2018年8月24日金曜日

火山列島日本展:OPTガイダンス:野田市内で見る石材 (4)

さて、愛宕神社にやっと到達です。先ず正面で一応参拝を致しまして、左手の太鼓橋(石橋)で結ばれた「額堂(諸説有調査中)」付近を見た後、玉垣の礎石と柱の下の束石(つかいし)を観察します。基壇の所々に有る奉献者名に併記された年号等も拝見します。
ここの主の狛犬は銅製ですが、石燈籠や石狛犬もありますので、時間があれば回りましょう。尚、本殿は文政七年(1824)に再建されたもので透かし彫りが有名です(千葉県文化財指定)。尚、この神社には神主さんが常駐していません。常駐神社は桜木神社と言い立派ですが凝灰岩はほぼありません。

神社の建物全体が石積みの上に建てられていますが、石垣部分を「基壇」とも言います。木製の板塀は「玉垣或いは板玉垣」とか「瑞垣」と云う地方も有る様です。右側面の途中に小さな階段が在り、手前の石垣と奥の石垣では表面が異なります。洗練された美しさや、瘤出しと云う方法で力強さを表現するのでしょう。

基壇石垣の方々にこの様な奉納品のない様や願主名そして時にその時期を刻んだ額が嵌めこまれています。この基壇を築き、補修した時期が判る貴重な資料です。

拝殿前の階段を登った処に30枚程の切石が敷き詰められています。この石材には安山岩と凝灰岩が両方使われています。緑色凝灰岩も含まれています。参拝者の邪魔にならぬよう観察しましょう。

敷石の一枚をクローズアップしています。茶褐色の塊が淡い水色~緑色の隙間に数多く含まれています。これは凝灰岩で、茶褐色の部分がもっと大きいものが、礎石や玉垣の柱等に良く使われていますが、奉献者の名前が刻みにくいのが欠点です。薄茶のブロックがポックリ剥がれるのが欠点です。

基壇の上を左手に回ると小さな太鼓橋があり、額堂(諸説有調査中)に繋がっています。明治三十七年のもので、キッコーマンの初代の奉納名が刻まれています。

社殿を取り巻く透かしの板塀を玉垣と云います。石材が使われる事も多いのですが此処では木製です。その足元に目をやると玉垣に沿って淡褐色の石材が敷き詰められ、所々で四角いブロックが玉垣を支えています。この神社ではその両方に伊豆の凝灰岩が使われています。

玉垣を直接支えているのは束石(つかいし)と云い数種類の凝灰岩が使われていますが、岩相が良く判るのは二種類で最も多いのは緑色ガンで粒状の組織を持っています。西光院の参道で基壇の石材の一部に使われていたものと同一です。

数は少ないのですが、灰色と白の筋模様が観察される束石も含まれています。これは房総半島鋸山で採掘されていたものと良く似ていています。単独の石材では判別はかなり困難で、石塀に使われている時は、丹念に調べると証拠を見付ける事がd切るケースがあります。

玉垣に沿って敷き詰められている礎石は、土を被ったりしていますが、斜めの筋模様が見えたりこの様に白い模様が見える事があります。これは石灰質の生物遺骸(化石細片)で、舞楽殿の礎石と同じものです下田付近の石灰質凝灰岩です。

境内には様々な石造物がありますが、丁寧な加工を施された石造物も沢山有ります。道路側の一角に、脇に階段が付けられた燈籠があり横に白地の立て看板を立てたものが有ります。享和二年(1802)愛宕大権現と書かれている事が記されています。彫刻の一部を見て見ましょう。

同じ燈籠の火袋の部分とその下にも細工が見えます。火袋の上にも細工が見えます。

火袋の上にこの様に龍が刻まれています。石工は「古谷津喜兵衛」と刻まれています。残念ながら珍しい名字の割にはこの石工については詳らかではありません。

一応次回で終える予定です!

