2011年7月9日土曜日

房州石・古墳(T-8)補遺:不動岩

4月29日から5月14日の間にこの附近を案内しています。この附近は稲子沢層の中の千畑(せんはた)礫岩層(Sh)です。千畑礫岩層は鋸山南側の砂浜では大きな蛇紋岩礫岩の岩塊が現れています。
周囲は明鐘岬を含めて稲子沢層の凝灰質砂岩泥岩互層(In)に取り囲まれています。
鋸山の中腹附近は凝灰質砂岩、凝灰質礫岩を含む萩生層(Hg)。山頂付近は上総層群に属する凝灰質礫岩及び凝灰質砂岩の竹岡層(To)です。この萩生層と竹岡層が建材として関東一円で重用された「房州石」と言う石材です。

房州石・古墳(T-7)補遺:海辺の湯から島戸倉附近の地質

4月17日から22日が「海辺の湯」附近、23日から28日が「島戸倉」附近です。1/25000地形図や地質図にはいまだに「海辺の湯」には建物の記号はありません。
海辺の湯の突き出した部分は、清澄層(Ky)ですが、天津層主部(Am)も顔を出しています。清澄層は県の清和県民の森で広い範囲で露頭を観察でき、広域テフラ鍵層を学ぶにはとても良い場所です。鍵層には、所々で「案内板」が付けられていて直ぐ判るようになっています。最近は少し壊れたものも有りますが、巡検用に新たに付けられたものもある様です。画像は2月に立ち寄った時のものです。露頭はいき物なので、少し古い画像を使うと全く違う風景になっていますね。
場所は
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=351018&l=1400109
これは、日本火山の会で2005年に行った嶺岡巡検の記録ですが、この県民の森で広域テフラの露頭見学を行っています。上段は参加者の記録、画像が大きいので引用します。下段は日本火山の会のHPにあるこの見学会の記録です。(尚、このHP内の「アンバー」の説明は残念ながら間違っているので、HP管理者に連絡して訂正して頂きます。アンバーは玄武岩そのものを指すのではなく、玄武岩に付随して胎胚する鉄・マンガンに富んだ堆積物を指します。)
http://homepage2.nifty.com/horicbs/volcano/01kfn/01chiba/chiba.htm
http://www.kazan-net.jp/chibajunken/chibajunken.html
この清澄層は清和県民の森附近では、やや固結度に不足が在るようにも思いますが、場所により変化が大きいので場所により採掘可能な場所もある可能性は残ります。

房州石・古墳(T-6)補遺:竹岡海岸の地質

上総湊から竹岡海岸の間には黄和田層(Kd)の泥岩・砂質泥岩及び泥質砂岩層と、十宮層(To)の砂質泥岩・泥質砂岩及び凝灰岩層が存在します。地形図的には下記を中心とする竹岡側の白狐川から北側の湊川の間です。
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.html?b=351246&l=1395114
この間は海岸と国道が接近していて駐車余地が無く、飛ばしてしまっています。
竹岡海岸の露頭は、4月10日から16日の7回にご案内しています。地質図の表示では砂岩と礫岩からなる黒滝層(Kt)。上位の十宮層や黄和田層には凝灰岩がある事が図幅に記載されていますが、黒滝層にはその様に書かれていません。付属の解説書の40頁からの、第四章 上総層群 4.1 黒滝層の「岩相」の部分には、砂岩に関して黒滝層の礫岩・砂岩は浅い海で堆積した為に、鍵層となる凝灰岩層は含まないがスコリアや火山砕屑物を含むと記述が有ります。

2011年7月8日金曜日

房州石・古墳(T-5) 補遺

3枚続けて見て頂いたのは浜金谷方面から鋸山上部の良質な建材を採掘した後の景観。「鋸山」と言う地名に相応しい景観になって居るから不思議!
そろそろネタ切れに近付いてきました。明日、残りの海岸地質を乱暴に触れて、幾つかご紹介しておきたい文献に触れれば我が66歳の誕生日までには長かった房州石のテーマに一区切りとなります。決してこれで終る積りは無いのだけれど、この暑さでは月に10日の勤務をこなすのがやっとで露頭を歩く事も出来ません。暫く置いて、また新しい知見に出会う事が出来れば、再開していく積りです。

