2013年4月27日土曜日

千葉の砂岩の風景 (22) 再び海鹿島付近から

海鹿島には本当に昔はアシカが来ていたらしい。これは伊勢大神宮の境内から南側の海岸を眺めた風景。この付近には砂岩を採掘下らしい、破片がゴロゴロしている場所は不自然に階段状になった場所等が点在する。
下の画像は確か大神宮の前の海辺りから同様に南を見たものだが、生け簀や奥の高い石積みは多分昔の海水浴場跡を取り囲む防波堤だと思う。
明日は、上総湊の売津瀧ノ谷石切場の更に奥の石切場から、かまど石を採掘していた関辺りの露頭を観察した後、鋸山に廻り、古い土丹層を切ったらしい丁場を観察すると言う少々強行軍な一日を予定。千葉の砂岩はこの後、銚子の愛宕山や外川付近をご案内する予定。そうか館山の石橋を一つ抜かしてしまった様ですね。後でフォローしましょう。

2013年4月26日金曜日

千葉の砂岩の風景 (21) 海岸側の砂岩

みずるめ石の露頭は道路沿いの公園の様に整備されているがその道路から海岸側に歩くとこの様な砂岩の露頭が連なっている。この部分の砂岩が採掘されたかどうかは判らない。泥岩等も混ざっているので商品としての価値は低く、地元での消費は在ったかもしれない。
遠くに小さく見える灯台は野島崎灯台。
下の画像は、含まれて居る岩片を接写したもので、大体似たような岩片が含まれて居る。勿論、結晶サイズで破砕された砂粒の様な岩片も多数あるが、画像の中の熔岩に岩片に含まれる白い部分は恐らく長石だと思われる。石英の斑晶は意外と無いのです 

2013年4月25日木曜日

千葉の砂岩の風景 (20) みずるめ石の採掘跡

海岸道路に沿った「みずるめ石」の採掘跡。付近には多数の露頭が在るので、一時はかなり大量に採掘されていたと思われるが、残念ながら文献資料が得られていない。下の画像は上の画像よりやや左手の露頭の状況を接写したもの。

この付近は、丁度海岸道路が地層の境目に相当するらしく、道路の山側はこの様な一応成層した砂岩だが海側は乱堆積層になり火山岩片が多数混入する。勿論、眺尾橋に用いられた石材を観察しても判る通り、成層した砂岩層にも熔岩の岩片は混じっている。

2013年4月24日水曜日

千葉の砂岩の風景 (19) 眺尾橋

橋脚部分の画像だが、上の画像では上二段が群馬県の「多胡石」で、ツルハシによる加工目が見える部分が新しい部分。腕木の部分は新小松石。
下の画像では、稍黒い部分が房州石で補修された部分。欄干の部分は素材を変えて復元されている。
上の画像は下流側から見て左側(右岸)、下の画像は同様に見て右側(左岸)です。
上流・下流共に水面付近まで下れるように階段などが設置されていますが、橋の真下に行く事は、下流側に一応堰が在るので長靴でも困難です。 

2013年4月23日火曜日

千葉の砂岩の風景 (18) 眺尾橋

上の画像はこの橋の大きな特徴である上流側の水制工を真上から見たもの。前の画像は上流側から撮影したのでこの部分が写っています。
下の画像はアーチの内面砂岩は中々に美しいものです。 

2013年4月22日月曜日

千葉の砂岩の風景 (17) 南房総市白浜 眺尾橋

白浜の街を流れる長尾川に架かる「眺尾橋」です。この日は残念ながら少し風が強く水面が波立って居ましたので眼鏡には見えませんでしたが、三連強の美しい橋で、建設当時は、このやや南の海岸に近い場所に産出した「みずるめ石」(砂岩)が用いられています。建設は明治21年。村民の寄付により建設されたもので、何度か台風などで補修を余儀なくされ、H5~7年に掛けて補修工事が行われています。この時には他産地の石材が補修用に用いられています。

2013年4月21日日曜日

千葉の砂岩の風景 (16) チャートの砂岩 補足

チャートの砂岩と言っても中々納得してくれない友人の為に、細砂と少し粗い礫との丁度境目のサンプルの拡大画像を御案内する。上の画像が大体5~6倍だろうか?画像の左手に目盛が在るのは1mm目盛。左手に少し大きなのが顔を出している。露頭で顔を出していた側。
下の画像はその10mm足らずの岩片の反対側。此方は礫岩の様相を示しているが、この方が「チャート」だと言う事が判り易いと思って掲載。
但し、こいつは露頭で他の奴らに比べて妙に硬そうな顔をしていたのでひっぱたいてみたのだが、実はノジュールの様に石灰化で硬くなった礫岩層だった。千葉には成東石とか飯岡石や木下貝層の固結部とか石灰化で硬くなった石材が分布している。 所々、白っぽいのはその為。
今朝は雨を承知で早朝から北を目指したのだが、桜や満天星躑躅が咲く中で、日光辺りから雪になり、東北道が雪で通行止めだと言う。これじゃとてもフィールドで観察なんて雰囲気じゃないと諦めて午後早く帰宅してしまった。4月だと言うのに、例年必ず寒い雪の日が1日はありますね。