2013年12月28日土曜日

高畠石: (7) 赤湯神社の石橋

赤湯と高畠では石材が違うと言われるかもしれないが、素人目には良く似ていると思われるし、伊豆半島を除くと、凝灰岩質石材はかなり分布が広域にわたるので此処では一括させて頂く。
今年は今日で更新を終えます。
このブログは2009年11月に開設し、1,248頁を作成している。年間平均300頁。
閲覧数は、実はこのブログは全くあてにならない統計で呆れてしまうのだが、開設より2年前から閲覧者が居る様なデータが表示されているが、一応少しずつ増加傾向にある。
勿論、海外の詐欺まがいのと言うか騙しの閲覧も多い。
まあ、ざっと眺めて最近は毎日40名平均の方々に閲覧を頂いていると想像している。責任重大ですよね!何時まで無料のブログがデータを受け入れてくれるのか?判らないが、その日まで宜しくお願いします。

2013年12月27日金曜日

高畠石: (6) 風呂桶と流し場

高畠町郷土資料館の展示に、高畠石を用いた風呂桶と流し場が在り驚いた。展示解説によると「明治時代に流行し比較的裕福な家庭で使用されていた」とある。私は九州は佐賀で生まれたが、五右衛門風呂と言う鋳物・鋳鉄製の風呂桶で下から直火で風呂桶を加熱していたから、入る時に木製の敷板を旨く足で沈めて入らないと大変だった。これは左側の凹みの部分に内釜がはいったのだろう。勿論、洗い場はこの配置では無く、隣り合って置かれていたのだろうが、高温と水との両方から責められては流石の凝灰岩も弱った事だろう。
房州石では炉や釜は在るけれど風呂桶は聞いた事が無い!

2013年12月26日木曜日

山本作兵衛氏の炭鉱絵巻に興味を抱く方々へ

山本作兵衛氏の炭鉱絵巻に興味を持っておられる方々にご案内します。
独立行政法人「労働安全衛生総合研究所」の外郭団体である、公益社団法人「産業安全技術協会」の機関誌である、“TIIS ニュース”の表紙は、2012年の第247号から毎回 山本作兵衛氏の炭鉱絵巻で飾られています。年4回の発行で8回分の巻頭を飾っています。
http://www.tiis.or.jp/news/index.html

高畠石: (5) 瓜割公園

二つの石切丁場を結ぶ連絡通路といった処だろうか、何故か手作業で掘られた様だ。石切するには狭い通路なので、採石より通路を作る事に中心を置いてさっさと掘ったものだろう。おかげで石材の素顔が良く見えた。でも奥に抜けてみたら、丁度クラックが入っている部分だった。

2013年12月24日火曜日

高畠石: (4) 瓜割公園 切削痕

崖の奥まで彫り込んだ採石場の一番奥の採掘跡

2013年12月23日月曜日

高畠石: (3) 瓜割公園 採石跡

この画像を見ると今でもあの時の暑さを思い出す。これ以上歩くのは無理だな!と思って、タクシーをお願いしてこの後、赤湯に向った。
右手のやや低い壁の奥には、機械を用いない採掘が行われた最後の場所らしく、幾つかのかなり大きな石材が置かれていた。

2013年12月22日日曜日

高畠石: (2) こやな川さんの資材置き場にて

多分、「立入禁止」等とは書かれていたのだと思うけれど、入口の余りのおおらかさについ石材の切りたての顔を見たくてフラフラと・・・・
高畠石は現在も観光地からは見えない場所ではあるが、機械採石が行われている。
此処で観た石材はこの様に比較的ポーラスでした。細かく見て行くと気泡と見える部分にも軽石の破片が残っているので全てが気泡とも言えない様ですね。

2013年12月21日土曜日

高畠石: (1) こやな川さんの資材置場にて

風土記の丘考古資料館を見学し、凝灰岩の石室を観察し歴史民俗資料館を拝見して、8月末のまだまだ残暑の強い道を瓜割公園の方にとぼとぼと歩いておりますと(寒い盛りと残暑厳しい時以外に過ごし易い時期も在るだろうに!)道路の脇にこの様な間知石の雰囲気の凝灰岩が山積みになっていました。凝灰岩の角材を石垣に積み上げているのは良く見るけれど、この様に間知石に切ったものは珍しい!などと思いながら道路を渡り見回すとどうやら今も高畠石を機械採掘しておられる「こやな川」さんの資材置き場でした。

2013年12月18日水曜日

香芝市 JR駅前の松島石

昨日の画像は橿原神宮駅前の松島石でしたが、これはJR香芝駅前の松島石です。

2013年12月16日月曜日

奈良県香芝市や橿原市の松島石!

