2017年6月24日土曜日

白い凝灰岩を用いた五輪塔 (10)  太田市天神山凝灰岩粗粒部の観察

天神山凝灰岩と言われる五輪塔・水輪の表面接写画像を紹介したので、天神山で採取してきた凝灰岩の表面をざっと研磨して実体顕微鏡で観察した時に、携帯電話のオンボロカメラでコリメート撮影した画像を御案内する。天神山石の関係文献には、顕微鏡画像とされる画僧が紹介されているが、なかなか理解が至らない。
サンプルの適当な面をざっと#800程度まで研磨して超音波洗浄をした程度で、時間が無く充分に乾燥させていない状態で撮影したので少々見難いが、前の 「(9) 旧常楽寺墓地の五輪塔」に掲載した接写した火山ガラスの外観図と見比べて頂ければ御理解頂けるかもしれない。薄い、白い部分の中にまだ一応の透明度を保っている部分が見えると思う。まずはサンプルの外観:トンネルの貫通式で頂いた乾杯用の一合枡が「面:つら」が出ていないサンプルの面出しの時には使い易い。

その中の横幅30mmをトリミングすると

同じ天神山産でも細粒の滑らかなものは

同様に画像幅:30 mmをトリミングすると

さて、本題。何れキチント撮影する予定なので、画像処理でむりやり火山ガラスの形状を浮きだたせてみよう。以下の二枚は同じ画像だが、画像処理の内容が異なるのだが・・
画像幅は大体 3 mm程度



トーンを調整した方がガラスが浮き出るので

まあ、恥さらしはこの程度にしておきましょう。ガラスの形状が曲面になって居るのがお判りだろうか?勿論、直線的な繊維状軽石でも、切り方次第で曲面になるだろうが面白い。少し観察例を増やしてみたいと考えている。
  続く

白い凝灰岩を用いた五輪塔 (9)  旧常楽寺跡墓地の五輪塔

 土地の方々には「不動堂」の方が通りが良いのかもしれませんが、太田市新田木崎町 の新装なったばかりの不動堂の県道側の墓地に、五輪塔や宝篋印塔が数基祀られている一角があります。この地域では珍しく、全くの屋外で五輪塔の火輪部分には苔がのっています。古いものの中には延文五年ですから、西暦で1360年に建立されたものがあります。



 五輪塔の水輪の部分の一部に、風雨に打たれて埃などが付着せず、岩石の表面が清浄に保たれている部分がありましたので、ルーペで観察すると貝殻の様に見える部分がありました。愛用の接写補助装置を使って、表面の撮影をしたものの中に、ごく狭い範囲ですが、かなりクリアに表面状態を記録出来た画像がありましたのでご紹介します。
天神山凝灰岩らしい五輪塔は三基が祀られていました。表面の状態が良かったのは二枚目の画像の真ん中の五輪塔でした。

水輪には何故か三か所に指の大きさ程度の孔が三個開いていました。

他の五輪塔などでも稀に見る事が有りますが、ノジュール等が抜けてしまうのでしょうか?

風化で表面の層が薄く剥がれて来て、硬い小さな岩片が突き出しているのも観察されます
下の画像は横幅50 mm の範囲を撮影した画像です。曲面を極端な接写で撮影しているので、全体にピントが合う事は期待できません。

上の画像から比較的ピントが合っている部分を画面横幅が 20 mm に成るようにトリミングした画像を示します。

画像の中央上部の黒いものは恐らく何かの草の種の様なものが、残っていた様です。
最後の画像は更に画像の横幅が10 mm となるように更にトリミングした画像です。

天神山の岩石の表面を研磨し、実体顕微鏡で観察した際に撮影した画像では淡い画像でしたが、曲線を描くやや透き通った火山ガラスの断面が見えていましたがこの場合は脱ガラスで表面の白濁した部分が観察されている訳です。火山ガラスが比較的大きなものだったので、この様に観察出来た訳ですが、千葉に在る五輪塔では、火山ガラスのサイズもかなり小さいので、手触りもかなり違うのでこの様な観察方法は採れないでしょうが、どうやら構成する火山灰のサイズが違う事はハッキリしたと云う事になります。
  続く