2018年8月23日木曜日

火山列島日本展:OPTガイダンス:野田市内で見る石材 (3)

今日ご案内する範囲は、西光院の参道を抜けて、勝軍地蔵堂は初日に済ませたので、勝軍地蔵堂周りのから西側の築山と愛宕神社本体は最後に取って置く事にして、額堂裏を通り舞楽殿までの範囲です。愛宕神社本体とこの額堂は明日の予定。補遺を加えてあと二回程度ですね。今日の画像は12枚。

石碑と云えば、最近は輸入物の黒御影(斑レイ岩)等に押されていますが、明治以降は石巻の井内石(仙台石)ですが、江戸時代から使われていた石碑石材として、根府川石と本小松石が有ります。何れも似た形状で彫刻面の広さに比べて板の厚みが薄いので扱い易い事。冷却節理で表面が硬いので刻銘文字が崩れないことです。

根府川石の採石場風景です。現在は採掘はせず、「採掘されたものを道路脇に並べているので良ければ買って下さい」方式です。根府川駅から 4WD でやっと上り下り出来そうな悪路を辿って辿り着きます。

後で画像を出しますが、根府川石と本小松石が結構混同されて使われています。根府川石には破断面にこのような流離構造が観察されるので、簡単に見分けが着きます。同じ箱根溶岩なのに面白い特徴です

本小松石の採石場風景です。同じ様な冷却節理が際立っていますが、時々採掘される大きな岩塊が墓石の素材になります。近くに加工場も有ります。

本小松石(青)の破断面です。目が細かく詰まっていますね。

本小松石でも少し粗い目のものが有ります。これは磨いて暫く置いておくとこんな風に模様が出て来ます。普通は油を塗った様な模様が出て来ます。墓石を良く見ていると文字を刻んだ周りにこのようなものが出ている事が有ります。

勝軍地蔵堂の傍に、大師堂があります。中を撮影したものですが、台石は多分安山岩でしよう。大師様は大体、粒状の凝灰質と砂粒程度の火山砕屑物の混ざったものです。同じものが参道脇で使われています。

勝軍地蔵堂から西側にこの様に築山があり、境内社が三社祀られています。此処には古い廃材等も置かれている事が多く、石材調査には欠かせない場所ですが、当日はここまでゆっくり見ている時間は無さそうです。

一つだけ、これまで出て来なかった石材がありましたね。「松尾大社」の石碑が緑色片岩です。

信徒会館の脇から額堂(鳥居の左側の建屋:礎石は小松石)の裏手を回ると舞楽殿に達します。額堂は愛宕神社の基壇から回ります。舞楽殿の礎石に少し触れておきたいので此処に御案内します。画像の奥に築山の鳥居が見えています。
舞楽殿の礎石には比較的斜めの線が顕著な(ラミナと云いますが)石材が使われています。ルーペで見ると貝殻の破片のようなものがびっしりと詰まっています。裏手に切石があるのでそれで観察出来ます。恐らく、安山岩の次に大量に運ばれたのがこの石材だろうと思います。殆どが我々の目に触れない礎石に使われますが、結構目立つ基壇の角や笠石、にも使われています。神社の板塀(玉垣)の礎石にも使われています。

野田市内の高梨家「上花輪歴史館」傍に置かれた同じ石材で、醤油工場内の重量物を置く床に敷き詰めたものの様です。30 x 35 x 80 cm のサイズなのでざっと 180 kg は有りそうで、ずらりと並んで置かれています。

続く

GVP 火山活動情報の概要:8月15日⇒21日;17火山

*ここ数週間、この様な長文の投稿に対して“FB”側の締め付けが極端に厳しくなり、この概要を投稿後は私自身が殆ど皆様の投稿を閲覧出来ない状態に陥る為、今回から概要の記述をもう少し簡略化させて頂きます。閲覧制限から抜け出すには、写真投稿を大量に行わねばなりません。御理解下さい。⇒ “FB” と同文で投稿しています。
New Activity / Unrest
Alaid  | Kuril Islands (Russia)  | 290390 | Elevation 2285 m
8月20日に噴煙が 2.7 km まで上昇した事が報告されました。