房州石・古墳(T-4)補遺:上総湊北側海岸付近の地質

地質図では古い地形図を基にしているので、市宿層:“Ij”の砂を船積用ベルトコンベアがまだ描かれていますが、この北側のコンベア附近は長浜砂礫部層:“Ksn”ですから「地学のガイド」や「日曜の地学」に書かれた長浜層と同一と考えて良さそうです。市宿層の砂は東京湾内面の羽田空港や工業地帯の埋め立てに利用されていますが、海成砂層で、砂取場では鯨の化石等が発掘されています。尚、地学のガイドで磯根崎に記述されている「岩坂層」は現在梅ヶ瀬層:“Umc”と呼ばれているものだと思われます。岩坂層=梅ヶ瀬層と上位の国本層の境をなすのが、“Ku6”鍵層です。
この岩坂層は数枚の凝灰岩鍵層を含むと共に、有孔虫の化石を多く含むのだそうです。脱線ですが、最近或る大学の総合研究博物館の方から素晴しい有孔虫の研究書(英文)を頂きました。実に素晴しい画像が多く収録されていて感激でした。
ブログでは4月1日から9日までの9回のご案内でした。
露頭は歩きませんでしたが、東京湾観音のヤヤ南の八幡付近から船端そしてこの露頭のやや北側には、笠森層の中の佐貫泥岩部層:“Ksk”とより新しい地蔵堂層:“Jz”が顔を出しています。地蔵堂層は未固結で、以前見た貝化石層の保存された場所は雑草が生えてとても観察には適しない状況でしたから、これは論外でしょうが、佐貫泥岩部層の方は笠森層の中でも“Ksn”よりも若いので勝手に固結度は低いだろうと考えて外していましたが、チョット観ておくべきだったですね。
7月末にこの附近に行く予定が有るので出来れば立ち寄ってみたいと考えています。

房州石・古墳 (T-3) 補遺:磯根崎附近の地質

磯根崎附近の地質は、記号“Ksn”笠森層の長浜砂礫部層とその下に存在する“Kuc”国本層の砂質泥岩と泥質砂岩(凝灰岩を挟む)です。ブログでは、3月10日からスタートして、一時「東北太平洋沖地震」と津波の為に中断しましたが、31日まで合計14回の御案内でした。
笠森層は未固結の部分ですから、現在の岬附近の景観を作り出している部分ではありますが、この附近で穿孔貝の生痕化石が残る砂岩・泥岩を採掘したのであれば、国本層がその対象となって居たのでしょう。
波打ち際に板状に硬い層の岩塊が散在していたものがこれに相当します。
この地層の中には層厚17cmのヤヤ茶色に近いガラス質の鍵層:Ku6C が有ります。基本的には砂質の泥岩が中心の様で、地層の位置と言い穿孔貝が生痕を残し易い最適な地層かもしれません。尚、この鍵層:Ku6Cは九州北部の猪牟田カルデラを給源とする「猪牟田アズキテフラ」として有名なものだそうです。
猪牟田カルデラは地形的には現存していませんが、九重山北部の万年(ハネ)山付近に在った巨大噴火を起した火山で、大分県の名称耶馬渓の溶結凝灰岩を噴出したとされています。

2011年7月7日木曜日

房州石・古墳 (T-2) 補遺:地質図を見てみませんか? (2)

