2010年11月23日火曜日

兵庫県豊岡市玄武洞(3)

直立した柱状節理の部分と炎の様に乱れた部分の境界附近を見たものです。恐らく別の輪廻の溶岩が流れ込んで上部の構造が作られたのでしょうが、上部が何故冷却方向によって支配される筈の「冷却節理」が、深成岩の様に全く構成(目に見える形で)されないならそれなりに「出来ない事もあるんだ!的に」理解出来るのだが、この「火炎状節理」(こんな言葉は無いのだろうが)は興味深い。冷却方向が時々刻々と乱れてしまう事は考え難いが、地震が頻発していたとか?何か外的要因が大きいのだろうか?上部の破片を拾ってみたかった!

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