2020年7月11日土曜日

岩石と地層の表情:074;砂岩の縞模様を観察

砂岩や一部の粗粒の凝灰岩は、薄片を造る際に樹脂含侵をしなければならないので顕微鏡を使っての観察がやや面倒になる。そんな時は私は切断した面の実体顕微鏡を使っての観察だけを行うようにしている。
研磨すると隙間の多い砂岩ではその隙間に研磨剤が入り込んで、超音波洗浄を行っても除去出来ない事があるからやらない。石材の観察には偏光顕微鏡での構成鉱物の観察はそれほど助けにならない。今回、私が採取したサンプルは二個。一個は4cm角程度のサイコロ状に切断したもの。もう一つは厚さ1cm程度の小判型。鉄錆色の模様には半ば規則性を持ったと思われるものと、多胡石の様に規則性を感じられない模様とが在るようだ。
淡い平行な線状の模様が在るサンプルは鉄錆状の筋目の部分には薄い雲母が多く分布している


堆積面に平行な破断面では雲母が特に目立つ
隙間・空洞の内部に茶褐色の部分が集中しているのは地下水が流れる過程で鉄分がこの空洞の内壁に沈着している様に見える
縞状の部分を拡大して観察。この画像の横幅は約 4.5 mm
ほぼ倍に拡大して見ると赤錆色の濃い部分はほぼ隙間が詰まっている。 この画像の横幅は約2.3 mm
銚子石と呼ばれる砂岩に時折観察される同心円状の鉄錆模様。これは恐らく「リーゼガング」現象と呼ばれるものに関係すると思われる。
群馬県下仁田方面で採取した砥石に見られる縞模様も同じ原理による縞模様と思われる

2020年7月10日金曜日

夜空が輝く時

夜空が輝く時 :Another Lively Season of Night-Shining Clouds NASA
毎日早朝と就寝前の深夜に海外の火山系のWebcam 数十ヵ所をチェックして適当にキャプチャーしているのだが、6月29日夜にカムチャツカ半島の“Sheveiuch”火山の背景が妙に輝いているのが気になってキャプチャーしていた。雷光がスキャンと重なったのかと思ったのだが数分後も続いていた。
今日のNASA Earth Observatory に今年は北極点付近の雲が輝く現象がかなり低緯度迄観測されているという画像が紹介されていた。例として上げられたカルホルニアの“Joshua Tree”は北緯34度付近なので、日本全国で空気さえ澄んでいれば見えるのかもしれない。原文は長いので省略しますが下記に説明が在ります。
https://earthobservatory.nasa.gov/images/146950/another-lively-season-of-night-shining-clouds?utm_source=card_2&utm_medium=direct&utm_campaign=home&fbclid=IwAR3ShSWgqaQwZwTfP6USSqo-D-emuagsQLkOOWo012O0AejtVtuyDKMOKdg


岩石と地層の表情:073;石切山で

商工会館でご教示頂いた石材屋さんを訪問し、石山をご紹介して頂いた。場所によっては現在も採掘が行われており、現在も主に大型の燈籠を製作しているのがその石材屋さんから石山に行く途中で観察された。
地図はご紹介を頂いた石山の例で、舗装道路から採掘場に分岐する場所の路傍に駐車した。道路脇の崖の表示も石切場の跡で、大型灯篭が数期置かれたままになっていた。
左から二番目のフラッグ辺りから砂岩の露頭が観察されまじめる。道路は地図表示の通りブルドーザーが通れる幅だが一般車が入れる状態では無い。GPSは水平に保って居れば正しくルートを記録するがリュックに括りつけていると実際に通過した場所とは異なるルートを記録してしまうので、要所で数分間静止してポイントを取るようにしている。私は山頂まではいかなかった。
石切場内の道路の状況。ブルドーザー専用。
道路脇には何時でも使える様な大きなブロックが置かれたままになっている。
削孔された跡が残る岩塊。
上を眺めても目立った石切跡の崖:露頭が見えないので私は此処でストップ。生意気を言うようだが、鶴嘴の痕跡が無いと今一つ萌えない。1月に行ったからこの程度の雑木で済んだが、夏場に行くのはやめた方が良い。石切場はやはり冬場が一番。