Kuchinoerabujima  | Ryukyu Islands (Japan)  | 282050 | Elevation 657 m
警戒レベルが“4”に引き上げ。2015年の噴火直前と同じ群発地震が発生しています。詳細は火山活動解説資料を参照下さい。



Merapi  | Central Java (Indonesia)  | 263250 | Elevation 2910 m
地震活動が7月18日と29日に活発化し8月11日に大きな地震が観測され、新しい溶岩ドームの噴出が確実視されたのでドローンによる観測を実施し、2010年の溶岩ドーム内の破砕帯に存在を確認しました。18日の観測で新ドームは2010年溶岩ドームの約5 m 下で 55 x 25 m の規模でした。警戒レベルは“2”(1-4)。

Telica  | Nicaragua  | 344040 | Elevation 1036 m
15日に火山灰を含む噴煙が火口縁の上空 200 m まで上昇しました。

Ongoing Activity
Agung  | Bali (Indonesia)  | 264020 | Elevation 2997 m
火山灰を含む噴煙が高度 3.3 km まで上昇。警戒レベルは“3”(1-4)。

Aira 桜島 | Kyushu (Japan)  | 280080 | Elevation 1117 m
南岳火口から9回の爆発が発生し、火山灰を含む噴煙が火口縁の上空 1.7 km まで上昇。噴石は 900 m まで飛散。夜間には火映を観測。警戒レベルは“3”(5)

Ambae  | Vanuatu  | 257030 | Elevation 1496 m
報道に拠れば14日現在で10,000名が避難中。

Cleveland  | Chuginadak Island (USA)  | 311240 | Elevation 1730 m
地震や空振で特段の異常は観測されていないが現在も噴火の懸念は継続中。火口からの噴気は観測されており熱異常も観測されている。航空カラーコード:オレンジ。

Copahue  | Central Chile-Argentina border  | 357090 | Elevation 2953 m
14-15日に水蒸気の噴気が高度 3.6 km まで上昇するのが Webcam で観測された。

Dukono  | Halmahera (Indonesia)  | 268010 | Elevation 1229 m
15-21日に火山灰を含む噴煙が高度 1.8-2.4 km まで上昇した事が観測された。

Ebeko  | Paramushir Island (Russia)  | 290380  | Elevation 1103 m
11-17日の間、火山灰を含む噴煙が高度 4.5 km に達し、12日には熱異常が観測された。航空カラーコード:オレンジ

Fuego  | Guatemala  | 342090 | Elevation 3763 m
18-21日の間、爆発により生じた火山灰を含む噴煙が火口縁の上空 850 m まで上昇。白熱岩塊は火口縁の上空 150 m まで飛散し、岩屑雪崩を発生。6月3日の火砕流で169名が犠牲になり、今尚、256名が行方不明。

Ibu  | Halmahera (Indonesia)  | 268030 | Elevation 1325 m
20日の噴火により火山灰を含む噴煙は火口縁の上空 1.2 km まで上昇。警戒レベルは“2”(1-4)

Karymsky  | Eastern Kamchatka (Russia)  | 300130 | Elevation 1513 m
10日に熱異常が観測されたがそれ以外の日は気象条件が悪く観測出来ず。航空カラーコード:オレンジ

Kilauea  | Hawaiian Islands (USA)  | 332010 | Elevation 1222 m
山頂部では2日以来崩落は発生していない。6日以降、割目“8”火口から溶岩は流出せず、山頂部での地震活動と地殻変位は無視できる範囲。亜硫酸ガス濃度は2007年のレベル以下に低下。割目“8”火口ではごく小さな溶岩湖が観測され、周辺からの水蒸気の噴気やスパッターの飛散は継続。

Sabancaya  | Peru  | 354006 | Elevation 5960 m
13-19日の間、連日噴火は平均27回発生。火山灰を含む噴煙は火口縁の上空 2.7 km まで上昇。亜硫酸ガスの噴出量は日量 3,100 トン。

