2011年2月5日土曜日

房州石・古墳(A-6)金谷の街で

門柱を撮影させて頂いた家屋の塀の画像です。これは解説の必要もなさそうですね。海底に堆積した凝灰岩や陸上の凝灰岩、それに溶結凝灰岩など、溶岩以外に、火山灰やスコリアに起源する岩石が国内でも沢山使用されていますが、この美しさは特別の様な気がします。

2011年2月4日金曜日

房州石・古墳(A-5)金谷の街で

15cmのスケールを置かせて頂きました。高さ15cmの内2cmほどをタイルの目地の様に凹ませて加工しているのがお判り頂けると思います。スケールの右側やその下のブロックには、1cm程度の明るい色合いの礫が含まれて居ます。偽層理が斜めのものが中心ですが、ブロックの向きに直行しているものや平行に見えるものもありますので、石切り場の中でも層理の傾きに差がある様ですね。

2011年2月3日木曜日

房州石・古墳(A-4)金谷の街で

JR金谷駅に向かう道路の右手に見えた門柱です。タイル状の房州石房州石を貼り付けている様に見えますが、実際には房州石のブロックを積み重ねています。
房州石の斜めの堆積層を立体的に観察する事が出来ます。タイルを張ったように見せる小技が素晴らしいですね。

2011年2月2日水曜日

房州石・古墳(A-3)金谷の街で

金谷美術館横からJR金谷駅に向かう道路沿いの塀に使われている房州石です。右手のスケールは15cmです。

2011年2月1日火曜日

房州石・古墳(A-2)金谷の街で

これも金谷美術館の外壁の一部に使われている房州石です。肌理が細かく房州石の中でも最上級のものだろうと思います。前述の「房州石の歴史を探る」第1号の第6頁には「竹岡層は粗粒な火砕砕屑物で構成されているが、均質で堅牢であることから地域では「房州石」として切り出され利用されてきた。鋸山周辺から切り出された石を「房州石」、「金谷石」、「元名石」、「明鐘石(鋸山が東京湾に突き出ている岬に明鐘隧道:みょうがねトンネルがあるので、“みょうがねいし”と思われる:引用者)」と称している。明治時代からは、「房州石」の呼び名で統一したと言う。」
と書かれています。(鋸山と房州石:千葉県立天羽高等学校 高梨正氏)また、竹岡層については、1990年に発行された1/5万地質図幅「那古地域の地質」第28頁には上総層群竹岡層として模式地は北隣図幅「富津」市竹岡としています。岩相は「顕著な偽層の発達した直径2mm-1cmの安山岩質スコリアと安山岩質岩片を主とする凝灰角礫岩の互層、白色軽石を多く含む点で三浦層群の萩生層と差異がある。」と書かれています。

2011年1月31日月曜日

房州石・古墳(A-1)金谷の街で

金谷の街中で出会える房州石の幾つかをご案内します。
これは東京湾フェリー乗り場に近い「金谷美術館」の外壁に使われている房州石です。金谷美術館は勿論岩石の美術館ではありませんが、永年に渡り房州石を採掘してこられたので、美術館以外にも房州石を使用されたものが多く有ります。美術館で、2009年と2010年に開かれた「金谷 石のまちシンポジューム」のレジメ「房州石の歴史を探る」を購入する事が出来ます。この壁面は美術館の外側にありますので取り敢えず入館しなくとも観る事は出来ます。

2011年1月30日日曜日

房州石・古墳・富津磯石

古墳の石室に使われている穿孔貝の生痕化石のある泥岩・砂岩が、その産地地元と目される千葉県富津市周辺では「富津磯石」と呼ばれているにも拘らず、埼玉県や東京都に在る古墳に関連した博物館の説明や文献などで「房州石」と言われているケースがあります。
千葉県や神奈川県に長く建材として使用された岩石に房州石があります。岩の質も見た目も生成年代も異なる時代の岩石を捉えて、既に長い間建材として使用されてきた房州石と同じ名前を、学問の系列が異なるからと、何時誰がその様に言い始めたのか知りませんが、そのまま使い続けて居ると言うのは一種の傲慢でしかないと思います。
このブログでは房州石の地元の代弁をしようなどとか、房州石や富津磯石についての科学的研究成果を発表しよう等と言う大それた事を考えて居る訳でもありませんが、まず最初に世間一般に流通している房州石が使われている例を見て頂き、次に古墳や古墳類似施設の石室に使われている生痕化石のある泥岩・砂岩を見て頂く事でその違いを知って頂ければと考えています。更に、それらの存在する千葉県富津市の磯根岬から房州石の本来の産地である鋸山までの内房の海岸線の地質風景をご案内してみたいと考えています。
上の画像は金谷の町にある美術館の外壁に使用されている美しい房州石のブロックの画像です。このブログの一番最初の画像は、足利市で観掛けた房州石でした。もう一枚の画像は、二枚貝の生痕化石がある凝灰岩質泥岩の例です。産地は異なりますが貝殻が入っている例を見て頂く為に、房総半島と地質的な繋がりが強い三浦半島で撮影した画像を用意しました。博物館内で撮影した画像は撮影許可は頂いていますが印刷物やHP等に使用するには別に許可が必要なのでこの画像を使用します。
何故、白い石なのか?何故、穴の多い石を用いたのか?疑問は尽きませんが、脇道に逸れないように出来る限り毎日画像をUPして行きたいと考えています。