白い凝灰岩を用いた五輪塔 (8)  龍得寺の五輪塔

太田市新田上江田町の龍得寺には金山城主由良泰繁の墓と伝えられる五輪塔があります。しかしながら天神山での石切りが行われたのは、鎌倉時代(1185~ )から南北朝時代( ~1392)とされているので、地輪に刻まれた「天文十四(1545)年」とは一致しません。しかしながらこの五輪塔は太田市内の天神山産の凝灰岩の中では最大級とされます。





水輪の一部左半分程を写した下図では黒い小さな岩片が点在しているのがご覧いただけると思いますが、恐らくチャートが破砕されたものだと思われます。

天神山の石材には多かれ少なかれこの様に小岩片が含まれているのが特徴です。
下図の地輪画像では石材の不均質が現われています。但し、この五輪塔は風化を防ぐために20年前にシリカ系樹脂を注入しているので樹脂注入によるものかもしれません。

 尚、境内には、後の世代の安山岩製五輪塔や宝篋印塔が多数安置されています。
 五輪塔の覆屋の隣には家形の仏塔が安置されていました。安山岩~溶結凝灰岩が使われていますが産地を特定する事は出来ません。

境内には様々な様式の宝篋印塔等⑦ ⑧が安置されており、小型の五輪塔は一か所に纏められて祀られていました。殆ど安山岩なので、赤城山附近の産出ではないかと思われますが、赤城に関しては調査した事が無いので全く判らない領域です。





  続く

白い凝灰岩を用いた五輪塔 (7) 伝御所五郎丸墓(五輪塔)

太田市で観察する機会を得た幾つかの五輪塔の石材は、天神山で観察した凝灰岩と類似性が高いのだが、どうしても、九十九里の五輪塔とは異なるように思えてならなかった。
天神山産凝灰岩が使われていると云う五輪塔が横浜市西区に在るというので行ってみた。
空輪と風輪は残念ながら安山岩で置き換えられているのだが、確かに天神山産の石材に違いないと思われた。






地輪にやや大きな岩片らしい黒色部が観察されたり



繊維状の軽石が観察される事から、天神山の中でも下部の層準から採掘されたものか、あるいは石山(現桐生市新里町小林:消滅)の石材と思われる。

水輪の後方に「大」の字が刻まれているが、一文字だけなので、後世のいたずらだろうか?

境内に謡曲史跡保存会殿の案内が建てられていたのでご紹介する。門前にも黒御影と思われる石材の案内があるが、写真を撮ると自分が写り込むし、こちらが見易い!

  続く

2017年6月23日金曜日

白い凝灰岩を用いた五輪塔 (6) 「我孫子市湖北台の庚申塔」

JR成田線湖北駅周辺での「我孫子・古利根沼・湖北巡検」が開かれた。親しい方々が幹事を務められるとの事で、二つの性格を異にするグループの二十名近くの方々が参加され、「異文化交流」を楽しませて頂きました。
 コースの終盤近くの、古利根沼に近い法岩寺から天照神社に向かう途中で、興味深い庚申塔が目に入りました。その外観は

少し細かくご覧頂く為に前の画像の一部をトリミングした画像を観て頂きましょう。



上の画像はは少し風化・剥離した部分です。

同じ場所に建立されていた青面金剛像と庚申塔の文字塔です。安山岩が使われていますが、この刻像も珍しい特徴が有る様です。
 千葉県内には、白い:火山ガラス中心の地層は数多く分布していますが、その白い部分だけの「石材」となると極端に少なく、現在、白い凝灰岩製五輪塔の石材を調査しているのですが房総半島運にばれてくる可能性が比較的高いと思われる凝灰岩層は、伊豆下田のものか、時代的な検証が行われていない栃木県塩谷の舟生石が考えられます。
 伊豆下田の白色凝灰岩は、船橋市の船橋大神宮で大量に石垣に使われており、普段は建築物に遮られて見えないのですが、たまたまビルの建て替え時に観察した画像が下記

下の画像は、神社の周囲の別の場所で石材に近寄って撮影したもので、斜交する堆積層が目立ちます。

一部分を抜粋した部分拡大図。

下は舟生石の石切り跡で、周辺にはこの石材を使ったらしい石蔵もあります。美しい石材ですが、比較的最近まで採掘されていた様ですが、残念ながら歴史的な採掘年代に関する資料が手に入りません。鬼怒川沿いには現代の採掘跡が在り、上流の河床には露頭もあります。

