2011年3月26日土曜日

房州石・古墳(I-9)富津市磯根崎:富津磯石の故郷

少し戻って磯根崎の突端に近い部分を観察して観ましょう。正に古墳の石室に格好の生痕化石が残る砂岩・泥岩が有ります。厚みも手頃ですね。
岬の突端に近いほど崖よりはヤヤ硬い地層が露出して居る様です。
地震の資料はこのブログからは外し、「まくら状溶岩の露頭」に集約しました。興味がある方は「プロフィール」から入れると思います。理由は両方に書くのが面倒になり最近此方ではUPしていなかったので序に削除しました。

2011年3月25日金曜日

房州石・古墳(I-8)富津市磯根崎:富津磯石の故郷

前の画像に引き続き、磯根崎の南側の海岸線に続く崖の様子です。この部分には磯根崎の北側の部分と異なり、崖の下には「岩」のブロックは有りません。恐らく、「岩」としての固結度が足りないので波浪により砂になってしまうのでしょう。
崖面は結構凹凸が多いのですが、これを良く観察していただくと小さな突起の様に突き出しているのは殆ど全てが生痕化石の様です。残念ながら、小生は古墳時代の歴史にも、生痕化石にも基礎知識が欠けているので詳しく解説する事は出来ませんが、どうやらこの附近は豊かな海だった様です。
「崖」と書くべき所を「崖錐」と書いてしまいました。ご指摘を頂き有難う御座いました。訂正しました。
地震関係はもう一つのブログに集約し此方からは外しました。両方に書くのが面倒なので・・・

2011年3月24日木曜日

房州石・古墳(I-7)富津市磯根崎:富津磯石の故郷

磯根崎の先端部は飛ばして後回し、この画像は岬から続く南側の砂浜と崖錐の風景。時々、リュックをしょった方がのんびりと南に歩いていく姿が見える。ヤヤ引き潮の時には岬の部分もやすやすと通過出来るので、静かな内房の海岸風景を楽しむには格好の場所。上総湊まで歩かれるのだろう。上総湊附近にも砂浜が狭い部分が在るので、「縦走」する場合は干満をしっかり調べて歩かれるようお勧めする。実に静かで心休まる場所だ。此方は次の画像で崖を見て頂くが、富津磯石として採掘するにはヤヤ強度が足りない雰囲気。

2011年3月23日水曜日

房州石・古墳(I-6)富津市磯根崎:富津磯石の故郷

これは何のものだか判らないがこれも生痕化石のひとつ。多分海底を動き回るのが好きな底生(棲?)動物のものだろう。この附近は砂層や泥層が火山起源で在る事が多いので実は砂鉄が多いのです。生痕化石が丁度その砂鉄で作られているのです。こんなのも珍しいかもしれない。

2011年3月22日火曜日

房州石・古墳(I-5)富津市磯根崎:富津磯石の故郷

乱堆積層のクローズアップ。画面に写りこんでいるワイヤーロープは崖の崩壊検知装置のもの。どうやら崩壊するとこのワイヤーに掛かる荷重が変化するので検知出来るらしい。崖も一応自立した崖錐面を保持していける程度には硬いのだが、岩石と言うにはやや強度が足りないと言った雰囲気。といっても、もう少し下の層にはもっと硬い砂岩が広がっています。

2011年3月21日月曜日

房州石・古墳(I-4)富津市磯根崎:富津磯石の故郷

処で、この附近の砂層の堆積状態が面白い。しかも、弁天山古墳の石室の石にも有った様な泥岩まで混じっている。直ぐ傍の海岸なので或いは此処から拾ってくるのが一番早いかもしれない。
弁天山古墳と磯根崎の間は1/25000地形図でこんなに近いのですよ!下記のアドレスをネットでコピペでやれば地図が出てくる筈です。(今の時期は少々地図表示まで時間が掛かります)
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=351641&l=1395112

2011年3月20日日曜日

房州石・古墳(I-3)富津市磯根崎:富津磯石の故郷

崖が崩れた部分にはこの様に適当な大きさの岩片が転がっている。この画像を撮影した時は満ち潮だったが、引き潮になるとこの場所は砂浜になる。
岩片の採集には最適な位置条件であろう。幾ら適当な岩片が有っても、波が打ちつける崖の露頭では船に積み込むにも苦労が多い。やはり近くに砂浜が在る事が必要条件では無いだろうか?
この状態でも普通の長靴で釣り人が岬を廻って歩いてこの附近を通っていた。2度目に此処に来た時は、丁度旨い具合に引き潮に当ってしまって折角長靴を用意していたのに、砂浜は広く長靴である必要は全く無くがっかりした。

久し振りにブログを再開する事にしました。東北地方太平洋沖地震とその後に続く津波や原子力発電所の人災を見ていますと人間の築き上げる一生と言う命の時間と、地質学的な様々な現象の時間スケールの余りの違いに無力を感じてしまいます。画像は有り余るほどに蓄えてはいますが、此処暫くは更新したりしなかったり、不規則な状態が続くと思いますがご了承下さい。