2020年8月28日金曜日

岩石と地層の表情:099;房総半島:鋸山

 千葉の博物館に出入りするようになったのが、火山の会の「火山の無い千葉で火山に思いを馳せる会」の為の泥縄式の準備を始めた時だから2005年。その翌年には定年を迎え「嘱託」と言う名目で数年間継続雇用をした挙句、2010年に正式に退職した。定年時に心機一転しようと自宅を叩き売って現在地に近い柏市に転居し、博物館で地質関係の参加させて頂くようになった。退職後は貧しいながらも毎日が日曜日の悠々自適の生活が待っている筈だったが、殆どその長期休暇を楽しむ暇も無く知り合いの伝手で無機化学系の工場で自動制御や計測の技術を若い技術者に伝授する仕事を月に10日程度の日数で務める事になった。地質には興味が有っても基礎知識が無いので、何とか現場で学びたいと思って、2012年頃から、勿論、費用は全て自己負担で、差し支えない範囲で先生の調査等に、同行させて頂き勉強させて頂くようお願いし、機会を頂ける様になった。たまたま、この年に、売津の皆さんとの繋がりが出来たのを切っ掛けに、鋸山を中心に房総半島の凝灰岩質石材をこれからのライフワークの根幹に据える事を考え始めていた。そんな訳で、今日で99回目の「岩石と地層の表情」は、鋸山の風景で締めたいと思う。長期間お付き合い頂き有難う御座いました。

※ これからは、適時私が続けている凝灰岩質石材の調査活動について時々報告させて頂こうと考えています。

実は、崩落が起きているので立入禁止の丁場。鋸山を歩いている時に偶々会話した方が、多分此処は入った事が無いだろうと案内して下さった。確かにクラックが多く、崩落個所も多いがスリリングで興味深い場所だった。
浜金谷駅の跨線橋から眺めた鋸山の石切場群の中心的な場所。鋸山南面は調査の手が及んで居ないが、北面は「金谷ストーンコミュニティー」の皆様の調査で146ヵ所の石切場遺構が確認され、その幾つかについてはレーザー光による3D計測が実施されている。
地元の方が「ラピュタの壁」と呼び慣らす巨大な鉛直の壁。

金谷から見た鋸山の画像の更に左手(東側)の石壁の連なり
鋸山の地層は大きく傾いている。壁面は全て手掘りの跡。
鋸山の中心部。左から「鋸山最後の丁場」、「帆の掛け丁場」。右手の壁の奥に「地獄覗き」が有る。
石丁場内部で比較的堆積状況が良く観察される壁。伊豆の石丁場にも似る
地下の採掘場の一例。適度の面積を採掘したら、崩落防止のための残柱を残すのだが、此処では一端切った後に、石材を再度積み上げて支えているが・・・
壁だけでは広さが感じられないので、人影の入った石切場跡の様子。
ロープウエイ駅直下の大きな石切場跡。急角度で掘り下げている。地底には澄み切った水が溜まっている。

2020年8月27日木曜日

岩石と地層の表情:098;房総半島:鋸山の地層の傾き

 さて、延々と続けて来た「岩石と地層の表情」の連載も、明日の99回目を持って一旦終わる予定です。実は、私がライフワーク的に続けて来た「凝灰岩質石材」の観察記録:1,223件、約7,300頁の見直しをやって居り、現在42%程度が終わった状態です。その見直しの過程で思い出した画像をご紹介してみようと思い、100回ぐらいは出来るだろうと思って始めた企画でした。残り約60%を整理して出来れば年内、遅くとも年度内に報告書をまとめようと思っているので、少し、データー整理に時間を割く為に連載の方が手抜きになりそうなので、手抜きをするぐらいなら一休みしておこうと考えた次第。100を目前に終える洒落です。地質図では、鋸山は向斜構造で舟底の様な地質構造を構成しています。その傾斜した地層を石切の現場の画像で見てみようと云うものです。今一つ、まとまりが今一だった感じだがお許しあれ!

地質図は富津の南側の「那古」地域を引用しています。左側は地層図例で鋸山の石切場に関係する地層は「竹岡層」・「萩生層」・「稲子沢層」です。萩生層と稲子沢層だけで層厚は400m。それが傾いている。他にも「嵯峨志層」は鋸山から離れた場所で採掘されていますし、
「稲子沢層」は柔らかすぎるのですが、意外と山麓の低い場所まで採掘しているので、場所により硬い場所が存在したのだろうと思われます。
鋸山の尾根が西の東京湾側で海に入る場所が「明鐘岬:みょうがね」です。舟底の様に凹んだ地層の構成なので、この岬の南側から先端側を見ると、地層が北に傾きながら海に没しています
逆に、北側から岬の先を見ると地層が南に傾きながら没していくのが判ります。両方が旨く写せる場所は中々危険な場所なので二枚の画像にさせて頂きました。
昭和六十年に最後の石切を終えた「芳家石材」さんの丁場は、現在は舞台の様になって時折催し物が開かれたりしますが、そこには、高級石材の証である「桜目」の凝灰質が混じった露頭が今も残っています。
この辺りは地層の傾斜は緩やかです。縦筋はチェーンソウを使った垂直な加工目です。
少し広い面で見ると斜交層理とは言えないながらも緩やかな波を打った地層が尾根の方向(図の右手)に向って下がっていく傾向を示しています。傾斜した海底で、サラサラ~サラサラと地層を構成する成分が流れ落ちながら斜交層理のような雰囲気の波打つ地層を作り上げたのかと思います。
この画像は地層の構成を見易くするために少し画像の補正を行っていますが、ロープウエイの山頂駅付近で見られる地層です。水平に堆積しながらも断層で縦に切られて右側が下がった先は急傾斜で地層が尾根方向に下がっています。堆積構造の変化がこの付近で現れています。この山頂駅付近は竹岡層ですが、この真下の丁場では「萩生層」を採掘しています。
尾根に近い丁場で観察される露頭です。最初の緩やかな波打つ地層と、突然地層の構成が変わっている事が判ります。右手にずるずると地層が引き釣り落とされている雰囲気です。
これもロープウエイ山頂駅直下の石切跡で観察される露頭です。右に地層が雪崩落ちていく雰囲気だと思われませんか?
地元の方々が「ラピュタの壁」と呼びならわしている、美しい垂直の壁の内側です。この図では左手が尾根の方向です。良い石材を得る為に、少し下がると尾根の側に掘り進まないと岩質が変わってしまうので、この様に階段状に尾根に向って掘り進みます。
前図の採掘坑の底面付近で採取した凝灰質の例です。「稲子沢層」の凝灰質だと思われるのです。この地層は凝灰質と泥岩の互層が中心ですが、この様に塊状の凝灰質が堆積した層も有るようです。