2019年10月16日水曜日

岩舟町の富士山 (2) 石祠の素材は南伊豆の凝灰岩質石材

南伊豆の上賀茂付近で採掘される通称「みどり」と、須崎付近を中心とするやや広い範囲で採掘された石灰質生物遺骸に富む凝灰岩が、千葉や埼玉・栃木でも使われているが、不思議な事に、埼玉では大量に使われた「石灰質凝灰岩」は、渡良瀬遊水地の左岸の藤岡までは来ているが、鹿沼や栃木ではまだ「みどり」しか見つかって居ない。
富士山は、本物の富士山を観るには非常に良い立地なので、浅間塚並に信仰の対象にされたのか、石材を採掘した痕跡が無さそうなのだが、山中には「みどり」を使った石祠が数多くあるのが興味深い。文字を記録出来る伊豆の凝灰岩と、細かな文字を記録できない岩舟石の違いだろうか?

一の鳥居傍の石祠

山頂の神社裏手が「第三嶽 伊豆大権現」とある。富士講のミニチュア版を祀って日々歩いていたのだろうか?

山頂・神社脇の三基の石祠はどうやら同じ造りの様だが



一番右手の社殿に近いものと、中央では錆色の出方が違い過ぎて、しかも、伊豆の「みどり」ではここまで錆色が出るのは珍しいので、一応悩んでみる。

右端の祠には明治四十二年十一月の文字が刻まれている。左端も同じだが、中央の祠はその文字も消えている。

でも良く観ると、「みどり」の中でも砂粒がやや多い、粒状の組織が伺える。

山頂の東の参詣路らしい道筋の岩の上にこのような石祠が数体。年号は読めないが、伊豆の特徴が良く出ている。

石材組織の接写・拡大図:文字を彫り、祠を削り出すのだから、この接写画像では想像できないくらいに滑らかな仕上がりが手に入る。

中にはこんなものもある。「第一嶽 天照大神」だろうか?起点らしいが、どうみても岩舟石ではなく、コンクリート製である。
石祠本体は凝灰岩らしいが泥に汚れて正体不明

2019年10月15日火曜日

岩船町の富士山 (1) 地質

岩舟付近のシームレス地質図を観ると、岩舟山は新生代新第三紀中新世の安山岩・玄武岩質安山岩溶岩・火砕岩と書かれている。この「火砕岩」がいわゆる「岩舟石」で、岩舟地区だけでは無く両毛線沿いに数か所その地質が分布し、岩舟山の北側は主にチャートが分布する。安山岩や玄武岩質溶岩は国道50号を挟んで立ち入り禁止の水道山(78.3m)とその北の小丘に分布し、50号の盛土用に使われた様だ。

水道山の西側に標高 93.7 mの「富士山」が、周辺に採掘跡がほぼ無い状態で存在し、山頂に浅間神社が建立されている。地質図では形成年代は同じだが、「海成層 礫岩」とある。薄緑色は段丘堆積物とされており、小丘の中にはチャートの露頭も見えたりする。

鳥居は新しいが、この神社には岩舟石製の鳥居が収められた記録が有り、既に更新・改修されたのか、山頂に別のものがあるのか気になる。地図では階段が真っ直ぐ山頂まで続いているが、実際は曲がりくねった細い山道のようだ。

階段は、自然石を削り取って足場を作って居る。雨後の湿った階段にはステンレスの手摺りが強く大助かりだ。

地山の所々に、まるで切石を積んだような節理を示すものも有る。周辺との関係性が判らないが、切石ならこんな変な角度(断面がひし形になている)には加工しない。なにか方向性をもった部分があるようだ。東の東武線に近い熊鷹神社で観た石材が頭を掠める。

山頂の神社の周りも露岩が見える。最高地点も露頭だ。神社の基礎・基壇には地石が使われている。

基礎・基壇の石材表面。間知石の形には加工されず、転石をそのまま使っている雰囲気だ。右上方向に走る筋目が観察される。

露頭の表面には所々に白さが異なる岩片が観察される。軽石が押し潰されたと云う雰囲気だ。黒い部分は蘚苔類が着生している。

別の地点では小さな礫混りや、前図同様の白い岩片が観察される。

神社の礎石の中に、筋状の模様が横に走るものが観察される。熊鷹神社付近で散見された岩塊は。この山から運ばれたか、同じ地質が続いている可能性が疑われる。

小さな転石の表面を観ると細粒の黒い岩片が混じっている。ピンク色は私の左手人差し指の第一関節までだから約 3 cm

ややピンボケだが、これも横方向の筋目が見える。堆積時のものか?