なんと!驚く事に、奈良県香芝市や橿原神宮の鎮座する橿原市一帯に、松島石が数多く使われていました。最初は良く似ているな!と思って居たのですが、余りの多さに少し気を入れて産地を探してみようと動き出したのですが、ある御宅で45年前に松島石だと言われて使ったが大変な出費だった!と伺う事が出来ました。45年前とは1968年(昭和43年)の事になります。列車輸送が盛んな時期だとは思いますが、よくまあ、大谷石を尻目に奈良の地まで送り込んだものですね。
屯鶴峯(どんずるぼう)を久し振りに歩いた時に気付いてその後3回も通ってしまいました。

2013年12月11日水曜日

法隆寺の凝灰岩質石材 (7)

基壇に用いられている黒色岩片は前の画像やこの画像でも判るように必ずしも黒曜石では無い。
屯鶴峰では黒色岩片は大体黒曜石だったと思うので、採石された場所が異なる可能性が高い様に思える。明日はもう一度屯鶴峰を歩く予定なので、詳細に有色岩片をチェックしてみようと思う。
画像はトリミングした時に下の方に落下した風化部分を取り込んでおいた。薄く剥がれないでこの様に小さな粒になるのは大谷石等でも良く観察される状態です。
出来れば木曜日と土曜日に屯鶴峰を歩こうと思っているが、ひょっとしたら呼び出しが掛かって途中で他に出張させられるかも・・・  数日UPをお休みします。

2013年12月8日日曜日

法隆寺の凝灰岩質石材 (6)

基壇を囲む石材の中に比較的大きな岩塊らしいものが入っているのを見付けた。高さが150mm程度のもの。断面を観るとなにやら硬そうな気がするが実際の処は判らない。

2013年12月7日土曜日

法隆寺の凝灰岩質石材 (5)

画像の高さはおよそ70cm。屯鶴峯等の凝灰岩石材は、採石跡の発掘記録を拝見していて、伊豆半島や房総半島の大部分の凝灰岩石材の採掘方法と異なり、堆積した層を引き剥がす様な採掘方法だと思っていた。大谷石を含めて「模様」としての堆積構造は見えるものの、強度的には層状の堆積模様は余り影響が無いので、房州石等のでは普通に水平に切り出せば斜めの縞模様が美しいのだが、屯鶴峯付近の凝灰岩露頭では層の厚みが限られているし、強度的にも方向性が強そうだし、採掘跡もかなり広い面積で板状に地層を引っ剥がす様な採石だと想像される。
でも、此の石材の左右の板は明らかに堆積構造が斜めに見える。
 先日、山形市内で国指定重要文化財の二つの凝灰岩石材を用いた鳥居を観て来たのだが、およそ900年程度を経ているらしい。それだけ古い凝灰岩質石材の文化が有るのに、房州石や伊豆石の様な建築にそのまま石材表面を晒した蔵等を探し出す事は出来なかった。土蔵と表面に漆喰を塗り上げた蔵ばかり(中味を見る事が出来ないのが残念)だった。

2013年12月3日火曜日

法隆寺の凝灰岩質石材 (4)

この部分は堆積した火山灰層をぶち破って噴出したがその火山灰層がゴロゴロと崩れたのを巻き込んでしまった。と言う雰囲気です。
房州石等の凝灰岩質石材と、この付近の石材の採掘の仕方はかなり異なる様で、屯鶴峯付近の採石跡地の発掘資料を拝見していると興味深い。似たような採掘の仕方は、鋸山付近では「土丹」の採掘の仕方と良く似て居る様に思います。

2013年12月2日月曜日

法隆寺の凝灰岩質石材 (3)

