2012年6月23日土曜日

伊豆石 (14) 室岩洞の石材

海側の船積の為の出入り口。搬出口が妙に低い。あるいは床がもっと低かったのかもしれないが、腰をかがめないと出入り出来ない。石材を背負ってはきつい作業になりそう。
数か所、山側の出入り口と同じようなやや硬い雰囲気の岩石断面が見えている。正面の屋根型の切込みが在る壁は鶴嘴の切削痕が無いのだが、石材が不良だったのだろうか?

2012年6月22日金曜日

伊豆石 (13) 室岩洞の石材

上の画像は天井の一部。下の画像は入口付近のもの。どちらもやや硬い部分が有った為に、天井部分はやや堀残しが出来てしまった様だし、入口付近のものは冷却節理で旨く割れたものらしい。
ここの凝灰岩に含まれるすべてが軟質の凝灰岩断片と言う事では無いと言う事だ! 

2012年6月21日木曜日

伊豆石 (12) 室岩洞の石材

スケールは無いが大体同じ撮影条件なので同程度のサイズとみて下さい。細粒の火山灰が固まった部分がかなり細かく破砕されています。この岩片は砂の部分が多く強度付属で割れて廃棄されたものと思われます。

2012年6月20日水曜日

伊豆石 (11) 室岩洞の石材の顔

入口付近に積み重なって居たかび臭い岩片を少し洗ってみました。軽石部分も有りますが、凝灰質の緻密な礫と砂の部分が不均質に混ざり合っています。勿論、廃材ですから、それほど良い部分では無い事は判りますが、房州石を見慣れた目にはやや石材と呼ぶには?な石材でした。

2012年6月18日月曜日

伊豆石 (10) 室岩洞

鶴嘴:つるはしによる切削跡に所々この様な乱れが観られる。岩の表面は厚い黴の層が覆って居て岩の状態は殆ど見る事が出来ない。前の画像の様に水に浸かって居た場所やこの様なツルハシの乱れが、この付近にやや硬いものが在ったらしい事を伺わせる。乱れてはいるがほぼ他の平面と連続的に面が構成されているので、特別硬くは無かったのだろう。
緑色はフィールドノート。こうやって置くだけで黴臭が着いてしまって参った!

2012年6月17日日曜日

大いなる火(上)・写真万葉録 2-2

久し振りに写真万葉録を手に取った。
今日は139頁と147頁の画像をご案内する。
画像は1960年頃の総労働と総資本の決戦と言われた時期のもの、上は日炭高松の行動隊の、下は大正鉱業退職者同盟の炭巻場占拠の時のもの。当時私は中学三年の多感な時期。北九州市戸畑区沖台の鉄工所街に育った私の周囲は、そんな筈は無いが連日の様にデモが渦巻いていた様な記憶だ!小中学校の教職員が口では労働者の見方の様な事を口にしながら、おちゃらけデモをやって居たのを目撃し、こいつら嘘を教えている!と思ったのもこの時期に重なる。


伊豆石 (09) 室岩洞丁場跡

西伊豆松崎から国道136号線を少し南下すると、道路脇に駐車スペースがあり、海側に階段が有ります。此処を下ると室岩洞の採石丁場跡があり、松崎町が管理・整備している公園となっています。時間の制限がありますが、照明が付けられていますので見学出来ます。
画像はその一部の水が溜まった採石跡です。
伊豆半島には、ここ以外にも公開されている採石丁場が幾つかある様です。
まだ整理が終わって居ませんが、静岡県には凝灰岩石材の丁場がかっては多く存在し、私の手元の資料だけでも主要丁場の数は100ヶ所ほど存在します。
しかも、まだ確認出来て居ませんが、その石材の「顔」の多様性にも興味を惹かれます。

松崎町が設置したらしい案内板には「その昔、遠く江戸城の石垣に使われたと伝えられております。石を運ぶため千石船がこの海を往来し、にぎわっておりました。(略)」と書かれています。
でも、壁の鶴嘴の後からも判る様に、ここの石材は凝灰岩のいわゆる軟石です。
「城」の石垣に積むには強度が足りないのではないでしょうか?
私が観察した範囲では砂質の部分が多い凝灰岩で、この水面近くに見える岩の断面の様なものは比較的均質な凝灰岩の岩片の様です。勿論、少し硬い部分もありますが、現状では堅い部分は非常に少なく、天井が低かったり、掘り取られた部分が狭く分散している事から石質は余り良くなく、良い場所だけを掘り出したのではないかと思われました。