2011年12月25日日曜日

東北新幹線から眺めた那須火山

先日の仙台出張の折、珍しく火山列側の窓際の席を取る事が出来たので、望遠レンズを付けてカメラを出張荷物と共に持参しました。カメラに気を取られてか?名刺を持参する事を忘れ関係先との打ち合わせの時に少々恥ずかしい思いを致しましたが、何時観ても東北本線沿いの火山列は美しいですね。中央は勿論那須岳で、南側の南月山か白笹山のスロープも美しいですね。北側の三本槍や旭岳も、三斗小屋の大黒屋さんで湯に浸かり、甲子温泉までの縦走コースが楽しいコースです。

2011年12月23日金曜日

宮城に出張していました


二日間宮城県の多賀城に出張していました。これは往路に鬼怒川を渡りながら男体山・大真名子・赤薙・女峰山等を眺めたものです。初日は良い天候に恵まれましたのでまずまずの火山観測日和でした。でも高速で走行する車両からの撮影は結構難しいものですね。
多賀城では夕方から雪になり、二日目は雪の中を歩く事になってしまい予定の行動はとれませんでしたが、まずまずの地質観察が出来た様です。今日中に何時もの記事を再開します。

2011年12月18日日曜日

かわご平の溶岩

画像の幅はほぼ4mm。長石の結晶らしいものが見えます。反射が強く輝いている部分に石英と異なり劈開がはっきりしているのでほぼ間違いないでしょう。私の場合はそう沢山の薄片を作り観察する立場ではありませんから、様々な岩石をフィールドで観察する時に、研修の時に薄片で観察した内容と、その薄片の原岩の実態顕微鏡での観察内容と、更にその表面相の肉眼或いはルーペでの対比をしていく訓練、出来れば新鮮な場合と風化した場合とではどのように変化が在るか?等を知りたいと思って居ます。
薄片の観察は週に一回、10時から4時まで、自主研修と言うのが月に2回程度あり、この時は実体顕微鏡を使って、古い記憶がはっきりしないサンプルを観察して、何時何処で採集したものか?思い出しながら記録を作って行きます。
今週は今年最後の仙台出張があり、宮城の凝灰岩石材産地を歩く予定なので、頻繁にはUP出来ないかもしれません。出来れば松島の少し東の野蒜に野蒜石の採石場跡地を訪ねて行きたいと思って居ましたが、JRが復旧するまでは難しそうです。

2011年12月16日金曜日

かわご平溶岩の気泡/ガラス


画像は、以前「日本火山の会」の伊豆巡検の際に、カワゴ平で採集したかなり発泡している溶岩(軽石程では無いけれど)を実体顕微鏡で観察したもの。実体顕微鏡だと中々興味深い状態で観察出来るのだけれど、それを片眼でコリメート撮影すると、中々判り難い画像となってしまった。
でも、火山灰の中のガラス・バブルがこんな形状から破壊されて出来てくるのだろうな!と言う雰囲気は判って頂けるだろうか?
今日は、実は「曹長岩」のほのかな青い矩形を撮影しようと思って居たのだが、うっかりその岩石サンプルを自宅に置き忘れて博物館に出掛けてしまって大失敗。
年内の博物館行は今日で終わりで、残念な事をしてしまった。

日本火山の会の伊豆半島巡検については、下記をご覧下さい。
http://kazan-net.jp/off/1002izuoff/1002izuoff.html

2011年12月14日水曜日

磯部鉱石資料館 (2) 珊瑠鉱山の富鉱部鉱石

磯部鉱石資料館:合同資源産業;千葉県長生郡長生村(茂原市近郊)
http://www.godoshigen.co.jp/museum/index.html
この画像は北海道上川郡下川町の珊瑠鉱山の金銀含有量が多い部分の接写。“OLE 9”第三富鉱部とあり、金はトン当たり24g、銀は36gとある。
2012年8月20日:表題とラベルを変更し資料館の HTML を追記しました。
2014年4月27日:磯部鉱石資料館は2013年に残念ながら一般公開を辞めました。

