2021年3月25日木曜日

凝灰岩質石材の旅::No.122131-03~06:東金市の成東石

 所在地:東金市東金地区の地図を参照

九十九里浜に面した東金市と山武市が在り、その山武市に以前ご紹介した「浪切不動尊(院)」と言う崖に「懸崖造り」と云うのだろうか朱に塗られた派手なお堂が在る。この崖は一部は無粋な石垣が組まれているが実は、石灰質に固められた砂層のの露頭なのだがこれが、ごくたまに、石碑や石碑の礎石として使われている。それに、地衣類が着生していて岩相を観察するのが難しいのだが、なんだか似ていそうな石が、神社の階段に使われて居たり、中には小型の石蔵も在る。この「成東石」が中々正体が把握できないので取敢えず石碑類の礎石(造立年代が判るので)を探しているのだが、中々数が少ない。東の方は露頭から 21 km 離れた場所まで分布を確認出来たが、西の方が手薄なので東金付近を歩いてみた。露頭からはほぼ 7 km 付近で用例を数件探し出すことが出来た。最初の地図の赤丸は露頭が在る場所。青丸はこれまで探し出せている石碑類の所在を示し、緑丸が今回探し出せた場所。

赤丸は露頭が在る場所。青丸はこれまで探し出せている石碑類の所在を示し、緑丸が今回探し出せた場所。
今回確認した場所を示す。僅か 500 m の範囲に三か所も
八鶴湖の湖畔に佇む「日清戦争忠勇碑」は明治二十九(1896)年の造立。石碑は本小松石と思われる(根府川石特有の流理が見えない)
石碑を支える礎石部分に使われた成東石は、不定形
成東石の裏側には生痕化石(巣穴化石)と思われる部分も。スケールは17cm
やや南西側の「火正神社」境内に建つ「日露戦役祈念之碑」は、明治三十九(1906)年の造立。やや小振りで、碑面の石材は宮城県石巻市産の井内石。スケールは同じく 17 cm
礎石に用いられた成東石の拡大図
岩崎菅原神社の手水鉢は多少整形されているが、成東石らしい。残念ながら造立時期は不詳
切石積の倉庫に使われた産地不詳の石材は、凝灰質の雰囲気が在る。成東石同様に石灰質を帯びている様な雰囲気だが、希塩酸を掛ける訳にもいかないし手掛かりが無い。

2021年3月22日月曜日

凝灰岩質石材の旅::No.112224-02:越谷市の房州石石蔵 ① (2/2)

 投稿する前には、一応簡単な原稿を書いておくのだが、どうやら一つ飛ばしてしまった様です。これは前々回(旧中村邸)の続きで石材の模様や含まれている岩石の大まかな観察をします。

房州石だけではありませんが、花崗岩でも岡山のピンクのカリ長石が含まれていて「さくら御影」と呼ばれて万成石が好まれる様に、ピンク:桜色は暖色なので好まれる様です。房州石の場合には、桜色の凝灰質の固まり(岩石では無い、どちらかと云うと「礫」の様に見える「偽礫」と云った方が良さそうですが)が含まれると「桜目」と言って(場所により「おうめ」とか「さくらめ」と呼びます)丈夫で高品質とされるものがあります。恐らく、適度に凝灰質が混じる事で硬過ぎない組成となり丈夫になるのではないかと思います。

房州石や伊豆の凝灰岩の美しさの秘密の一つにこの堆積模様が上げられると思います。必ずしも、堆積時の姿勢がそのまま保たれて、側面でこれを観察する訳ではありませんが、このような堆積模様はどのような堆積場で形成されるのか?或いは堆積方向に対してどのように採掘すればこのような模様が観察されるようになるのかを考えるのも興味深い様に思います。
スケールは17cmです。石材の長手方向は大まかに 80 cm 程度と覚えて頂ければそれ程大きくは外れる事がありません。この石材も桜目が美しいですね。スケールの下の石材に在る白い斑点は「黴」です
これは斜めの堆積模様とほぼ水平の堆積模様が見えますね。
上の段は桜目を含む大きな粒子が沢山入っています。下の段は白い凝灰質が細い線を描いています。その組み合わせも面白いと思います。

