2017年3月7日火曜日

多分、余り知られていない明治の石材文献(2) 建築石材試験報文

これは知られていない内には入らないかもしれないが、文化財系の方々にはご存じ無い方が結構多かったのでご案内。当時の農商務省地質調査所では、幾つかの石材産出県の石材の比重や強度、耐熱性や耐寒性の試験を実施し、生産統計等と共に大正に入って「地質調査所報告」に収録して相次いで発行している。
「中国(地方)産花崗岩応用試験報文」と「中国(地方)産花崗岩比熱試験報文」は、地質調査所報告第28号(1913)。「茨城県産花崗岩応用試験報文」と「福島県西白河外二郡産石材応用試験報文」は、地質調査所報告第37号(1913) 。「千葉県産建築石材試験報文」と「神奈川県産建築石材試験報文」は、地質調査所報告第44号。
https://www.gsj.jp/data/rep-gsj/No044.pdf
「静岡県産建築石材試験報文」(最初の画像)と「栃木県産建築石材試験報文」は、地質調査所報告第51号(1914),178頁(3.8MB) 
https://www.gsj.jp/data/rep-gsj/No051.pdf

この他事業報告の中にも例えば、第64号には事業報告の一部として【花崗岩石材凍寒試験】の報告が略記され、用いられた四十一種の花崗岩産地の一覧表が記載されたりする。
 私はこれらの文献に記載された内容を、例えば地域の人々のご協力を頂いて、古い石切り場の検出とその調査の参考資料に使わせて頂き、実際に地域の記憶から消えてしまっていた石切り場の再確認をする事が出来た例も幾つかあります。また、聞き書きの内容の補強に、例えば東京湾湾港の第一海堡にその石材が用いられた石材産地の歴史を振り返る資料を作成して、その地域の方々に還元させて頂いた例もあります。

 但し、これらの報文を清水省吾氏お一人で短期間に整理しておられる事と、清水氏もご指摘されている様に当時の統計に関する未成熟な部分が存在する為に、生産統計の単位がばらばらだったり、統計の数値と記述された内容に齟齬が有る例もあるので、記載された統計数字をそのまま転記して使うような事は避ける事が賢明です。
 また、地質調査報告には、石材だけでは無く地震や火山噴火後の調査記録なども掲載されているので、災害対策や、火山と火山に興味を持つ方々にも有用な資料だと思います。


続く

2017年3月6日月曜日

多分、余り知られていない明治の石材文献(1) 伊豆図幅地質説明書

 一頃、つくばの産総研・地質調査総合センターの図書室にいろんな地質文献を拝見させて頂いた。最近は、殆どがネット上で公開されているので、つくばまで通う回数も激減してしまったのだが、文化財の関係者には、明治から昭和初期までの石材に関する文献が意外と知られていない事が有るので、余り古い時代の石材に関心を持たれる方々も数少ないとも思われるけれど、いくつかご紹介しておきたい。
 最初は明治19年発行「伊豆図幅地質説明書」産総研のデータベースでは、貴重書のリストか   https://gbank.gsj.jp/…/Ge…/39_izu_explanatorytext/index.html

この図幅に含まれる範囲は、一部誤記が有ったので念の為地形図で示すと

この文献の頁数は56頁で、私の手元には自分に必要な部分だけのコピーの45頁から48頁までと付属の「建築石表」が有るのだが、これも全画面が上記で検索、閲覧が出来る様になった。小生が便利に使わせて頂いている巻末付録の「建築石表」。


この時代には他にも「静岡」、「千葉」、「上総」等が発行されているので古い石材についての文献調査は面白い。 伊豆南部に関しては大正三年に神津技師により「伊豆国南部地質略説」が発行されているが石材については記述は少ない。こんな古い時代の文献が、地元の方々の記憶から忘れ去られてしまった様な石切り場の探索などに意外と役に立ちます。

石碑の石材:珍しい閃緑岩を観察

井石の石碑の調査の合間に、井内石以外の石材もチェックする事が多くなった。
歴史的な石碑だと、井内石以外としては根府川石や同類の「本小松石」が多いのだけれど、最近は黒御影が主流になっていると思ったら先日印西市木下の神社で珍しい石材を目にした。

遠目には細粒の花崗岩と見たのだが、近寄ってみると石碑の側面に立て筋が見える。正面にはアメーバーの様な模様が見えて、これはやばいぞ!と思ったのだが、石材名は判らない。

下の拡大図は画像の横幅が50mm。

側面はこの様に筋状の鉱物の配列が観察される。

この一部を接写画像で拡大すると画像の横幅が20mm

飴色の結晶は感で云うと輝石の様だがやや黒い角閃石も有る様だし、斜長石はずいぶんと細長く成長している。石英がやや少なめな雰囲気だがこれは薄片を作らないと判らない。どうやら石英がそれほど多くない「閃緑岩」らしいとご教示を頂いた。幾つか論文を拝見した範囲では結構この定方向配列は観察される事が多いらしい。

 石碑に「不撓不屈」と揮毫された「滝田栄」さんは、俳優の方と同名の別人かと思ったのだが、実は印西のご出身らしい。船橋と木下を結ぶ木下街道の印西市内には日本相撲協会の石碑が残るがやや寂れすぎた「出世豊国稲荷神社」もあり、この付近は相撲の盛んな土地柄らしい。