 ネットで地質図をご覧になる方の為に、この附近の地質年代について、地質図に用いられている地質記号とその年代について簡単に触れておきます。地質図幅を購入すると、その図幅の何処かに(通常は左側に)地質年代や層序・層の名称・地質図上の記号と用いている色・構成している地層の主要成分などが書かれています。ネットの地質図でもシームレスを使うと表示されるので、此方でも地層名称は表示されると思うのですが、普段使わないのでやり方が判りません。
 磯根崎から鋸山間で、海岸或いは海岸に近い場所に出てくる記号は大体下記となります。上の行ほど新しい地層を意味しています。
第四紀:中期更新世:下総層群:地蔵堂層:Jz ;礫・砂及び泥
第四紀:中期更新世:上総層群:笠森層:佐貫泥岩部層:Ksk;泥岩
第四紀:中期更新世:上総層群:笠森層:長浜砂礫部層:Ksn;砂及び礫
第四紀:中期更新世:上総層群:国本層:Kuc;砂質泥岩及び泥質砂岩(凝灰岩を挟む)
第四紀:前期更新世:上総層群:梅ヶ瀬層:Umc;砂質泥岩及び泥質砂岩(凝灰岩を挟む)
第四紀:前期更新世:上総層群:黄和田層:Kd;泥岩・砂質泥岩及び泥質砂岩(凝灰岩を挟む)
新第三紀:鮮新世:上総層群:十宮層:To;砂質泥岩・泥質砂岩及び凝灰岩
新第三紀:鮮新世:上総層群:黒滝層:Kt;砂岩及び礫岩
新第三紀:鮮新世:安房層群:安野層主部:An;泥勝ち砂岩泥岩互層・泥岩及び砂質泥岩(凝灰岩を挟む)
新第三紀:後期中新世:安房層群:清澄層:Kym;泥勝ち砂岩泥岩互層・泥岩及び砂質泥岩(凝灰岩を挟む)
新第三紀:後期中新世:安房層群:天津層主部:Am;泥岩及び砂質泥岩(凝灰岩及び乱堆積層を挟む)
新第三紀:中期中新世:安房層群:千畑礫岩部層:Ams;砂質泥岩・砂岩及び礫岩
此処までが富津図幅地域です。地質調査は1990年から1993年の間に行われ2005年に発行されています。
此処から下は那古:なご地質図幅地域です。地質調査は1973年から1977年の間に行われ、1990年に発行されています。
実はここで厄介な事が起こります。地質図の連続性が失われます。
二つの地域の地質図の刊行には15年の差が有りますので、当然の様に地質学の進歩・変化が有ります。或いはアクセスの良否が、地質図の詳細さに差を生じる原因にもなります。残念な事に、産総研では前任者の研究成果を無視出来ないからなのでしょうか? 新しい隣接地域の図幅が完成した時に隣接する旧図幅を新しい知見で修正する事はしないようです。新しい露頭がひとつ現れると知見が全く変わってしまう事が在る世界なのですが、余談は中止!
新第三紀:中新世:三浦層群:稲子沢層:In;凝灰質砂岩泥岩互層
⇒最新の知見では、富津図幅地域の安房層群天津層に相当するのでしょうか?
新第三紀:中新世:三浦層群:稲子沢層:Sh;礫岩(千畑礫岩)
⇒同様に、安房層群千畑礫岩部層に相当するのでしょう。

地質図の中に“Am80”,“Ok”等と言う細い赤い線が入っていますが、これは凝灰岩鍵層と言い、広域に出現するので、地層の堆積年代を調査するのに非常に便利な層です。但し、その鍵層の性質を良く読み取るのは大変です。富津図幅の解説書の9-10頁にはその地層と鍵層の総括図と放射年代が纏められています。また、千葉県立中央博物館にはこの鍵層の文献・資料が整っています。

2011年7月6日水曜日

房州石・古墳 (T-1) 補遺:地質図を見てみませんか?(1)