成層した火山灰のブロックや、ややピンクを帯びた岩片も屯鶴峯の露頭と照合すると、この様な構成も無理なく想像が出来る様に思えるが、出来る事ならこの石材を生み出した採石場の露頭を観察してみたいものだ。

2013年12月1日日曜日

法隆寺の凝灰岩質石材 (2)

図の高さは約170mm。基壇の上の縁を彩る石材です。黒曜石と言うよりは真珠岩の様な小岩片が多数含まれて居ます。屯鶴峯や二上山周辺では、サヌカイトから黒曜石、真珠岩、流紋岩の流紋が標本の様に美しいものや、酸化によるピンクのやや円磨された様な礫、更には流紋岩質と思われるが薄灰色の流紋の無い岩片など様々な小岩片を含む層が観察出来ます。

2013年11月30日土曜日

法隆寺の凝灰岩質石材 (1)

最初の画像が風化した部分で恐縮ですが、五重塔の足元の石材は確かに屯鶴峯の凝灰岩に似ています。お詫びに五重塔の画像も一枚。但し、小生風の画像ですが・・・
残念、少しセンターを外してしまった!

2013年11月28日木曜日

野蒜石:ある造り酒屋さんの石壁 (4)

ブログのソフトがまた少し変調を来している。チョコマカと修正をくり返して居る為に小さなミスが集積していくらしい。
これは、堆積構造が見えている石材。野蒜石では比較的少ない部類だろう。白色の部分も少ないので、堆積した凝灰岩の表装の部分かも知れないなどと想像している。

2013年11月27日水曜日

奈良・屯鶴峰の流紋岩

奈良の二上山にはサヌカイトが、どんずる峰には黒曜石に近い黒色岩や、灰色から乳白色の流紋岩、それに幾つかの層準には酸化したピンク色のスコリア質(良く発泡しています)礫が含まれています。これは公園の入口から少し奥の方に入った露頭の流紋岩です。少し太陽の光を浴びて光ってしまっていますが、中々良さげでした。勿論、サンプリングせずにそのままです。
たまに、流紋がハッキリして綺麗な断面をしているのが転がっていますが、手に取るとボロボロに風化していてがっかりします。こうして凝灰岩の中に埋まっているものは硬そうです。

2013年11月25日月曜日

奈良・香芝市で観た「野蒜石」似の石材

関西への出張を終えて帰宅。少々疲れ気味だが明日出勤すれば暫く(週末までは)は休めるので頑張らなくちゃ!今回の出張を利用して奈良の「どんずる峰」を歩いてきた。
公園の入口から直ぐの露頭には黒色のサヌカイトよりは黒曜石に近い様なグラッシーな黒色岩片が多く含まれている部分が有り、少し北の露頭に取りつくと、酸化した適度に発泡したスコリア(中には人頭大のものもあるが)があり、ほんの少し奥に行くと綺麗な流紋岩の堆積岩の様な模様の灰色~肌色系の岩片が凝灰岩の中に含まれて居て興味深かった。
ここから、法隆寺に移動し、金堂と五重塔の基段の石材を観察。なるほど、「どんずる」の凝灰岩の余り成層がハッキリしない部分を採掘して使った事が理解できた。

驚いたのは、JR香芝駅の近くに、宮城から持ってきたと言われると信じたくなるほど野蒜石に良く似た石材が使われていた事だ。いろいろあるなー!

画像の様に、モルタルの目地の様子からして古いものではなさそうなのだが、偶々駅までの道を曲がり間違えてこの塀に出くわしたのだが、車窓から見ていると他にも2軒同じ様な石材が使われているのを見掛けた。
また今度、関西に出張の際に確認してみようと思っているが、少なくとも奈良の香芝付近では採掘していないので誰が、何処から持ち込んだのだろうか?
法隆寺の五重塔・基段部分に使われているのとは少し異なる。

野蒜の北のIC近くで川下石を採掘して居られる大友さんにもお会いして話を伺わなくてはいけない。年内に仙台出張はあったかな~!

