2020年9月2日水曜日

成田街道

 船橋からすこしづつ、鉄道とバスの便を考えながら東に移動して神社や古い寺院を中心に、古い石造物を観察している。この付近は、何故か神社の鳥居に架かる「神社額」には白い大理石(石灰岩)の装飾の無い板状のものがやたらに多い。また、他の地域では安山岩系の溶岩を使う事の多い「手水鉢」に関しては何故か凝灰岩が多い。

この日は東葉高速鉄道の八千代中央駅から少し南下して所謂「成田街道」を東葉勝田台迄を歩いてみた。およそ 10,000 歩程度の距離に。11ヵ所の社寺が有り、一ヵ所は勘違いで見落としてしまったが10ヵ所中9か所で凝灰岩質石材を観察する事が出来た。今回は、先日の顕微鏡で見た凝灰岩質石材の画像を受けて、その石材がどのような形で使われていたかをご紹介したい。粒度分布の差こそあるが、石工から彫刻に適した石材として好まれた凝灰岩類です。

この日に歩いたGPSの記録を、赤線とフラッグマークでしるしている。脇に水色の丸を記したのは、凝灰岩質石材を観察した場所。フラッグマークだけの場所は立ち寄ったがめぼしいものが無かった場所。縦に走る国道16号と成田街道の交差点に近い鳥居のマークは、その前の小さな神社と勘違いして通り過ぎてしまった神社で
次回は此処を起点に村上駅周辺のマンションに囲まれた神社をチェックして更にバス路線を使って北上する予定。
泥汚れが酷いが凝灰岩質の手水鉢。
側面に刻まれた寄付金を納めた方々の名前の一部を拡大したもので、粒状の組織がお判り頂けるものと思う。
お寺さんの脇に、公園風に設えられた一角に子安・安産講の方々が奉納された子安観音が安置されていたが、10体中の七体が凝灰岩製。左から二番目と右端の像は粒状組織が目立つもので、それ以外は細粒の緑色凝灰岩で、何れも彫刻等にはよく使われている。
凝灰岩質石材の中でも特に傷みの少ないものを選んでみた。台座は細粒の緑色凝灰岩だと判る。この程度の距離から見ると、光背部分にやや不均質な部分が有るのでこの凝灰岩だと判り易いと思うのですが・・・
子供を抱えている辺りに焦点を合わせて拡大して見ました。粒子の大きなものが集まっています
船橋からこの方面に特に驚いたのは、灯篭の火袋が比較的新しく改修されている事です。それも、勿論、この当初からの石材と同じものを使っています。石工さんが彫刻に適したこの石材を好み、手元にこの素材を常備していたのかもしれません。そんな石工さんにお会いしたい。
燈籠や狛犬の台座の部分は、一般的には安山岩系が使われる事も多いのですが、この地域ではかなりの確率で凝灰岩質石材が使われています。灯篭の傘:屋根の部分も安山岩系も無いではありませんが、これも凝灰岩が多く、裏側を覗き込むと良く判ります。
燈籠の中台を拡大して見ました。上のスケールは“mm”単位です。画像の横幅は 10 cmです。粒度の差が大きいですね。
同じ灯篭の棹(軸)部分の拡大です。これも粒度変化が激しく、左上から右下方向に緩やかなラミナが流れています。

2020年8月31日月曜日

凝灰岩を顕微鏡で見ると:野田市内で

 普段の凝灰岩質石材調査を公共交通機関と徒歩でやって居ますので、どうしても交通不便な地にある観察対象の石造物を見に行く事はとても行けません。2012年から今日まで、古い凝灰岩質石材が現存している可能性が高い社寺だけで見ても、関東地方で1781ヵ所の社寺を歩いた中で562ヵ所で凝灰岩質石材を確認しています。調査件数と凝灰岩質石材を確認する事が出来る比率はおよそ32%でした。千葉県野田市には、私が調べた範囲では神社が140ヵ所ほどあり、その内の119ヵ所を確認し、51ヵ所で主に伊豆南部の凝灰岩質石材を確認しました。観察はあくまでも観察対象に傷つけずに行うのを基本としていますので、サンプルを採取する事が出来るのは年に一~二度程度ですが、そんな時は博物館で顕微鏡を使ってしっかり観察を行います。野田市での例をご紹介します。

