2020年5月16日土曜日

岩石と地層の表情:016;高畠石の観察

最初の画像は高畠で雪の中を歩いた大まかなコースです。黄色で示したのが旧山交高畠駅舎の位置。緑の線が、ほぼこの日歩いたコース。少し雪の少ない路地にも入ったけれど記憶がはっきりしない。水色の囲んだところは石切場跡。航空写真で拡大すると結構規模は広そうです。赤丸は「引地石材店」さん。屋代川に架かる橋まで出た処で川沿いに石材屋さんが在って、表にそれらしい石材が在るのが見えたのです。傍まで行くと、凝灰岩の様々な石材を持って居られて中には薄く板状に切られたものも有り、中には破片もあったので、お訪ねして破片でも少し頂こうかと思った次第。ところが、用途をお話しするとそれじゃという事で 20 cm 角程度に高畠石を三種類切って分けて下さいました。
この後、遠くに蕎見えた石切場跡の近くまで行って、街中に戻り、蕎麦屋さんを見付けて暖を取りタクシーを呼んで頂いてJR高畠に戻り、次の目的地である「山形城」に向いました。
板状の凝灰岩を切って下さいました。右手の破片状のものは、お隣の宮城県産の「秋保石」
高畠石の瓜割産
高畠石の同じ瓜割産の青目

高畠石の西沢産

瓜割産の実体顕微鏡でのコリメート撮影例
宮城県産の秋保石(左)と大谷石(右)の比較
高畠石の産地分布図:後日、高畠を再訪した時に博物館の展示を撮影したものです

岩石と地層の表情:015;街中の高畠石

昼御飯も食べずに、と言うよりは、開いているお店が殆ど無い中を、時間が許す範囲で街中を歩いて高畠石がどんなものに使われているか?他ののどんな石材が入ってきているか?
考えながらうろつきます。幸い、道路の向こうから声を掛けて下さった方が居て(異常だもんね)大体メインの通りを歩けば、雪さえなければいろんな石造物と出会えそうな事。
序に、ダメ元で高畠石を扱っている石材店を知っているか?お聞きした処、石の会(?)の方に聞き合わせて下さったので、行けるかどうか判らないまま、見て回った時の画像を少しご紹介します。
看板には「アカオニ オイシイオカシガゴザイマス オチャモワカシテゴザイマス」と書かれています。
大谷石に似て、でもこちらの方が私は好きですね
厳嶋神社の中の燈籠です。石材は新しいものの様です。
近付けない時は望遠レンズです。機械加工品ですね
お店の看板でしょうか?下が読めません
始めてみる灯篭の型式です。
鳥居の柱
石蔵もありました。遠目には大谷石と変わらぬように見えます
石切跡もありましたが、個人のお宅の敷地内の様でしたし、これ以上は雪に阻まれて近づく事は出来ませんでした。
結構嬉しい事がありました。石材のサンプルを数種類頂く事が出来ました。