2011年12月12日月曜日

磯部鉱石資料館 (1) 山鹿野鉱山のとじ金

磯部鉱石資料館:合同資源産業(株):千葉県長生郡長生村(茂原市近郊)
http://www.godoshigen.co.jp/museum/index.html
ガラスケースに展示されている鉱物標本は、焦点を合わせるのが結構難しいですね。
鹿児島県姶良郡横川村(当時)の「山ヶ野鉱山」の自然金で「とじ金」と呼ばれるもの。
2012年8月20日:表題と内容を変更し、資料館の HTML を追記。
2014年4月27日:磯部鉱石資料館は残念ながら2013年に一般公開を辞めました。

2011年12月10日土曜日

顕微鏡画像:カワゴ平の軽石状溶岩

実体顕微鏡で観察すると溶岩の中の特に気泡の多い部分の観察はとても楽なのだが、残念ながらこれを定性的・定量的に表すのは実に困難。しかもそれを片目で覗いた状態でコリメート撮影をすると、当然のことながら、実に観難いものですね。この部分は気泡が細長く引き伸ばされているので引用したが、斑晶がないので、余計に判り難い画像になってしまっている。この画像の横幅は約16mm。

2011年12月8日木曜日

房総半島上総層群国本層のウニ? ヒトデ?化石

上総層群国本層(~梅ヶ瀬層)の砂質泥岩層で、このウニ化石を偶然見付けました。化石の領域は小生の守備範囲では無いのですが、偶々露頭を観察していてジッパーの様な模様を見付けて大きなブロックで砂質泥岩の塊を採集してしまい、そのまま放置するのも気が引けて化石クリーニングの初体験を致しました。
破損したもので完全な個体では有りませんでしたがどうやら此処までクリーニングしましたので、ご紹介をさせて頂きます。明日出来れば専門の先生に見て頂こうかと思って居ますが、勿論化石名称は判っていませんし、珍しいものなのか?良く見られるものなのかも判りません。幸い口の部分がこの断片に残っているので、まずまずの化石なのかな?等と思って居ます。
この地層は大雑把に見積もって、70万年程度昔の地層だと思われます。と言っても国本層は結構厚いですからね!(層厚は380m程度)もう少し下の「梅ヶ瀬層」から下には有名な関東ガス田が広がっています。大田代層では2-3mmの小さな巻貝の化石も有りましたが、これは採集しませんでした。

2011年12月6日火曜日

顕微鏡画像:斜長石

先日は、「微斜長石」の顕微鏡画像をご案内しましたが、今回は「斜長石岩」の偏光顕微鏡画像です。
一応、クロスニコルですが、何故か赤紫色が着いてしまうので、この画像は彩度を調整してモノクロ画像にさせて頂きました。
なんでも、月の岩石にはこれと同じ「斜長石岩」が在るそうですが、これはミネソタの斜長石岩。先カンブリア紀の産物であるらしい。詳しい事は判りませんのでご質問は受けられません!兎に角薄片は隅々までみましたが、全てこんな調子でした。倍率は前の「微斜長石」画像と同じです。

2011年12月4日日曜日

顕微鏡画像:微斜長石

偏光顕微鏡を使用して鉱物の同定を学んでいます。出来るだけ単純な画像からと言う事で、これは微斜長石の画像。接眼x10,対物x4,何故かクロスニコルでは紫色が強くなってしまうのですが、解決方法が判らず苦労しています。カメラは友人がゴルフの商品でもらったと言う“Yashica EZ F1233”
接眼レンズをx10に代え、焦点をやや望遠側(2/5)にするとこの大きさで焦点がくっきりと撮影出来る様になりました。実体顕微鏡画像も含めて今後時々は顕微鏡画像を登場させようと考えて居ます。

2011年12月2日金曜日

葛生地区のフズリナ化石を含む石灰岩

通常は化石系には殆ど触れないのだが、この処、少々濃密に有孔虫や放散虫に関する資料に出会う事が多い。今日は、地学の中でも地質系の勉強会で、有孔虫の中のフズリナ化石を観察する機会に恵まれました。そこでオートコリメート法で撮影したのがこの2枚の画像。上の画像はフズリナが同心円構造では無くてしっかり巻いて居る事を示している。勿論、下の画像の軸直角断面(丸いほう)も同様に巻いた構造が良く判る。下の画像の右側は丁度斜めに切断されている。
画像は栃木県佐野市の葛生石灰岩から採集されたもの切断し、#400程度で平滑に磨き上げたものの表面を少しぬらした状態で撮影させて頂いた。

