2011年4月9日土曜日

房州石・古墳(J-9) 上総湊北側海岸:富津磯石の故郷

これは最初にこの附近を歩いた時の画像。潮の満ち干も調べずに行ったので,ろくに歩けなかった。波も荒くて波が来るのを見計らって走るのだけれど,現在の体力ではとても自然には敵わない。海岸を歩く時は、潮の満ち干と天候にだけは注意して出かける事!さて、次はもう少し南に移動しましょう。本物の房州石が在る鋸山付近まではまだまだ距離が有ります。画面奥の方に東京湾観音と、更にこの「富津磯石」の故郷を訪ねる旅の最初のポイント「磯根岬」が見えます。

2011年4月8日金曜日

房州石・古墳(J-8) 上総湊北側海岸:富津磯石の故郷

崖の上を見上げると雑草が茂っている部分で段が出来ている。この位置で大規模な地殻の変動が起こり堆積環境が変わったらしい。上の層には礫層が挟まれていない。地層が水平なのに,縦に割れ目がそれも平行に走っているのはやはり力の関係らしい。残念ながら上の段には上れなかったので硬さは不明。直立加減から考えてそこそこ硬いのだろう。

2011年4月7日木曜日

房州石・古墳(J-7) 上総湊北側海岸:富津磯石の故郷

礫層と砂泥層の互層を少し詳しく観てみましょう。良く観ると皿の様な形状の二枚貝の貝殻跡が沢山在ります。下の画像は特に貝殻が多い部分をクローズアップしてみました。古墳には無関係ですが、折角この様な興味深い場所を歩いているので、こんな地層にも目を向けてみませんか?

2011年4月6日水曜日

房州石・古墳(J-6) 上総湊北側海岸:富津磯石の故郷

この附近の崖にはホンの少し横に移動すると、前に紹介した崖の様相とは全く異なるこの様な崖があります。薄い礫層が砂泥層に挟まれています。
砂泥層には地層が此処に堆積した時に出来た「スランプボール」と思われるものが沢山入っています。

2011年4月5日火曜日

房州石・古墳(J-5) 上総湊北側海岸:富津磯石の故郷

狭い海岸ですが、剥れた層がこの様に砂浜に転がっています。ハンマーの柄の青い樹脂が掛かっている部分の長さが22cm。この位の大きさならば天井石にも使えるかも知れない。小型のブロックも周辺に転がっている。小型のブロックにもご覧の様に穿孔貝の生痕化石が残っている。それ以外にこの附近には玄武岩を含めて様々な種類の岩石が含まれているが小粒のものばかり。

2011年4月4日月曜日

房州石・古墳(J-4) 上総湊北側海岸:富津磯石の故郷

この地層の「石材」(石材と呼ぶには強度が足りなさ過ぎるので「」付にしました)はこの様に柔らかい侵食しやすい層を挟んでいるので、この様に適当な厚みでぱっかりと剥れます。厚過ぎず薄過ぎず適当な厚みの様です。自重でこの程度のサイズで割れて落下しているので、「岩」そのものの強度は大したことが無いと理解出来ます。

2011年4月3日日曜日

房州石・古墳(J-3) 上総湊北側海岸:富津磯石の故郷

やや粗い砂泥互層。同じ層準に大きな穴が十数個並んでいるが、これは穿孔貝の生痕化石ではない。誰かが地磁気測定用サンプルを採集したのだろう。画像からも判るように、層が板状に隙間が出来ていて板状に割れやすいので、採集には適してる。クサビでも打ち込んでやれば簡単に剥れるだろう。
次の画像でご覧頂く様にクサビも必要なく採集も出来そうだ。
昨日、世田谷と川崎を回って野毛大塚古墳と馬絹古墳の資料を探しました。馬絹古墳は公園として整備されていました。