2020年5月15日金曜日

岩石と地層の表情:014;山形交通 旧高畠駅舎の高畠石

山形や宮城県は比較的気楽にフィールドを楽しむ事の出来る距離にあり、巨大カルデラ噴火が残した凝灰岩質石材が各地で採掘されており、山形では元山形大学に居られた川辺孝幸さんが「山形盆地の鳥居とその損傷状況のデータベース」を公表されており、私の様に素人調査員風のしりたがり屋には非常に歩き易い地域でもあります。高房神社の次は、現在は駅舎としては使われていない旧山交高畠駅舎が目標です。幸いな事に、ここは綺麗除雪されていました。
駅舎の外観です。鉄道が全線開通したのは大正十三(1924)年、駅舎が落成したのは昭和九(1934)年の事ですから、私より十一歳年上になります。
色は少し異なりますが、鹿沼石を少し茶褐色にすると良く似ています。礫として含まれている岩石が似ているのと、軽石の抜けた後の雰囲気が似ています。
軽石が残っているものも有ります。
軽石が抜けた後を良く見ると繊維状とでも表現しますか?筋状の模様が観察されます。巨大噴火の際の軽石の構造を反映していると云えます。
これも同様です。私が凝灰岩を観察する場合は、全体の雰囲気も大切ですが、細かな岩塊の色や形状、軽石の形状等、、他の凝灰岩質石材と区別する為と、類似点を探し出す事に重点を置きます。これまでに自分が知っている凝灰岩と何処が違い、何処が同じなのか、見分ける事が出来るポイントを探すので、自然とこんなポイントの画像が多くなります。
繊維状の細長い気泡を持つ軽石を見た事がありますか?次の画像で少し説明しましょう
軽石の気泡が繊維状になっているものを見た事がありますか?これは姶良カルデラの軽石を気泡が伸びている方向に平行に厚さ 10 mm 程度に切断し、側面とその一部を軽く研磨してから超音波洗浄してから、ゆっくりとしっかり乾燥させたものを久野久先生直伝の、私も大好きなインクに繊維状の軽石の一端を浸して、時間毎にインクがその繊維状:極細のストローの様な気泡にどのように吸上げられるか?を試した時の画像です。下の目盛りは 1 mm 間隔です。ストロー状の気泡に、明瞭に方向性を持って吸上げられていきます。
こんなに大きくはありませんが、鹿沼石にも似たような岩塊が含まれています。
いい味がでてますね!
これは確かバスの車庫だったと思います。
機関車の車庫です。残念ながら積雪に阻まれて近づく事は出来ませんでした

岩石と地層の表情:013;冬の最中に山形県高畠町に行ってしまいました。

隣町の米沢市置賜には若い頃に縁あって良く通って居たのですが、何となく雪のイメージが薄く、「冬でも雪は無い」と思い込みがあり、或る年の2月に新幹線に乗り、「峠」の駅をあっという間に通り過ぎ「雪の高畠」に降り立ってしまいました。一面の雪世界に圧倒されながら、タクシー乗り場で目的地を告げると、革靴を履いた私の顔をマジマジト見ながら、「多分行けるけれどその靴じゃ歩けないよ!」と忠告されました。現場で少し待って頂いて、駅まで帰る約束で向かったのは、高畠よりも置賜に近い片道 7 km 程の「高房神社」。この日は古い凝灰岩製の鳥居が有るのでこれを見るのと、高畠の街で凝灰岩の石造物を探し、出来る事なら、サンプルを何処かで手に入れようという計画でした。
境内には一歩も入れませんでしたが、なんとか鳥居の石材の観察画像を撮り終えました。今日はその雪の高房神社の画像を少し。明日以降も雪の高畠の街中や旧山形交通高畠駅の画像などをご案内。その後、高畠には何度か来る機会がありましたが、今度は盆地の凄まじい暑さにやられてしまいました。
到着したのはこんな場所です。目的はタクシーの向こうに見える石の鳥居です。神社は鳥居を潜ってかなり歩く場所に在るのですが、全く雪掻きをしていないので参拝と言うよりも
鳥居にさえ近付けません。大きさを比べるものが無いので、タクシーに少しバックして頂いてスケール代わりにタクシーを入れてまず一枚です。
鳥居の正面です。幸いな事に凝灰岩製の鳥居では有り勝ちな地衣類が殆ど着生していません。地衣類で岩相が隠されていたら、何の為に、メーターがチャカチャカ上がっていく
タクシーメーターの音にひやひやしながら此処まで来たのか判らなくなります。
神社の由緒は画像記録の必須アイテムです。手前の燈籠が写り込んでいますが、文字は綺麗なので十分に読むことが出来ます。
鳥居の石材の岩相を見る為に、望遠レンズに変えて撮影です。体を固定出来ないので震えそうになる体を、息を止めて撮影です。
表面の画像は撮れるだけ撮るのが鉄則です。そうそう、こんなに遠くまで遠征する機会は無いので、もう一枚写しておけば良かった等と言う後悔は良くある事ですが「厳禁」です。
岩片が入っている部分のサイズを見たいので、フィールドノートを手を伸ばして雪まみれになりながら写します。
大正二年の造立になる神社の標柱も似た石材が使われています。
燈籠の側面には粗い地肌に細い彫で寄進者の名前が彫られています