画像は鋸山。
古墳時代の匠が、地質年代を確認しながら穿孔貝の生痕化石のある泥岩の採集をして、古墳に使用したとも思えないので、此処では地質年代や層序については触れない積りだったけれど、地質マニアの端くれがやって居るブログとしては少し触れておきたい。但し、地質年代論は大の苦手項目。資料に忠実に簡単にご案内するだけ。
 この附近の地質については、産総研・地質調査センターから発行されている、地域地質研究報告(5万分の1地質図幅)を観るのが良いと思います。但し、意味の判らない言葉が沢山出てくる可能性は高い。全ての海岸線について書かれている訳では無いが、「日曜の地学 19 千葉の自然をたずねて」や「地学のガイドシリーズ 14 続千葉県」もこの附近を歩くには便利かもしれない。
産総研の1/50000地質図は販売されている場所が限られているのと、価格が比較的高価なので障壁が高い資料で、磯根崎から金谷までの地質については「富津地域の地質」が2005年に発行されている。
その南の部分は1990年に発行された「那古地域の地質」。販売価格は富津が6,615円,那古は1,890円。詳細については産総研の「地質図のホームページ」に詳しいのでご覧になって下さい。
但し、地質図の図幅だけならばネット環境で無償で閲覧出来ます。
「地質図のホームページ」を検索し開いたら左側に縦に並んだメニューの中に「オンライン地質図」があるのでクリックすると、大きく二つに分かれて上の「統合地質図データベース」と下の「20万分の1日本シームレス地質図」がある。暇な時に両方を試してみれば使い勝手が異なり面白い。此処では5万分の1地質図を見る事が目的なので、「統合・・・」をクリックする。
「地質図」の中の「5万分の1地質図幅」をクリックしたら、右側の小さな日本地図で、見たい付近をめがけてクリックするとヤヤ広い範囲の地図らしきものが表示される。モネの睡蓮の点描の様な部分が地質図が発行されている部分。「点描?」部分の範囲内でカーソルで四角い枠を描くとその範囲の地質図が表示される。地質図記号と地質名称の照合はどうやったら表示されるのかな? 20万シームレスでは簡単に表示されるのですが・・・
地質図幅だけでは、夫々の地質の特徴などの説明が読めないので少々不便だが無償なので仕方が無い?
無償で入手出来る地質研究資料・文献は少ないが、例えば「磯根崎」とその周辺については、「地球環境研究 第16巻(2004)」に記載された菊池隆男氏による「海成更新統、下総層群と上総層群の境界層準に関する再検討」等がpdfファイルで閲覧可能。磯根崎附近の地質についての記述がある。他にもこまめに調べたい地名と「地質」をキーワードにしてチョコチョコ検索を掛ければ、色々出て来るかも知れない?

2011年7月5日火曜日

房州石・古墳(S-13) 秩父・小鹿野・皆野

赤平川を少し下ると「ようばけ」とは異なる海底地形を観察出来る筈でしたが、間違えてどうやら別の場所に来てしまいました。水量が豊富で、とても壁面を叩く事は出来ませんでしたが、厚みから考えて恐らくチャートでは無いかと思うのですが・・・です。
橋の上からも見る事が出来ます。赤平川の奈倉橋の下流側、橋の真下附近から取水設備の附近まで露頭が続いています。秩父方面の画像はこれで終りです。あと少し「補遺」を記録してこのシリーズを終える予定です。

2011年7月4日月曜日

房州石・古墳(S-12) 秩父・小鹿野・皆野

赤平川の河川敷で、「ようばけ」の対岸の河原に転がる砂岩です。この中に化石が出るとの事で、この様に細かく砕いたものが、河原に散在しています。この附近の砂岩・泥岩は程よく固結しています。スケールは木製で、光らないので良く利用しています。

2011年7月3日日曜日

房州石・古墳(S-11) 秩父・小鹿野・皆野

泥岩の層には「コンボリュート」の様な模様が見えていますが、多分別の模様でしょう。普段は全く動きの無い深海底でも時々、大きな地震を伴う地殻変動が起こって、地層を捻じ曲げてしまうのですね。