが、海成の堆積層は豊であり、南房総に行けば実に様々な堆積層を観察する事が出来ます。しかし、それらの中でも、この房州石が特に素晴らしいと小生は感じて居ます。
このブログでは岩石と土の織り成す興味深いと感じた画像を、出来る限り毎日新しい画像をUPする意気込みでご紹介する予定です。画像の範囲は私の興味の赴くままに日本国内を飛び回ります。等と言いながら関東地方が中心になってしまいますが、地質についての専門知識が無い分を画像の数と種類でごまかそうと言う魂胆です。明日の画像は千葉?東京?福島?どれにしようかと迷っています。
12/13追記:鋸山の画像を写していた筈だと探していましたが、どうやら遠目ながら石切跡の筋目が見える画像が見付かりましたので、12/13の項に追記します。

2009年11月23日月曜日

栃木県足利市房州石の塀(9)

お詫びと訂正:永い間この石材は房州石だと思い込んでいましたが、様々な土木建築物を見て歩く中で、この石材は房州石に似ている部分も有るけれど、静岡県下田付近で採掘された「伊豆石」の可能性の方が高いと判断するに至りました。
判断の根拠は岩石学的あるいは成分観察等の結果では無く、この石材の姿に非常に良く似た石材を下田市内で観察した結果です。南豆製氷所の石材を見た時は房州石一般と非常によく似ていると思いましたが、この目の細かさがぴったりと同じ石材に下田で会いましたので、産地に近い場所での目撃がより正確な判断につながると考えた次第です。
未だに多少の迷いが在るのですが、実はこの画像は他の岩石画像よりもはるかに多くの方に見て頂いて居ますので、誤りの訂正は素早く行うべきだと判断いたしました。
正しい「房州石」画像は、画面右側のラベルで「房州石」入ったラベルをクリックする事でご覧いただけます。近日中に下田で観察した石材の画像のUPを始めます。
間違った情報を公表した事をお詫びし、今後間違いのない情報の発信に努めたいと考えますのでご了承ください。現在、伊豆と房総半島の産地に近い場所の石材の画像集を作成して、石材産地のより正しい把握が出来る様努力しています。
この画像のラベルは今まで「房州石?、足利の街で」でしたが、「伊豆石、足利の街で」に変更します。

2012年9月12日追記:下田市内で明治・大正期の伊豆石を使用した建築物を沢山見て来ました。石材の表面仕上げが異なると印象がずいぶん変わって来るものですが、この石材は房州石よりも「伊豆石」に近いのかと思い始めています。静岡県内には100か所を越える伊豆石の採石場が有った様ですが、その丁場と産出した石材の照合が出来て居ません。結論を得るにはかなりの時間が掛かりそうですが、そのような可能性が在る事をご報告します。

中央のブロックの画像は堆積層の中に起きた円弧スベリを現しているのだと思います。堆積時には左下がりの姿勢だったのでしょうか?
その上の段の左側のブロックも興味深いですね。大した重量を持つはずも無い軽石が下の層にめり込んでいるのは、やはりかなりの深い海で堆積物が本当に柔らかい状態だったのか(それがこんなに固まるかい?)ダービダイトの様に流れ下ってこの様に定置したのか?不思議でなりません。(ダービダイトではこの様には堆積出来ないと思いますが)この様なブロックがお互いにどのような位置関係であの鋸山の山腹を構成していたのか?興味深いテーマです。
今日は3連休の最終日。カミサンに行田経由で足利のこの石塀の写真を撮影に行きたい!と提案したのですが、残念ながら却下!未だ3週間前の手酷い腰痛から完全には復帰出来ていないし、道路は混むだろうし、明日・明後日は勤務なのですから、当然と言えば当然なのですが・・・
行田の古墳の石棺に「房州石」が使われていると書かれているものが在るのに、その画像が一枚も見られないので、多分何かの間違いなのだろうとは思うのですが、「正」か「誤」か?確認してみたいと思っています。阿蘇溶結凝灰岩の宇土半島産のものが奈良の古墳の石棺に使われていると言う話が在るのですから、有り得ないとは思いませんが確認をしたいです。

2009年11月22日日曜日

栃木県足利市房州石の塀(8)

お詫びと訂正:永い間この石材は房州石だと思い込んでいましたが、様々な土木建築物を見て歩く中で、この石材は房州石に似ている部分も有るけれど、静岡県下田付近で採掘された「伊豆石」の可能性の方が高いと判断するに至りました。
判断の根拠は岩石学的あるいは成分観察等の結果では無く、この石材の姿に非常に良く似た石材を下田市内で観察した結果です。南豆製氷所の石材を見た時は房州石一般と非常によく似ていると思いましたが、この目の細かさがぴったりと同じ石材に下田で会いましたので、産地に近い場所での目撃がより正確な判断につながると考えた次第です。
未だに多少の迷いが在るのですが、実はこの画像は他の岩石画像よりもはるかに多くの方に見て頂いて居ますので、誤りの訂正は素早く行うべきだと判断いたしました。
正しい「房州石」画像は、画面右側のラベルで「房州石」入ったラベルをクリックする事でご覧いただけます。近日中に下田で観察した石材の画像のUPを始めます。
間違った情報を公表した事をお詫びし、今後間違いのない情報の発信に努めたいと考えますのでご了承ください。現在、伊豆と房総半島の産地に近い場所の石材の画像集を作成して、石材産地のより正しい把握が出来る様努力しています。
この画像のラベルは今まで「房州石?、足利の街で」でしたが、「伊豆石、足利の街で」に変更します。

2012年9月12日追記:下田市内で明治・大正期の伊豆石を使用した建築物を沢山見て来ました。石材の表面仕上げが異なると印象がずいぶん変わって来るものですが、この石材は房州石よりも「伊豆石」に近いのかと思い始めています。静岡県内には100か所を越える伊豆石の採石場が有った様ですが、その丁場と産出した石材の照合が出来て居ません。結論を得るにはかなりの時間が掛かりそうですが、そのような可能性が在る事をご報告します。

この足利市にある石塀の画像は後2枚在ります。お付き合い下さい。
2段目の左側は、これはきっと斜交葉理と呼んで差し支えないと思うのですが、上部に軽石の破砕されたものの堆積層とは少し角度が合わない軽石が含まれて居ない部分がある事。その右側のブロックも半分より下の軽石の部分の重なり方も微妙に面白いと思いました。
勿論、私の狙い目は3段目。マア、余計な講釈は辞めましょう。お酒が美味しくなりそうな画像だと思っとります!