2013年11月23日土曜日

野蒜石:ある造り酒屋さんの石壁 (3) 表面仕上げ

この石材としては余りお目にかかる事の無い仕上げだが不思議な雰囲気がする。機械仕上げではとても出来ないので、一枚一枚手仕上げなのだろうがその根気には脱帽する。
出張と旅と勉強会で1週間ほどUP出来なかったが、明日・明後日も関西を歩くのでお休みとなります。

2013年11月17日日曜日

野蒜石:ある造り酒屋さんの石壁 (2) 珪質岩

あまり大きな岩片が含まれる事は無いので、比較的岩質を特定出来るケースは少ないのだが、かなり珪質の岩片が含まれているのに気付いた。チャートとも思えず正体は不明だが、興味深い。

2013年11月15日金曜日

野蒜石:ある造り酒屋さんの壁面 (1)

有る酒蔵で内面の壁の野蒜石を撮影させて頂いた。画面下に15cmのスケールを置いて居る。
流石に、壁の内面は美しく保たれている。

2013年11月14日木曜日

野蒜石:石巻市内の石蔵 (5)

この石蔵は白色部分が多いので特に目立った部分をご紹介してみました。明日は石巻市内の他の石造物をご案内します。

2013年11月12日火曜日

野蒜石:石巻市内の石蔵 (4)

側面、二階の窓の付近。前の二枚が決して特異な火山灰の状況では無い事がお判り頂けるものと思います。

2013年11月11日月曜日

野蒜石:石巻市内の石蔵 (3)


岩の表面に赤い色が点在するがこれは何かの塗料が飛んだものらしい。一瞬、ピンクの酸化したスコリアが含まれているのかと思ったが違って居ました。この石蔵の石材は後2枚ご紹介の予定。
次は高畠石をご案内する予定だったが、先日石巻に行く事が出来たので二ヶ所の石材を少しご紹介してから高畠石に行く事に予定を変更しました。

2013年11月8日金曜日

野蒜石:石巻市街の石蔵 (2)

前野画像の蔵に使われている石材です。かなり大きな白い部分が有ります。望遠レンズの焦点がきっちりと合って居なかったのか、手振れなのか?イマイチ鮮明ではありませんが、押しつぶされた軽石の様です。
実は久し振りに石巻に行って来ました。天候が良くなかったので午前中だけで午後は場所を塩竃に移して同様に石蔵を探して歩きました。一か所で、この白い部分が主体の石材を使っている所を見る事が出来ました。全く別の場所で採掘されたものかと思いましたが、窓枠等にはこの黒いスコリア質のものが含まれて居ましたので、同じ種類のものと思われます。

9-10日と博物館の県外岩石観察会の為に伊豆半島に行きます。従って2日間は画像のアップが出来ませんが御了承下さい。

2013年11月4日月曜日

野蒜石:石巻市街の石蔵 (1)

2012年2月に、実に数十年振りに石巻を訪ねました。ひと頃は金華山にも何度か通った時期が有りましたが実に久し振りでした。多賀城まで仕事で良く通って居ましたので、行こうと思えば何時でも行ける状態の筈でしたが、久し振りに行こうと思ったら震災で結局1年延びて、2012年の2月末にやっと石巻の駅を降りました。
これは北上川に近い場所の石蔵で、周囲の土蔵などは津波でひどい事になって残骸が残って居ましたがこの石蔵は残って居ました。
此処の野蒜石は比較的軽石の大きいものが含まれているのが特徴でしょうか?部分によっては軽石と云うよりは均質な白い凝灰岩にも見えるものが有ります。

この処、出張や、岩石見学会等のスケジュールがかなりタイトで、明日からは仙台、帰宅したら直ぐに伊豆半島と続くので毎日更新はとても出来ませんが、この蔵の画像を数枚ご案内したら、次は2012年8月の高畠石をご紹介する予定です。

2013年11月3日日曜日

奈良・二上山のサヌカイト

先日、奈良に出掛けた折に、屯鶴峰に寄る積りだったが、電車を乗り間違えたり、色々あって時間が短くなり立ち寄るのを諦めて、二上山博物館に立ち寄るに留めてしまった。
凝灰岩採掘の資料を探しての事だったが、瓦の資料も手に入れる事が出来て収穫が多く助かったのだが、この処、博物館での地質の勉強仲間との例会に中々出席出来ていないので、何かお土産に丁度良いものが無いかと思って居たら、二上山産出のサヌカイトの岩片を入手出来たのでこれをお土産にする事にした。500円で14片入っていたので安い!と思った次第。
本当は別のものが欲しかったけれど、また今月中に来る機会が有るだろう。

