2015年7月18日土曜日

岩槻の街中の伊豆石 (11) 愛宕神社拝殿の礎石

拝殿の礎石は末社のものよりも大型で見事な亀腹を構成していました。風雨のさらされ方が異なるためか風化が進んだ部分と最初の仕上がりが残っている部分がありますが、全体的に風化が進んで居る事は間違いありません。この風化部の破片を、お許しを頂いて頂戴し観察したものが、「岩槻の街中の伊豆石」の (2) と (3) の画像です。
最近、鳩ヶ谷の街で道路の拡幅工事の関係で旧家のセットバックが行われました。住居部は新築されましたが、石蔵は曳家が行われその基礎工事の際に発生した残土中にこれに類似した石材や緑色凝灰岩が有りましたので、石灰質砂岩の破片を少し頂いて来ました。何れその石材破片も顕微鏡で観察しその結果をご案内したいと考えています。


 上の画像の一部を拡大して見ました。画面右下の方に貝殻片が見えるのがお判り頂けるでしょうか?

2015年7月17日金曜日

岩槻の街中の伊豆石 (10) 愛宕神社末社の礎石

東武岩槻駅近くに「愛宕神社」が鎮座されている。地元の方々に愛されている神社の様で周辺の整備も行き届いている様に見受けられる。境内の末社も歴史を感じる造りだが、その礎石部分に伊豆石の石灰質砂岩が用いられている。葺屋で覆われているので撮影に苦労したがなんとか石材の状況を写し撮る事が出来ました。




2015年7月16日木曜日

山口県萩市の見島 (1) 日本海が開いた頃の火山体

1,200~800万年前の活動期なので、正しい意味での「日本の火山」には該当しませんが、以前から一度行ってみたいと思っていた山口県萩市の見島に24時間滞在し地質の観察を楽しんで来ました。大量の火山弾が固結したスコリアの中に在る様子は実に驚きでした。何時かゆっくりと火山の画像をご案内したいと思いながら、ついつい眠ってしまうテーマを忘れない為に取敢えず画像を数枚UPしておきたいと考えます。下の画像は島の有名な観光地の観音堂を南側の高みから眺めたものです。
 上の画像より崖を下って少し低い部分に立つと、ピクライト質玄武岩の露頭が見えます。玄武岩と言うのはやや白すぎるのですが、かんらん岩が沢山入っています。赤茶色のスコリアの苔須部には大量の火山弾が閉じ込められています。紡錘型とリボン型の火山弾の拡大画像の一例を紹介します。固結して居るので、取り出すのは少々厄介です。


岩槻の街中の伊豆石 (9) 丹過通り 長谷川邸

丹過通りにあります長谷川家は有名な建物なのだそうです。この店蔵の両端にも伊豆石の石灰岩質砂岩が観察されます、これは表だけでは無く店の奥まで側面にガラス戸を通して観察する事が出来ます。両方共に風化が進み少し表面が剥がれています。出来れば漆喰で保護して頂けると良いのですが、そうすると観察出来ないと言うジレンマがありますね。


 主屋の礎石にも同じ石材が使われています。申し訳ないのですが望遠レンズで撮影させて頂きました。
 この長谷川邸では向って右手に瓦を組み込んだ瓦塀があります。念の為ここに使っている瓦に打たれた刻印を確認してみました。岩槻に瓦を供給した地域の情報は手元には全く無いのですが、一つ興味深いのは、藩校の遷喬館の復原工事の際に記録された瓦の刻印と、ここの瓦の中の刻印が実に良く似ています。周囲を囲む縁取りの切れ方や「喜」の文字の細部も多分同一だと思われます。遷喬館も幾たびか修繕が行われている建物ですが、ある時期に同じ瓦屋から供給された事が判ります。その刻印がこれです。

2015年7月15日水曜日

岩槻の街中の伊豆石 (8) 高橋倉蔵商店

  旧中野亀蔵商店の並びから一歩奥に入って高橋倉蔵商店さんの土蔵が有ります。この蔵の礎石には下図に示すように同じような石灰質砂岩が礎石に用いられています。


 この石材も、伊豆石の仲間です。比較的硬いものが手に入るので窓枠とか扉の敷居等にも用いられています。緑色凝灰岩の特徴的な緑が伊豆石の他の石材と共に用いられるので、良い指標となります。

2015年7月14日火曜日

岩槻の街中の伊豆石 (7) 和洋酒商玄関脇

最初に紹介した明治35年の「埼玉県営業便覧」に「和洋酒商」として掲載されているお店のこれは正面向って左側の礎石です。良くここまで角が取れずにこれまで来たものだと感心するのですが、場所に拠っては漆喰が残っているので、本来は漆喰が石材を守って来たのではないかと思っています。一番上の画像の左手に少し剥離したものが落ちています。同じ石材を別の方向から観察した画像です。この画像では貝殻よりも石灰岩の砂~礫が目立ちます。