Sheveluch  | Central Kamchatka (Russia)  | 300270 | Elevation 3283 m
12-13日の間、熱異常を観測。他の日は気象条件に阻まれ観測出来ず。航空カラーコード:オレンジ

Sierra Negra  | Isla Isabela (Ecuador)  | 353050 | Elevation 1124 m
溶岩ドームの成長は変化しながらも継続中。4日と9日にこれまでの最も強い地震を観測。活動は9日以降沈静化しているが15日には割れ目 8 火口からの溶岩流は海に流れ込み続けている。
以上

2018年8月20日月曜日

火山列島日本展:OPTガイダンス:野田市内で見る石材 (3)

三回目の今日は案内図の西光院山門の赤矢印から入って本堂前の広庭に出るまでの参道部分をご紹介する。石材は主として安山岩だがこれにも色々あるぞ!と云った処を、庚申塔や青面金剛像、基壇や念仏講の姿を観察しながら歴史にも触れる。画像別に説明を記載しているのでご覧あれ。今回は15枚
 山門を入ると左手に愛宕神社の旧参道と鳥居が建っている。此方には入らずに参道を直進するが、この古びた鳥居は安山岩製で千葉県下では二番目に古い鳥居とされている。元禄七歳甲戌十一月吉日とある。1694年である。
処で、これが二番手ならば、一番古い鳥居は何処に? 佐倉市大佐倉の将門山 口の宮大明神の鳥居が同じ安山岩製で50年前の承応三甲牛天十一月吉日に建立されている

文字庚申塔。安山岩製で、風化に拠り流離構造らしきものが観察される。建立は嘉永七寅年、1854年 年号は石碑の左右に書かれる事が多い。

青面金剛像塔。安山岩製。右側の錫杖脇に建立の年号が刻まれている。享保三戊戌年十一月は1718年。今から300年前のもの。年号を読み取るには干支が頼りになる。

円柱型の文字庚申塔は比較的数が少ない。材質は安山岩であろう。これは建立年号を読み忘れ。

失礼して青面金剛文字塔の下部だけを抜粋。「剛」の文字の下に鶏のつがいが一組、更に下には猿の親子だろうか?庚申塔はこの様な彫刻も面白い。

この文字が読めない石塔は凝灰岩製。粒状の凝灰質と砂礫サイズの火山砕屑物から構成されており、小豆色の砕屑物が含まれるのが特徴。新鮮なものでは粒径の変化でラミナが描かれている

足元に散乱している四角錐のこの岩は石垣や境石として用いられる「間知石」で礫混りの緑色凝灰岩。勝軍地蔵堂の石垣で紹介したものより硬い事が破面の形状で理解される。基壇に組まれた状態をこの後観察出来る。

左手に一際高い石祠が聳え立つ。上部構造は安山岩だが、この下部の基壇の裏側に回って使われている石材を観察して頂きたい。

礫混りの緑色凝灰岩の間知石。参道脇で観察したものが正しく組まれるとこの様になる。木陰で直接風雨を受けずに済み、乾燥しているとこの様に美しい状態が保たれ易い。

礫混り緑色凝灰岩に時折観察される杏仁(きょうにん)構造を持つ溶岩片。白い部分は瑪瑙か沸石か?

基壇に組まれた同じ緑色の石材にもこの様に縁取りされた石材が含まれている。これは前に観察した風化でやや残念な御姿になっていた石塔に使われた緑色凝灰岩と同じ石材。硬さにかなりの幅が有る。小豆色の小礫が観察される。

落ち葉の中に半ば埋もれた様な淡緑色の角柱が何本か放置されている。これは礫が大部分でその隙間を淡緑色の凝灰質が埋めている。間知石に用いられたものと異なり礫は大小様々だが種類はほぼ一種類。礫の境目でぽっくり大きく割れる

屋根掛かりの二体の石仏は安山岩製と思われるがこれまで観て来た石造物とはやや色が違う。その内の道路側の一体は、傍に説明板が有るので参照願いたいが、「野田町」の文字が刻まれた最も古い石仏。文字は錫杖の傍に