2013年10月29日火曜日

野蒜石:稲井農業倉庫 (6) 異分子

どうしても、軽石の構造に興味が魅かれる。病気かもしれない。もともとこの岩石の画像集は、これでもか、これどもか!と似たような画像を次々に繰り出すからもともと病気かもしれない。

2013年10月28日月曜日

野蒜石:稲井農業倉庫  (5) 二つの石材比較

一つの画面の中で同じ野蒜石の「硬:下」「軟:上」二つの石材を比較するのも興味深い と思うのだが・・・

2013年10月26日土曜日

野蒜石:稲井農業倉庫 (4) 高畠石との比較

石材の細部を見てみよう。画面上に10円硬貨をスケールとしてほんの少し居れています。この程度の円弧があればスケールは判りますよね。軽石が主体ですが、黒色岩片だけでは無くやや薄い灰色の岩片も多いですよね。
この画像は明日「石工サミット」が開催される高畠の瓜割公園に近い(株)こなや川さんの資材倉庫で観た高畠石の接写です。二枚の画像はスケールが違いますから注意して下さい。
何枚も何枚もこんな画像を見比べながら、更に他の地方の石材とも見比べながら、石材の特徴を見定めて行きます。勿論、私の場合は、「房州石」と「伊豆石」のファイルと「その他の凝灰岩」ファイルを作成しています。


たかはた石工サミット

明日10月27日、山形県高畠町で表記の催し物が開かれる。
瓜割公園は昨年の8月の残暑の中を歩き、最後の石工さんが残した他とは違う大きな石材を目にした思い出がある。この日の事は先日の金谷 石のまちシンポジュームの場で知ったのだが、丁度観察会と重なっていたので、参加出来ないと思っていたが観察会が延期になったので行ってみたい気がしてきたが、他の予定を入れてしまったので今回は諦め。
静岡の知人は日帰りで参加するとの事。 ガッツが有るな~!
昨年の夏に高畠を歩いた時の画像をUPするのを忘れていたので、野蒜石が一巡出来たら夏の高畠石に戻ろう。
台風の雨がかなり強くなってきた。そう言えば数年前に大谷石の観察会が開かれた時も、台風がやって来ていて、参加者からこんな日に本当にやるとは思わなかったと言われた事を思い出した。勿論、それ程大変な目には合わなかったが、鹿沼のメランジェ層の観察画像が殆ど雨で使い物にならなかった事が有った。

2013年10月25日金曜日

野蒜石:稲井農業倉庫 (3)

軽石の量は様々だけれど、軽石の形状は少しだけ角が取れて丸くなっているものが多い。空中を降下する時にぶつかり合って角が取れるのか、堆積後の二次移動で角が取れるのか?判らないが、他の凝灰岩では角が取れていないものも結構あるので、二次堆積の影響が大きいのかもしれない。

 これは別のブロックの拡大画像だけれど軽石は繊維状に見える。少し押しつぶされた形状だと言われる事も在るが?砂分の粒子構成も興味深いのだけれど作業は中々進まない。


2013年10月24日木曜日

野蒜石:稲井農業倉庫 (2)

これは比較的硬い方の石材の顔。軽石が大きいので硬いだけでは無く上手い具合に粘りも有るのだろうか?凝灰岩の強さは、粒度構成だけでは推し量れないから余計に興味を惹かれる。

2013年10月23日水曜日

野蒜石:石巻市井内の農業倉庫 (1)

稲井石の採掘跡を観察に行った時に拝見した井内の農業倉庫。このすぐ横の石材屋さんの親爺さんに拠れば、下の色が黒い部分は強いが、上の白い部分は少し弱いのだそうだ。
少し石材の状態をご覧頂く。

2013年10月20日日曜日

野蒜石:野蒜駅横;岡田石材殿資材倉庫 (5)