2020年5月13日水曜日

岩石と地層の表情:012;博物館でみんなとワイワイやりながらの観察

採集した岩石は、個人でそっと仕舞い込む奴と、博物館に持ち込んで、適当にスライスして研磨し顕微鏡やルーペで観察し易い様に加工して保存するものと、
更に薄片を作って偏光顕微鏡で観察するところ迄進むものとがあります。この時期は、2016年春にスタートした「石材が語る 火山がつくった日本列島」の企画が始動し始めていましたので、当時の画像データを見ると、銚子での瓦素材の調査に始まって北は石巻の井内石から野蒜石の石切場の観察、伊豆半島での観察会の下見やら房総半島での石切場の調査等が目白押しで並んでいるので薄片作成までやる余裕は無かった様です。外観や破面の観察画像の一部をご覧頂きましょう。
「関門層群」と言う単語は北九州市に育った人間としては妙に、懐かしい響きがあり、石灰岩が破砕と円磨の過程で消え去らずに適度に円礫になった状態で観察出来るというのは、観察するだけでも妙に心躍るものでした。
大きな暦だけでは無く結構細礫も多く含まれています。


この能力色の岩片が少し気になります。緑色眼の色にしては少し濃いですね!


赤で囲んだ中に化石らしい円形構造が観察されます
チャートです

2020年5月12日火曜日

岩石と地層の表情:011;岡山県高梁市旧図書館脇の庭石と岩石の採取

地質文献を調べてみると、広島県には石灰岩の角礫を含む赤色の凝灰岩が「関門層群」の中に存在する事が判りました。石灰岩は柔らかいので円礫の状態で存在するのは結構興味を惹くもので、銚子の「高神礫岩」の事を思い出しました。高神礫岩にも花崗岩が入っていますが、高梁辺りは花崗岩の分布地でもあります。
取敢えず高梁川の河床で、似た礫岩を探す事にして、伯備線の車窓から見える露頭や河川敷内の礫浜を探して何往復かするうちに、美袋付近に広い礫浜的中州が在り、赤い礫も多そうだと気付きましたので採集に掛かりました。
駅から一番近い中州は、鶴だかなんだかの保護地で立入禁止。少し上流の礫浜は雑草が生い茂って礫の露出が悪い事が判り、歩くには少々疲れてしまう距離の「水内橋」の上流側に広がる中州を採集場所に決めました。後で判る事ですが、この上流に「成羽川」が高梁川に合流するのですが、この成羽川の流域にこの岩石の露頭が在ることが判りました。
美袋付近の国土地理院地図:最新写真地図です。時間が潤沢に有る訳でも無いので、橋の上から望遠レンズで礫浜の写真を撮り、赤色の岩塊が在る事を確認して場所を探して回りました。赤線は伯備線。白で囲んだ地域は、一番良さそうだった河川敷ですが立入禁止。水色は、歩ける距離だけど土が多く雑草が繁茂して不適。黄色は水内橋上流で結局ここで採取しました。結構距離が有るのでタクシーで行き、大体2時間程度経ったら迎えに来て頂く様運転手さんにお願いしました。携帯は当時は通じませんでした。
車窓から撮影したものですが高梁川の美袋付近には、急傾斜の山が迫りそこで砕石の採掘が行われています。この図の場所では2001年に大規模な崩落が発生し犠牲者が出ました。
水内橋の上流の中州の礫浜です。上流側の山にも大規模な砕石場が見えます。
上流の砕石場を望遠レンズで撮影したものです。右端に巨大ダンプの姿が見えます。これでも法定傾斜角なのでしょう。
少し「お持ち帰り」候補者を集めてみたものです。赤色凝灰岩だけでは無く緑色凝灰岩も混じっています。石灰岩なのか?穴だらけの不思議なものもありました。
仲間達へのお土産用の小石達です。この時は重過ぎて袋が裂けてしまい、タクシー会社の事務所で大きなごみ袋を頂いて宅急便で博物館送りにしました。
礫岩は見ていて面白いのですが、薄片を造るのは結構大変な作業です。中々自分の思うような部位がサンプルとして切り取れないのが悩みです。
これもチャート礫や細かなチャート片がありそうで・・・・
含まれている礫は様々で緑色片岩的な変成岩迄含まれています
当時、美袋駅に居た「駅猫」です。優しいお上品な猫でしたが何時の間にか居なくなってしまいました。