2012年5月5日土曜日

芦野石 丁場の採掘跡

県道沿いの丁場は道路に沿って「へ」の字を逆さまにして道路に接している様な形状をしています。前に紹介した画像は文字の短い方、これは道路に一番近い峰の部分。画面のやや左側に亀裂の入った部分が有り、右手へ繋がっています。望遠レンズで拡大した画像です。

2012年5月4日金曜日

芦野石 廃材

入口近くに廃材が捨て置かれています。雨に濡れていて残念ながら表面が反射で良く見えませんが、所々に在る裂罅が丁度その断面に当たってしまったものの様ですね。間知石に使うには小さすぎるのか?これからまだ加工して使えそうな大きさです。

2012年5月3日木曜日

芦野石 県道沿いの丁場

この日は偶々休業していたのだと思いますが、芦野の街に近い県道沿いに芦野石を切り出している採石場があります。道路沿いに掲示された採取標識の期限がH23になっていますので、或いは操業を停止したのかもしれません。大谷石と同じようなチェーンソウを使った階段採掘法を採用しています。

2012年5月2日水曜日

芦野石の風景 丁場の巨大柱状節理

芦野石の柱状節理は凝灰岩なので、普通の溶岩の冷却で形成される冷却節理とはサイズが全く異なっています。しかも真っ直ぐでは無くて大体捻じれ曲がっています。上の画像の左下隅辺りを見て頂くと、重機が見えます。これでこの画像の大体の大きさは判って頂けると思います。小ぬか雨でクリアな画像ではありません。200mmの望遠レンズを使っています。
下の画像は、柱状節理の様子を見て頂く為に上の画像の右寄りの一部分を拡大したものです。と言っても別の画像から切り出しています。デカイでしょう。左側に立木がありますので比較してみて下さい。

2012年5月1日火曜日

芦野石の風景

那須町の御殿山と言う桜の名所から294を挟んで奈良川の対岸に在る芦野石の採掘場です。巨大な柱状節理が溶結凝灰岩の特徴の一つです。スケールになるものが写って居ませんが、この後少し近付いた画像や、丁場の跡や「石の美術館」や芦野石の特徴である溶結凝灰岩の柔らかな曲線等二百数十枚の画像の中から選んでご案内します。
この画像には写って居ませんが重機がありますので、稼働中の採石場です。場所はこの辺です。

2012年4月30日月曜日

富浦町で見掛けた石垣

JR内房線の車窓に館山湾が広がり始める位置に「那古船形」駅が在る。夫々1時間に1本程度の上り下りの電車が停車する小さな駅で、駅前広場は急角度に曲がる道を曲がる車の緩和曲線として走行されるので、下手に車を止める事が出来ない。この駅から25-6分、東京湾に突き出した大房岬に向かって歩くと途中の崖に地層の積み重なりを示す崖が見え「崖観音」が祭られている。
この付近は古い採石場跡地らしく、手掘りの採掘跡が残っている。街中にもこの石材を土台石や石垣に使用した例が残っているのだが、これは比較的最近に補修をしたらしい石垣。スケールに野帳を置いています。石垣の材質は、黒い玄武岩質スコリアが大量に含まれて居るので、平塚市博物館なら房州石」にひっくるめてしまいそうだが、房州石とは形成された地質年代と堆積環境が異なり一緒には出来ない。この付近(大房岬と)のその東に連なる地層は昔は「三浦層群鏡ヶ浦層」と呼ばれた地層で、新第三紀中新世から鮮新世の頃に堆積したらしい。今は房総半島では不整合の対比上三浦層群の名を使うのは好ましくないのだそうだ(富津地域の地質:13頁辺り)・・・
本筋から外れてしまった。大房岬に向かう道すがら見掛けた石垣。多分この付近の素材だろうと思う。残念なのはこの画像の右手、角を曲がると何故か嶺岡の枕状溶岩に突然変わる事。どうせ使うならもっと枕らしい枕状溶岩を使ってほしかった!

山形城の石垣  本丸

昨日は今年一番の猛暑の中を房総半島の館山市と南房総市の境目辺りを彷徨していてすっかり疲れてしまい、画像のUPが出来ませんでした。暑さでヘタって雪景色の山形城の画像を調整していると不思議な気がしますね。ここは本丸。美しいですね。