岡田石材の親爺さんは津波で亡くなられたと聞きます。資材倉庫だけがポツンと残っている景色はやや寂しいものがありますが、出来る事ならこのまま残してほしいと言う気がします。
この場所の画像はこの2枚で終わります。小生の大好きな大きな軽石の入った部分としっかりとした天井の組み方と窓も好きですね。丁寧に組まれたのだろうなと思います。




2013年10月19日土曜日

伊豆半島湯ヶ島層群 凝灰岩中の貝化石

千葉県立中央博物館では毎年「県外岩石観察会」を開催しておられる。今年は「伊豆石と伊豆半島」の二日間の旅。といっても往復の所要時間が長いので実質の観察時間はかなり限られてしまうのだが、房州石を知る為には伊豆石を観なければならないし、伊豆石を見るなら伊豆半島の代表的地質を見ておこうと言う訳で最後の下見に御一緒してきました。
これは湯ヶ島層群の凝灰岩の中に熱水変質を受けたとても硬い部分が有りその破面に偶々出て来た貝化石。化石の直ぐ傍には熱水の脈があり水晶が晶出していました。
画面の横幅は上に写しこんだスケールから約53.4㎜程度。画面右下や他にも貝殻の剥片の様なものが見えます。露頭の場所は、観察会の時にこれを参加者の皆さんにお見せしたいので取り敢えず・・・・
他にも二枚貝の断面の様に見える円弧等がありましたがまだ未確認です。
岩体全体が硬い訳では無く、熱水脈の周囲のある部分が硬く、直ぐ傍でもザクザクの部分があり、熱水変質の不思議を見た感じです。

岩石表面を接写する際に、スケールに厚みが有るものだと焦点がボケたり、表面が光って露出が合わない様な事が有るので、今回は工事屋さんが使う薄いプラスチックの「クラックスケール」を使ってみました。反射がきつくて駄目かなと思いましたが意外とスケールが鮮明に写ってくれましたので、暫く試してみようと考えています。この様な接写をする場合は、スケールを出来るだけ近くに置きたいので、帰宅してパソコンで見ると焦点がスケール側に在って残念な思いをする事が良くあります。

2013年10月15日火曜日

野蒜石:旧野蒜駅横 岡田石材殿資材倉庫 (4)

窓の部分は外壁とはやや異なる石材を用いている。スライドする部分は大谷石の様ですね。圧密度や溶結度が異なりやや強度が高いものを使っているのでしょう。
処で、かなり黒い色の様な雰囲気ですが、此の石材の破面を見るとこの黒い粒子分が見えないのです。参考の為に破面もご覧頂きましょう。津波で何かがぶつかって欠けたのでしょうか?
黒い粒子も無い訳ではないけれど破面だけ色白ですよね。露頭ではこの色なのでしょう。
時間の経過で黒色系の粒子(砂・礫)が洗いだされて来るのでしょうか?
15-16日と台風が来そうですが仙台出張。17-18日は伊豆半島南部を歩くので更新が出来ません。出張が中止になれば勿論更新します。

2013年10月14日月曜日

野蒜石:旧野蒜駅横:岡田石材殿資材倉庫 (3)


私は上の段の画像の様に不連続と言うか、異常堆積と言うか、単調ならざる堆積模様や本質岩以外の石材の混入を見るのが好きで、偶々道路から直ぐに見える側の一番下に有ったこの石材に引き寄せられた。
上の画像はクリックして拡大して観て頂くと、画面の右側の底の部分が鋸歯状になっています!

2013年10月13日日曜日

64歳の定年退職後に開始したこのブログ

2009年7月末で20歳から44年間勤務した企業を定年退職してこのブログとは別の「枕状溶岩の露頭」と言うブログを立ち上げたのが、その年の9月8日。

永年、調査してきた「まくら状溶岩」の露頭情報を何らかの方法で公表出来ないかと考えた末が、ネット社会の便利さを利用したブログだった。費用が全く必要無く行けるのが魅力だった。
「まくら状溶岩」を「枕状」としなかったのは有る教育委員会の無知と無礼に頭にきて、読み間違いの無い様に表記を選択した結果だった。
当初は1年程度で画像データが当時の容量一杯になると思っていたので一杯に成ったら辞める積りだった。第一「まくら状溶岩」なんてものの露頭情報や画像なんてものに食いつく人が居るとは殆ど想像が出来なかった。
意外に早くやって来たのは自分の体力の衰えで、高所や海岸の岩場をバランスよく歩く能力が退化し、枕状溶岩の露頭を歩く事を諦めざるを得ない老化だった。
意外と枕状溶岩にもアクセスが安定的に在ったので、これを維持する為に予てから調べていた火山情報を流す事で継続する事とした。投稿しないと整理ボックス行だもんね!

