2018年3月7日水曜日

霧島山系新燃岳:3月7日気象庁火山カメラ画像抜粋








































以下、夜の部:雲に隠れて直接は観察出来なかった









以上、速報性は考慮していないので御了承下さい!

霧島山系新燃岳:3月6日の気象庁火山カメラの画像抜粋

気象庁の火山カメラ画像の抜粋です。









以下は夜の部




2018年3月5日月曜日

草加宿の石工:青木宗義(4)

3月4日は、草加市北部の弁天に在る「観正院」と隣接する「厳島神社」を訪ねた。

観正院には「日本の石仏」に記載された青木宗義の作品では最初に「神流齋」の名を冠した天保六年造立の馬頭観音像が現存する。上図の左から2番目

石材は伊豆の凝灰岩質石材で、谷古宇稲荷の疱瘡紳や、三社大神神社扁額に使われたものと全く同じ凝灰岩。この石材は、風化の際になんだか頼りないほど弱い石材に見えるのだが、三社大神神社の扁額に見られるように適度に硬く、艶が出る材質であり、墓石などにも使われているもので、恐らく下田の上賀茂がその代表的産地の一つだろうと思っている。青木宗義の名前の下の方は、丁度粒度の粗い部分に在って厳しい。

建立時期は天保王六年と読める


観正院の墓地にも、この石材を用いた寛政十二(1800)年~明治三(1870)年間での七名の没年を記銘した墓石が表面に苔は生えているが健全な状態で現存する。

安山岩の塔の場合でも、外形は損傷が無いのに、正面に刻んだ文字が全く読めなくなるものが有る(製作年代も不明だが)材質が寿命を決めるとは限らない。特に、小松石の系統は空隙率に格段の差があるので、「文字」を刻むものには出来るだけ緻密なものを使わなければならない。

草加宿の石工:青木宗義(3)

 埼玉スリバチ学会のFWの午前の部をさぼり、草加宿で石工青木宗義の作品を観察させて頂いた。「日本の石仏」No.102 には、文化十(1813)年から弘化二(1845)年までの32年間の作品31点のリストが掲載されている。年に1点の作品は、如何にも少ないので先般の豊島区の慈眼寺金乗院の例の様に、未だ々記載されていないものが数多くあるのだろうが、取り敢えず、このリストに記載された中の興味を惹かれたものから拝見させて頂いている。今日はリストの中の唯一の宝篋印塔で、先日探しあぐねた草加市吉町の旧長福寺跡の墓地に在る。文化十二(1815)年の作。今回の刻銘は一部欠けているが「草加六丁目石工青木庄左衛門宗義」。宗義はその作品の半ばから刻銘に「神流齋」或いは「関八州石工司孫神流齋」を冠する様になるだけの事は有って、夫々の彫刻が素人の私の目から見ても素晴らしい。夫々の設置間隔がやや狭く、夫々の面を真っ直ぐに捉える事が出来なかったのが残念。











続く