2020年12月17日木曜日

寒い朝のFW:印西市船尾付近

 千葉県内のポツリポツリと抜けている調査地域の落穂拾いの様な調査を相変わらず続けている。今朝は寒かった!歩いた距離は恐らく 9 km 余り。大部歩けるようになってきた。今日は、千葉ニュータウンの南側。宅地開発から逃れる事が出来た台地の周辺部にある社寺が狙い。この付近の「印旛沼」沿岸には、宗像神社が十三社があり、それ以外に「鳥見神社」や「麻賀多神社」が夫々十数社祭祀されている。「宗像神社」は、九州は福岡県にその元締め「宗像大社」が在り、私の出身地とも近いので何度か参詣した事が在る。九州の神社からどのような理由でこの地に招かれたのか興味深い。

今日は、興味深いものを沢山観察する事が出来たが、残念ながらその造立年代が不詳のものが多く、余りデータとしての意味に欠けるのが残念。冷たい風の吹く中を一生懸命歩いたのだが・・・

細い緑の線で囲んだ場所が、凝灰岩質石材を観察する事が出来た場所。右上の「武西学園台」と書かれた場所の斜めのやや太い線は、此処に「百庚申」が有り調査した時のもの。
右下のやや太い緑の線で囲んだ部分は、埋蔵文化財の発掘調査をしていた場所。
古いものでは無い様な雰囲気なのだが、何時頃、何の為に造立されたのか定かでは無い、狛犬の台座の様に溶岩を積み上げた脇から凝灰岩の龍が首を出していた。碑文が見付からない。
三番目に訪ねた「宗像神社」は、改築されていたが社殿の基壇は昔の石材が転用されていた。角礫を含む緑色凝灰岩で所謂「湯ヶ島層」の産物らしく、凝灰岩にしては硬いので間知石ややや小さめの切り石として石積み用に使われる事が多い石材だ。普段は、様々な角礫が含まれているのだが、此処では黒い、恐らく水冷を受けた玄武岩ではないかと思われる角礫が殆どだ。
角礫には斑晶が在るものと無い奴が在る。
「火皇子神社」と云う不思議な名前の神社を訪ねると埋蔵文化財の発掘調査を行っていた。この左手が神社なのだが、その先の道路は誰も通らないと見たのか道路部分も発掘されている。どうやら古い往還沿いの住宅地らしい。道路開発の為の発掘調査らしい。
場所はこんな所。丘陵地である。
住居跡らしい発掘場所。一辺が 2~3m程度。赤紫で囲んだ部分は「カマド」らしく、土の色がやや赤く変色している。他の住居址も似た様な大きさだった。
「大日塚」と云う塚なのだが、出羽三山碑で占拠されてしまっている。千葉県は今でも出羽三山講が盛んな土地で。実に三山講の記念碑が多いのです。
案内板に「無銘の石祠」と書かれているのが、他に見当たらないので銚子石(細粒砂岩)製の、家形墓石の事らしい。壊れてしまっている。
スケールと一緒に写真を撮ってみたが、やはり手持ちでは画像がぼけますな!、「細粒砂岩」を表したかった。緑色は黴だろうか?