緑の線で囲んだ白い凝灰質の表面に、横方向の筋目が在るのがお判りでしょうか?同じものはスケールの上の白い部分にも観察されます。これは表面仕上げのヘアライン加工のような模様が今も残っている事を示しています。  伊豆の上賀茂付近の良質の緑色凝灰岩では、1cmを越える様な大きな凝灰質の固まりが在ると、その部分から風化剥離が始まる事が有りますが、房州石では大きいものが弱いと云う関係は成立しません。
桜目の部分を拡大して見た画像ですが、凝灰質が多い割に、小さな黒いスコリアの類も含まれています。
これは凝灰質も多いですが、どちらかと云えば砂と礫の混じったものが多く、赤褐色に酸化された岩片も含まれています。房州石は様々な硬さや、粒度の異なる火砕物の不思議なコラボで生まれた石材なのです。
前回の説明で、石蔵の内壁に沿った材木は、石蔵の強度には寄与していない事を説明しましたが、丁度良い画像がありましたのでご紹介します。勿論、この画像はリノベーション後の画像ですので、電気配線の構造物が含まれていますが
壁面の片方には全く木材が繋がっていないし、木材がある部分も天井までは届いていません。 大谷石の使われ方と、房州石や鎌倉石の使われ方との大きな差がここに現れています。鎌倉石等の様々な石材の石蔵も何れご紹介する機会が有ると思います。 

2021年3月21日日曜日

凝灰岩質石材の旅::No.112224-01:越谷市の房州石石蔵 ②

 所在地:越谷市蒲生西町一丁目:非公開個人宅

国土地理院地図座標:35.860883,139.793692

東武線蒲生駅から徒歩:約 700 m:車窓から見えます!

越谷は舟運に恵まれた土地だったので、今でも房州石の石蔵や石塀などが伊豆の軟石と共に数多く現存している場所です。二番目にご案内するのは個人のお宅なので、出来れば東武電車の浅草方面行の電車の左手の車窓から通り過ぎる一瞬を観察する程度にして頂ければと思います。私は、夏の暑い時期に汗ダクで座席に座るのが気が引けて窓際に立っていてこの建物を見付けました。

御当主の厳父様が建てられた大きな瓦屋根のお宅の傍にこの石蔵が建っています。取材当時厳父様は既に93歳でしたからまだお元気で居られれば百歳を越えておられる事になります。地図には、取敢えず越谷市内の三か所の房州石の石蔵の位置を置いています。「赤」は前回ご案内しました、公開されている旧中村家の石蔵の位置。「青」のやや大きマークがこの石蔵、「緑」はこれも非公開の木下半助商店の石蔵の位置です。これは次回の予定!

地図には、取敢えず越谷市内の三か所の房州石の石蔵の位置を置いています。「赤」は前回ご案内しました、公開されている旧中村家の石蔵の位置。「青」のやや大きマークがこの石蔵、「緑」はこれも非公開の木下半助商店の石蔵の位置です。これは次回の予定!
東武電車の車窓から望遠レンズで撮影したこの石蔵の全景です。この角度が一番全体を見る事が出来ると思います。岩石の観察には接写レンズも必要ですが、望遠レンズも重要な役割を果たします、
線路の高架脇から望遠レンズで撮影した画像です。瓦屋根の主屋は、東日本大震災の際にかなり撓んだので、一端、瓦を外して修正したのだそうです。
敷地内に入らせて頂いて前の画像とは反対側を見上げながら撮影したものです。
側面の広い面積を撮影していますが、石材夫々の堆積模様が実に興味深いものが有ります。
石材の側面の表情を見て頂きましょう。右側に曲尺を置いています。5 cm x 10 cm です。

 珍しく白い部分が多い石材です。この図にも曲尺が入っています
石材の色は日照によってかなり印象が異なります。石材の個々の印象と日陰と日当たり部分の石材の色合いの感覚的な差は意外と大きく影響します。
外からは見えない腰回りの石材には芦野石~白河石が使われています。これは外でも同じような組み合わせになります。白河石ではこの黒いレンズが小さく、芦野石ではやや淡く大きく成ります。石材屋さんによって名前は変わりますがそれは大した問題ではありません。