両者ともに色が白過ぎるので、現在我々が調査している五輪塔の起源では無い様ですが、文化財の石材の起源を調べるのは中々に難しい作業です。
  続く

2017年6月22日木曜日

白い凝灰岩を用いた五輪塔 (5) 「伝藪塚氏五輪塔」

房総半島のある場所にある五輪塔の石材が、何処に起源をもつものなのか?語らぬ石材になんとか語らせようと、可能性が考えられる房総半島・伊豆半島南部の下田周辺・栃木県宇都宮周辺・埼玉県比企丘陵他の中から、これまで調査が殆ど及んでいなかった群馬県の天神山方面の石材調査と、主に太田市内の凝灰岩製の五輪塔や名号角塔婆を観察する二日間の旅を楽しんで来た。
残念ながら、「これはぴったり!」といえるような結果は得られなかったので、これから長い調査の月日が必要な雰囲気になっている。胃がおかしくなりそう。
13か所の観察地を訪ね露頭やその素材を用いた五輪塔などを観察したので、その一部をご紹介。画像は、出来るだけ画像を画面一杯に広げて詳細に見て頂けるように、美意識抜きに縦長のものも横位置にしているので御容赦下さい。
伝藪塚氏五輪塔は屋根つきの場所に収められている。小型の方は樹脂補正が施されている。

中央の一番大きな五輪塔:敢て横位置。

覆屋の隣に建つ井内石(宮城県石巻市産)の石碑に、此処に祀る事になった経緯が記されている。

白丸で囲んだ部分には、小さな黒色の岩片が突き出している。表面はこの突き出した分だけ風化して減ってしまったらしい。同じような岩片は比較対象している凝灰癌にも含まれているが、チャートなのか、ガラス質の安山岩なのか未だ判らない。この小岩片は今回観察した数十基の凝灰岩製五輪塔のかなりのものに含まれている。

空輪・風輪部分の拡大。この部分は火輪の素材とはやや異なるがやや粗い。

地輪もかなり粗い

白丸内には小岩片があるが、割れ方が違うので質が異なる。

場所は判り難いが赤丸でかこんだ場所。入口には案内看板が或る。車では入れない。個人の所有地。付近には適当な駐車スペースが見付からない。

  続く

白い凝灰岩を用いた五輪塔 (4) 藪塚石・藪塚温泉北側の石切り場跡

 藪塚石の石切り場は古くなったウッドデッキが抜けそうなので原則立ち入り禁止となって居ます。我々は数十年に亘って人々から忘れられた石切り場跡の探査経験は豊富なので、無様な事故を起さない様に注意しながら場内で石材の調査を行いました。石切り場は一般道からの入口別に少なくとも二ヶ所に分かれている様でしたが、我々は案内看板が設置された溜池前からの遊歩道が整備された側にだけ入域しました。
 房州石の石切り場や、伊豆軟石の石切り場を見慣れた目からすれば石切り場はそれほど大きなものではありません。石切りにより出来た絶壁はレーザー計測では18m程度、入って直ぐの広場の幅も60m前後です。ほぼ水平な採掘跡の縞模様は、一段が20-24cm程度です。

左手の採掘跡

右手の採掘跡は広がっています。

正面の採掘跡から入口を眺めたものです。

右奥には、節理を避けて斜めに切り込んだものの、再度節理にぶつかって採掘を断念した雰囲気の切羽があります。

上の画像の左手を見ると、採掘跡の壁の一部に地山の表面に平行な節理が数段走っています。表層に近い薄い凝灰岩の層は恐らく採掘対象にはならなかった事でしょう。

天神山と異なり、石質はかなり粗い雰囲気なので、表面付近は石材として使用出来るような硬さでは無くなってしまっている様です。石材の地山には、軽石の岩塊が結構な量含まれています。ガラス質の岩片もかなり大きなものが含まれています。

ガラス質の岩片

やや発泡した火山岩塊が含まれている事もあります。

尚、軽石岩塊とかガラス質火山岩塊等に付いて記すのは、この地域の凝灰岩質石材の特徴を出来るだけ詳細に把握する為で、石材の良否を云々するものではありません。
 尚、ネットで調査した情報では、太田市内の藪塚石切り場から南東側の菅塩町にも石切り場跡が有る様です。
 また、「藪塚石之碑」に刻まれた藪塚石の採掘の歴史に関しては、下記のブログが参考になると思います。「藪塚石・藪塚温泉北側の石切り場跡」
http://www5f.biglobe.ne.jp/…/koramu53sugashioishihosoku.html
  続く