2011年11月30日水曜日

鋸山風景:D-8;山頂部風景

殆ど同じ位置からの画像で申し訳ありませんが、画面右側に細い柱状に取り残された部分が判る画像が在りましたので、“D-7”の画像と差し替えようかと思ったのですが、面倒なので(?)これも掲示した次第。前の画像のやや上の部分を示しています。

2011年11月29日火曜日

鋸山風景:D-7;山頂部風景

この露頭を見るのは少々危険な雰囲気なのだが、これを見ると職人の皆さんが石の良し悪しを良く見定めて採掘したのだなと言う事が良く理解できます。
後、1枚でこのシリーズを一応終わります。多分明後日辺りから、戦後の高等学校教科書で「死火山」や「休火山」と言う言葉がどのように教えられていたか?を教科書の記述から調べた内容のご紹介に入る予定でこれは少々準備が必要なので、ただ今原稿を調整中です。この件は、このブログで10月17日に少し予告編らしき事を述べています。
http://iwatotsuchi.blogspot.com/2011/10/1.html
直後に開始した鋸山の石切場情報を暫く掲載したので中断していましたが、何とか再開に漕ぎ着けました。隔日程度のUPになる事と思いますが宜しくお願いします。
尚、鋸山についてはこれで終わりと言う事ではありません。2012年3月10日(土)に千葉県立中央博物館の地学野外観察会が「房州石の石切場をたずねる」と言う催しが開かれる様なので、これに向かって別の画像を集めてご案内したいと考えて居ます。尚、現在、全国各地の凝灰岩質石材について調べています。これについてもひと段落したらご報告したいと思います。

2011年11月28日月曜日

鋸山風景:D-7;山頂部風景

二つの堀込みの内、一つは下の画像の通り、丁場のロゴですが、もう一つの上に示した画像は何を示すのでしょうか?
仏様の坐像を刻もうとして失敗したのか?良く判りませんが、どう思いますか?
鋸山の丁場風景なども、そろそろ終盤に掛かって来ました。後数枚の画像をご案内して次は『戦後・高校地学教科書に見る「死火山」・「休火山」』と言うテーマで暫く話題を進めようと、準備中です。このテーマでは少々画像の数が少ないのですが、週に2-3回程度の更新を目標に30回位は頑張れるかな?

2011年11月27日日曜日

鋸山風景:D-6;山頂部風景

高さ30mの「百尺観音」の向かって左側の壁に何か掘り込んであります。
この百尺観音はきっと房州石を掘り込みながら少しずつ彫刻をしていったのでしょう。
処で、この左側に見える二つの造形はなんだと思いますか?

2011年11月26日土曜日

ぼんやりと一日を過ごす

茨城県の岩瀬付近の採石場の遠望。一段は重機のサイズから判断して5m前後かな?
昨日はぼんやりと一日を過ごしました。かいつまんで言うと
7時前にコンビニに寄り、朝食のおにぎりとお茶をゲットし利根川を渡り、国道294号線を北に向かいました。
目的はのんびりと里山の紅葉を楽しむ事。上の画像は行きがけの駄賃!
茂木町の町はずれに在る和菓子屋さんで美味しい和菓子を手に入れる事。
常陸大宮のこれも外れに在る小さな蕎麦屋さん(名前は呉服屋)で美味い蕎麦と雑魚の唐揚げを食べる事。
適当な日帰り温泉でゆったり浸かり、大広間でのんびり本を読む事。
那珂川に沿って適当に走る事。

このブログはゲットした美味しい和菓子を頂きながら書いていますが、小豆を使った水羊羹にも似た雰囲気のお菓子は絶品です! この日はリュックの中の岩石ハンマーは終日出番が在りませんでした!
結局、大田原付近まで走り最後は古墳群を眺めながらの散策で締めましたが、早朝から夕陽の呉れる頃まで、富士山から秩父の武甲山までがくっきりと見え、日光連山や塩原の高原山には雪雲が張り付いていました。

2011年11月24日木曜日

鋸山風景:D-5;山頂部風景

鋸山の山頂に近い古い丁場に残る採掘の爪痕です。
先日、「石のまち金谷シンポジューム」の際に、山形県の高畠石の採掘の状況を東北芸術工科大学芸術学部歴史遺産学科の方が丹念に記録された動画を拝見する機会が在りましたが、鶴嘴(つるはし)の打ち方が実に細やかなのに驚きました。偶々座った隣に、その丹念な記録を作成したうろ覚えながら高柳さんと仰ったと思いますがほんの少しだけお話を伺う事が出来ました。素晴らしい仕事を(高畠石の職人さんも、その記録を残して下さった方も)して下さる方々に驚きかつ感謝の思いです。動画の中で細い切断溝を穿つのに、ほんの少しだけ鶴嘴の角度を変えながら右に左に成功に打ち込む状況は芸術の域に達している様に思いました。下の画像は上の画像のもう少し広い部分を示したものです。