野田市は利根川と江戸川に挟まれた細長い土地なので、中央をバスが走ってくれれば、東西に歩く距離は大したことが無いので、珍しく広い地域を歩く事が出来ました。赤丸はその中で凝灰岩質石材を確認する事が出来た場所を示しています。50ヵ所あります。利根川~江戸川の舟運と醤油や味噌の醸造業に関わった商人が信仰を大切にしたのでしょう。
場所と名前は省かせて頂きますが、この神社を訪ねた時は丁度社殿が新築され田直後で、古い石材がほぼ処分されていて、礎石や石祠・石塔の類は全く有りませんでした。
境内の端に、緑色凝灰岩の切り石の破片が僅か四個残っていました。欲しいなと思ったのですがデカすぎてとても持てません。それに、普段は私もハンマーを持って居ません。
敷地内を歩いていると、同も凝灰岩らしい岩片が、あちこちに顔を出しているのに気付きました。どうやら、廃棄した石材を小割して敷地内に巻いたらしいのです。勿論、これは一生懸命洗ってこの状態になっています。拾った時は泥だらけでした。でも、呼ぶんですよね!

博物館にその岩片を持ち帰り、タガネで10mm程度の厚さで割り採りました。その断面の画像です。左上は希塩酸を滴下して石灰質の有無をチェックした跡です。

平らな面を研磨した後で超音波洗浄し、デジカメを使用して接写したものです。画像の横幅は 30 mm 。左上から右下方向にラミナが走り、右上が細粒で左下がやや粗粒になっています。
実体顕微鏡にデジカメを使ってコリメート撮影した画像をご紹介します。以下の画像は画面の横幅は 4 mm です。緑色凝灰岩の色の元である緑泥石が濃集した凝灰質が中央にあります。
この石材の特長は、凝灰質が粒状になっている事と、ほんの少数ですが小豆色の岩片が含まれている事です。
軽石でしょうか?緑色凝灰岩でも、全てが変質しているとは限らず、変成岩が混じって緑色に見える事も有るのですね。

破断面がガサガサしている鉱物が入っています。こんな割れ方をする火山系の鉱物と言えば角閃石でしょうか?この様に研磨して顕微鏡で観察し、現地でルーペを使って観察する際の参考にします。

2020年8月30日日曜日

20200824 今日は船橋市夏見付近

 週に少なくとも二回は、短時間でもフィールドワークをする事を目標としている。この暑さでは長時間は無理なので、朝7時には自宅を出て現地では三時間以内。午前中に終わる事を目指して先週からは千葉県内の船橋や市川辺りの社寺を巡っている。今日は船橋市の夏見付近。歩いたのは僅か9,109歩余り。

もう少し東にまで行く心算だったが1時間に一本のバスが出たばかりだったので、諦めて駅方向のバス停から見上げた夏雲。
今日のコース。神社が五ヵ所。無縁仏を観察出来た寺院が二か所。六地蔵が一ヵ所。荒れ果てた無縁墓地が一ヵ所。木曜日はこの東側を歩く予定。
予定外の道路脇の「大六天尊」石祠は明治十六(1883)年の造立。風化の状態から見ても伊豆の凝灰岩と思われるが、この方面は鹿沼石が意外と早い時期に入っている様なので要注意
米ヶ崎意富比神社の燈籠は粒状組織が目立つ伊豆の凝灰岩が使われているが左右で粒度が全く異なるのが面白い。明治二十(1887)年の造立
一対の燈籠のもう一つの燈籠は、細粒の中に結構大きな火山岩塊が混じる緑色凝灰岩。彫刻に良く使われている石材。
「権現神社」は小さな祠だけの神社だが、基壇には鹿沼系の凝灰岩らしいが小さな角礫が沢山混じっている。面白い。造立年代は不詳
赤い夾竹桃は学生時代の夏の広島を思いだす。白い夾竹桃の方が花の時期が早く、赤い色の夾竹桃が遅く咲くと云う事を、75歳にして初めて知った。
帰宅して、シャワーですっきりした後で、昨日手に入れた栃木県茂木の「小豆寄せ」は普通の水羊羹とは異なり、モチモチした食感が大好きな水菓子。町外れの「良い村」と言う和菓子屋さんの銘品。昨日の帰途にやや黄色味を帯び始めた広い稲田を眺めながら食べた、中に金柑が入った餅がとても旨かった。最近は糖質を自己抑制中なのでほんの少ししか食べない。でも、その結果、様々な血液検査の結果が「糖尿病予備軍」から半年間で「ほぼ正常:高血圧の薬も一部服用停止」となったのは嬉しい。洋菓子よりも和菓子の小豆の味が大好きである。