「野田町」の部分。彫は浅い。寛文二年(1662)年の造立。愛宕神社の鳥居よりも古い、

最後にご紹介するのは西光院の御本堂です。

続く【次回は木曜日を予定)

2018年8月19日日曜日

火山列島日本展:OPTガイダンス:野田市内で見る石材 (2)


さて集合場所の愛宕駅とツアー場所の位置関係と、まだまだ続くガイダンスの為に、愛宕神社境内(+その他の寺院と神社)の施設配置と勝軍地蔵堂で観察出来る主要石材をご紹介。
赤矢印が入口:図のほぼ左半分が観察フィールド。真っ直ぐ西光院への参道を直進しながら左手の庚申塔を観察しながら「道祖神社」と書かれた辺りまで進む。この付近は次回に説明の予定。「野田」と云う地名の最も古い金石資料も此処に在る。更に反時計回りに「板碑」⇒「勝軍地蔵堂」⇒秋葉神社横の築山⇒愛宕神社脇を通り舞楽殿⇒愛宕神社と云う処か?

野田は利根川・江戸川・利根運河と三角形の三辺を水の流れに囲まれた地域でこの地図の範囲が「野田醤油」の中心地。チョット不便だが時間が有れば「上花輪歴史館:高梨家」には、更に多数の石材が観察出来るし、古い姿も残っているが時間的に厳しいので別の日に機会が有れば是非どうぞ。健脚の方は野田市駅からキッコーマン本社脇の赤楕円で示す地区を歩くと古い屋敷も見る事が出来る。博物館脇の小さな赤丸は茂木家のプライベートな神社で立ち入り禁止。琴平神社も入れないかも?

前回の説明で、石垣から入った勝軍地蔵堂の正面。石垣の上は白く見える部分が、稲田の中野組石材工業殿が収めた(恐らく)稲田花崗岩。石材団地に大工場を建設し、稲田の石山は「想石」殿に移管した時期なので外材の可能性も否定できない。その上の灰色の部分は石巻の井内石(仙台石)の外構。

稲田の中野組石材工業殿が採石を行ってきた石切り場。現在は「想石」殿がこの敷地内で加工を行い、採石は奥の山で行っている。右手の白く光る部分の段差は 2 m 以上あり、ガスバーナで切断していた

火成岩では無いが井内石(仙台石)の画像を少し御案内しよう。地蔵堂の外構は2011年の東日本大震災で大きな被害を受けている。外構部分は井内石を用いて復旧されているが、堂宇の背面にはこの震災に触れた碑文が刻まれている

井内石は基本が「砂泥互層」である。細かな砂泥互層を生き抜いた生物が擾乱して砂層と泥層を離れがたいものにしている。黒い点の様なものはその生物擾乱の痕跡です。石巻市八幡町の拝幣志神社境内で撮影

井内石は石巻市の北上川河口付近の左岸で採掘されていた関係で北上川(ガードレールは北上川の護岸部)の脇には、今でも石材屋さんがずらりと並び、露頭も見えます。現在はこの左手の牧山の奥で採石しています

勝軍地蔵堂の左手奥に、一枚の板碑があります。残念ながら折損しており、コンクリートの型枠に固められていますが、永享五(1433)年弥陀種子板碑です。石材は秩父の緑色片岩だろうと思われます。集合場所の愛宕駅前で発見されたものです

地蔵堂の前の在る手水鉢(水盤)は、真鶴町の山側で採掘された本小松石の赤だと思われます。明治三十八(1905)年一月に石工「杉崎弥八」により造られたものです。杉崎弥八については興味深い資料が調査公開されています

愛宕駅ホームからの風景:野田線は現在単線でこの付近は高架による複線化工事が行われています。改札は東西二ヶ所あり県道側に開口しています。跨線橋は一番奥にあるので、反対ホームに移動するのはとても不便です

続く