2011年11月23日水曜日

鋸山風景:D-4;山頂部風景


鋸山山頂部には古い採石場の跡が残っています。誤記訂正:下記の画像を「泥岩」とご説明していましたが、2月22日に改めてこの場所を確認した処、火山灰層と思われますので訂正します。
細く横に繋がらる画像をその下に追加します。スケールは15cmです。

一直線につながる様子の画像を追加左側にも小さく見えますでしょうか?

2011年11月20日日曜日

鋸山風景:D-3;山頂部風景

ロープウエイから日本寺の寺料に入ると(勿論、残念ながら有料です)こんな風景が広がります。左側の石積み部分は何かの施設が在った場所の様ですが雑木がうっそうと茂っているので素人には何の施設だったか?判りません。勿論、此処は採掘の跡です。

2011年11月19日土曜日

鋸山風景:D-2;山頂部風景


鋸山の名所に断崖絶壁の上から張り出した「地獄のぞき」があります。上の画像はこれをコンサートホールと呼ばれる元の丁場付近から眺めたものです。その下に見えるのは、房州石を採掘した後の絶壁です。絶壁が残ったのは恐らく私有地での採掘権の有無の問題だと思うのですが、何故、張り出した状態で「地獄のぞき」と言う展望台が残されたのでしょうか?下の画像は別の方角から見た「地獄のぞき」です。崖の付け根の辺りに横一筋の凹みが見えます。どうやら此処を掘削してみたけれどあまり良い石材では無かったので、これ以上掘削をする事を諦めた後らしいのです。

と言う事は、現在の「地獄のぞき」の張り出しの部分は、実は良質の石材では無かったので採掘されずに残ってしまった可能性が高いのかもしれません。(硬過ぎたのか?)この竹岡層はこの付近では南に向かって下がる傾きですから、この残された部分が商売にならなかった可能性は高い様です。地獄のぞきならぬ少々怖いお話です。ちなみに小生は一度だけこの先端まで行った事が有りますが余り良い気持ちではありませんでしたネ!

2011年11月17日木曜日

鋸山風景:D-1;山頂部風景

鋸山に登るのに足で稼がなくても、ロープウエイがある。山頂部は日本寺の寺領が大きな部分を占めているので、歩いて登っても日本寺の境内を通るとき名拝観料を徴収されるのが悔しい!この斜めに走る鋸山の地層風景はロープウエイの山頂駅横の崖でみられるものです。

2011年11月16日水曜日

鋸山風景:C-7:車力道

車力道の途中には放棄されたのか切り出した岩が残されたり、下の図の様な石垣が各所にあります。上の画像は索道で運搬時に落下してしまったものかもしれません。索道は採掘場所の移動に応じて何度も移設された様で、車力道としてハイカーに開放されている道沿いにもそれらしい遺構が見られます。勿論、車力道もこの1本だけでなく、採掘場所により様々な経路が辿られた様です。

2011年11月14日月曜日

鋸山風景:C-6;車力道

坂道の途中で見掛けた薄いラミナの模様です。
若い頃に、月山や鳥海山を良く歩いていました。羽黒山の長い石段を歩いていると途中の二か所でしたか、石段に御猪口と徳利の絵が刻み込まれていました。流石にこの鋸山ではその様な掘り込みはありませんが、所々の凝灰岩に見られる線彫りの様な流れは大好きで、疲れた体に涼風が吹き込む雰囲気です。

2011年11月13日日曜日

鋸山風景:C-5;車力道

車力道の中には、露頭をこの様に削り込んでしまった部分もあります。壁面下部の削り込みは雨水を路面に流さない為の工夫でしょうか?