この「岩石と土の表情」は、2009年11月15日にスタートした。埼玉県の古墳に「房州石」が使われていると言う「記述」に反発したもので、結果的に「千葉県産建築石材の採石・流通・現状」を調べると言う途方もない素人のやっつけ仕事的ライフワークの画像集の発表の場となっている。
ここ数年、年に10,000枚程度以上の岩石の写真を撮影しているそのほんの一部です。

最近まで、投稿済画像データ容量をチェックしていたが面倒で止めた!このブログが何時データ容量の限界に達するのかは判らない状態。時々見直して特に火山データ等は古いものは出来るだけ削除しているが、金が無いから容量が限界に達したらその時点でストップします。

現在、二つのブログで2,557件の投稿をし、87,422件のアクセスを頂いている。といってもアクセスの中には、詐欺的手法のアクセスも多いので実勢は不明。一枚の画像に平均30アクセス。
大体毎日100アクセス以上は頂いています。有り難い事です。

既に68歳になっているので、仕事(年金だけじゃ地質をやる様な費用は捻出出来ない)を続けられる間はブログも続けたいけれど、容量が一杯に成ったら明日にも辞めざるを得ないのだろう。
画像データだけで3GB程度に達していると思います。
画像は小さな画像なんて意味無いので、一応水平方向は1280ピクセルに調整しています。

画像のDLはご自由にどうぞ。元画像が欲しい時はコメント欄にメアドと共に書込んで下さい。
公表せずにデータをお送りします。引用元や画像提供のコメントは不要です。


野蒜石:旧野蒜駅横 岡田石材殿資材倉庫 (2)


壁面に用いられた石材画像を2枚。

昨日は富津市の鋸山の麓の町金谷で開催された「石のまちシンポジュウム」を聴講させて頂いた。100名以上の方々が酸化されておられただろうか。シンポの後8時まで開かれた交流会に30名ほどの方々が参加されていた。
偶々小生の前に座られておられた方が、このブログを見て下さった事が在る様で小生的には勝手に盛り上がってしまったが、夫々の世界で造形深い方々のお話は学ぶべきものが多い一日だった。今日はこの晴天の中を昨日シンポに参加された30名近い方々が鋸山の石丁場を歩きはじめておられる時刻だ。

2013年10月12日土曜日

金谷ストーンコミュニティ 第5回 石のまちシンポジューム


今日は午後から浜金谷で表記のシンポジュームが開かれ、小生も聴講させて頂いた。演者のリストは既にご紹介させて頂いているので省略させて頂くが、興味深い講座でとても参考になりました。やはり文化財保護に携わって居られる方々や、実践で頑張っておられる方々の話は貴重です。
画像は、凝灰岩の石材を起こす時に用いる「矢」のもので、画面の高さが大体14cmと考えて良さそうです。何時もはケースに入っていてガラスの反射が困りものなのだが薄暗がりで何とか撮影。

野蒜石:旧野蒜駅横 岡田石材殿資材倉庫 (1)

JR仙石線の高台移転で取り残された旧野蒜駅の西側に小さいしっかりとした石造りの資材倉庫が在る。当初は保線用資材倉庫かと思っていたが、岡田石材殿の津波に耐えて残った資材倉庫だとご教示頂いた。

2013年10月11日金曜日

野蒜石:塩竃石の石造建造物 (6)

本塩竃駅前を通る県道3号線に面した地区には石材を用いた建築物が多く現存する。
この建物は味噌醤油の工場らしいが窓の下の部分は部分的に補修を行っているが大部分の石材は美しい状態を保っている。