2011年11月12日土曜日

鋸山風景:C-4;車力道

坂之上側から下を見た状態です。前を歩く人の姿(足だけだけれど)から坂道の傾斜を想像してみて下さい。一番減っている部分が金具のついたブレーキの部分でその外側が車輪道なのでしょう。でも結構コントロールが大変な感じですね。

2011年11月11日金曜日

鋸山風景:C-3;車力道;ねこ車復元図


この画像は「石のまちシンポジューム」実行委員会で纏められた、「房州石の歴史を探る」第一号「金谷 石のまちシンポジューム特集」(金谷美術館でも販売されている)の41頁に掲載されている房州石運搬用具の復元図です。43頁には下記の説明図があります。
道に穿たれた二条の溝の意味が良く判ります。
「車力道」に建てられた説明板にはその一部を抜粋引用すると「この新登山道は、かっての「車力道」です。鋸山の頂上部付近で切り出された石を運び出した道です。房州石を木製の荷車に載せ、急傾斜の道をブレーキをかけながら下りたので、石の重みで道の表面に荷車の轍が残っています。この石を運搬した人達は「車力」と呼ばれ、女性の仕事でもありました。空の荷車を背負って頂上まで上り、1日3往復する大変な重労働でした。」
房州石を積載してバランスを取りながらの運搬も大変ですが、この復元図の「ねこ車」がどれほどの重量なのか判りませんが、これを背負うのはかなり大変な作業に思えます。車力道は「単線」ですから、すれ違うには、石を積載していない側が道路から逃げてすれ違うしかないのですから。勿論、炭鉱でも運搬は女性の仕事である時期が長く続く時代が在りました。女性は家計を担う強い働き手だったのですね。敬服!

売津の採石場で使われていたネコ車が現存していました。下記に画像があります。
http://iwatotsuchi.blogspot.jp/2012/09/14.html

2011年11月8日火曜日

鋸山風景:C-2;車力道

画像ではこの道の傾斜は判り難いが、かなりの傾斜です。昨日、「修羅」のようなもので運んだらしいと書きましたが、「房州石の歴史をさぐる」第一回「石のまちシンポジューム」特集の中に、運搬位に使われた用具の復元図がありましたので、明日にご紹介しましょう。

2011年11月7日月曜日

鋸山風景:C-1;車力道

鋸山の遊歩道を歩くとこの様な風景に出合います。
凝灰岩質の礫岩の敷石に深い溝が掘り込まれています。これは石材を山頂付近の丁場から降ろす為に使われた道で、詳しい画像などの資料はありませんが、どうやら「修羅:しゅら」を小型にした、石材を運ばない時には背負って運べるような「橇:そり」の様な道具を使っていた痕跡です。「車力道」とされているので、大きな車が在る台車を想像したのですが、傾斜がきつい坂道ではブレーキを掛けなければならず、しかも、麓で荷卸しした後は背中に背負って運んだと在りますので、ブレーキ付荷車ではとてもコンパクト軽量とは行きませんので、ブレーキを掛けながらとすると小型の修羅を想定した次第です。修羅の掘り込んだ細い溝は左右に二本あります。

2011年11月6日日曜日

日光連山 女峰山

人並みに黄葉を観たいなって、雨で人出が少ないかもしれないと日光に出掛けてみました。いろは坂より下の方の紅葉は実に美しく堪能しました。画像は大谷川にかかる歩道橋から撮影した女峰山です。雪景色やこの様な雲が纏わりついた様な風景は山襞がはっきりみえて大好きな風景です。さてそろそろ、落ち着いて新しいテーマに掛からねばと思って居ますが、中々手が付けられない状況です。

2011年11月5日土曜日

鋸山風景:B-7;コンサートホール

スケールの入った壁面の拡大画像が在りましたので、これをこの丁場の最後の画像としてご案内しましょう。明日からは掘り出した石材を搬出した車力道のご紹介です。

2011年11月4日金曜日

鋸山風景:B-7;コンサートホール

同じ丁場内の壁面ですが、此処はカッターの目が残っていないので10円硬貨をスケールに置きました。粒子の見え方が異なるのですが印象はかなり異なりますね。金谷の町の中はこの雰囲気の塀や壁が多い様に思います。

2011年11月3日木曜日

鋸山風景:B-6;コンサートホール

この部分はややしけって居たので小生得意のスケール用紙を張り付ける事が出来ませんでしたので、スケール無しです。カッターマークがありますが、カッター直径も測って無かったし申し訳ありません。

2011年11月2日水曜日

鋸山風景:B-6;コンサートホール

壁面を少し詳しく見てみましょう。これはコンサートホール東側一段上の壁。残された石材の中ではやや上質の石材とされる部分です。次の画像では構成する礫等の形状が判る程度のものをご紹介します。

2011年11月1日火曜日

鋸山風景:B-5;コンサートホール

この丁場に置いてあったのは前の画像のものが2台とこの二つの機械です。上の画像は掘り出した石材を定寸に切断し側面を成形する機械のの様です。スイッチボックスらしいものやプーリーが見えますので、電動だった様ですね。手前に見えるハンドルは、石材を固定する為のものかもしれません。2枚の向かい合った刃物の幅を測定すればここで切り出された最大の石材の寸法が割り出せそうです。
下の機械は、ショベルとかペイローダーと呼ばれる方向転換が自在な運搬機械ですね。これは一体どのような方法で持ち込んだのでしょうか?房州石は、花崗岩と異なりあまり大きな石材としては切り出されていない様なので、索道を利用するのにも無理があるように思えます。
根が機械やなので、どうしてもこの様な機械類に目が向いてしまいます。

*インデックスは削除しました。ラベルを参照下さい。

2011年10月31日月曜日

鋸山風景:B-4;コンサートホール

決して保存状態が良いとは言えませんが、此処には唯一房州石を採掘した時の機械類が置かれています。これは房州石の平面の上に敷設されたレールの上にこれを設置して一定の深さの溝を掘るものです。上の画像の大きなハンドルを回転させると下の画像の刃物が回転して溝を掘ります。或いはレールの上を進む方向の動力も此処から取り出しているのかもしれませんが、チョット確認出来ませんでした。刃物の部分は木材の伐採に良く使われる「チェーンソー」の原型です。このブログの下記の頁から大谷石の大量の画像が在ります。
このままクリックしても駄目なので、コピペで移動して下さい。
http://iwatotsuchi.blogspot.com/2011/01/1.html
この様な機械で溝を掘った状態を見る事が出来ます。
http://iwatotsuchi.blogspot.com/2011/01/3.html
大谷石資料館に展示されている機械です。ほぼ同じと思ってよいでしょう。
http://iwatotsuchi.blogspot.com/2011/01/4.html

2011年10月28日金曜日

鋸山風景:B-3;コンサートホール

コンサートホール広場の東側側面です。この面は比較的蘚苔類の付着も少なく地層の堆積状況を観察し易い部分ですが、やはり近寄って詳細にみると黒い苔が生えている事が判ります。北から南に向かって地層が傾斜しているのと、西側がやや高い為に、この部分には地下水の浸透が無く蘚苔類が生育する環境が足りないのでしょう。コンサートホール正面は西側の張り出しも有る為でしょうか?蘚苔類が良く生育しています。
この壁面に掘り込まれた文字は「安全第一」ですが、なんだか変だな?と思ったら「全」の山冠が見えません!
29日と30日は足尾方面を歩くので更新はお休みします。

2011年10月27日木曜日

鋸山風景:B-2;コンサートホール

コンサートホールを取り巻く三方向の壁面の一つにこの大きな「模様」があります。堆積した地層の一部分に苔が生えています。恐らくこの部分は他の部分に比べてやや固結度が低いか、粒子が粗くやや透水性があるものと思われます。後で別に(古い採石場の跡の項目で)ご紹介する画像にもある特定の地層に地衣類がびったりと張り付いている画像があります。千葉県内の茂原で、火山灰質の砂泥互層の観察に行った際にも露頭に斜めに走るシダ類のベルトを見た事がありますが、自然は正直に地層の透水性の違いを反映して見せてくれます。

2011年10月26日水曜日

鋸山風景:B-1;コンサートホール

鋸山のハイキングコースで最も大きな丁場は現在では「コンサートホール」と名付けられて金谷の町の文化祭等の折には本当に「コンサート」が開かれる程に広いのです。勿論、左手と背後のやや高い場所からも耳を傾ける事が出来ます。
前日からの雨で少々地面がぬかるんでいたのと、そろそろコンサートも終わりに近い状態でしたので観客はまばらの様に思われるかもしれませんが、勿論、この周囲にも小生を含めて大勢の観客がおられます。
此処には様々な堆積模様が表れているし、大谷石と同じ様に使われたチェーンソー方式の切断機が置かれています。此処では、少し細かに凝灰岩の様子をご覧頂こうと思います。