縞模様が観察される破面の現場観察例
スケールが無いが、やはり現場での手持ち観察例。ルーペも良いが、画像にしておくと同行者と同じ画像を見て議論出来る。黒い物質の詳細は不詳。
現場を紹介して下さった石材屋さんの壁に貼ってあった石材画像例。
装飾用の多胡石は複数枚のカッターを一定間隔に並べて置いて一挙に複数枚を切り出していたという。古い切り跡が残る岩塊が工場の片隅に残っていた。

2020年7月9日木曜日

岩石と地層の表情:072;地層境界に位置する住吉神社

神社での石材の使用状況を確認する為に、高崎市吉井町大澤の住吉神社(経緯度10進表示:36.221894,138.963762)に立ち寄ってみた。創建時期は八世紀前半には鎮座していたと云われる。流石に牛臥砂岩の産地だけに伊豆からの凝灰岩はここまで進出した形跡は無かったが、神社の脇の大沢川は牛臥砂岩を削って流路を作り出しており、すぐ下流で渓谷は終わっている。ほぼ地層の境界に位置して居ると云える。神社の建物の中に前面を「多胡石」の鉄錆模様で飾っていたので、壁面の拡大画像と、これを少しと、天明二年と享和二年の砂岩製燈籠が現存していたので表面状態の良い部分を抜粋してご紹介する
地図は産総研のシームレス地質図。細長い黄色の部分がいわゆる「牛伏砂岩」の分布領域で、中央付近の丸印が立ち寄った石切り場付近。横長の四角がこの神社の所在地
建造物の表の多胡石の装飾
建造物の表の多胡石の装飾
建造物の表の多胡石の装飾
建造物の表の多胡石の装飾:この部分は堆積構造を反映している様に見える
神社脇の大沢川の渓谷の一部。この下流から直ぐに地質が変わり川筋が開ける
鳥居と神社額はこの地の砂岩。但し神社額は昭和の時代に補修(交換)されている。
これもは昭和八年に補修された灯篭の一部。私より一回り年上でこの表面を保って居られるとは素晴らしい。
これも恐らく同時期に補修されたものと思われる灯篭の火袋部分。薄暗かったのでややピンボケになってしまった
巨大な「舟石伝説」の砂岩岩塊。節理はスパッと美しい。

2020年7月8日水曜日

岩石と地層の表情:071;旧吉井町商工会館玄関前装飾

一応出掛ける前に調べが付いていたのは、この旧吉井町商工会会館の玄関前の装飾にこの石材が使われている事でした。一応、お断りをしてから撮影させて頂いています。模様が不定形なだけでは無く、石材を薄く板状に加工して、模様を対称系に配置する事で模様の不思議さを演出しています。
玄関前の多胡石の装飾の全体像です。上下方向の中心付近の水平線が対称軸になっています。
真ん中付近の一部を切り取っています。茶褐色:鉄錆色の模様の線幅は様々ですし、模様の出来方にも特段の法則性が見出せません。
模様の鉄錆色の曲線は場所により全く異なります。この部分に関しては濃淡の差もあります。堆積時の構造にも(粒子径の分布や細粒分に拠る目詰り等)にも影響されている様です
拡大図です。意外と粗粒であるようです。

堆積模様と鉄錆色の線の方向性と加工時のカッター目の方向などどうにも方向性が良く読めません。
商工会館の近くの空き地はどうやら石屋さんの跡地らしく、石材等も積まれている中に、古い昔の「流し」が置かれていました。風呂場の流しにしては狭いけれど台所の流しの形状でも無いような・・・
「流し」の底の面は勿論細かなノミの傷跡もありますが、結構平らに仕上げっています。
石臼もありました。清掃せずに撮影してしまって手抜きで申し訳ありません。
礎石にもこの砂岩が使われています。地元の石材として、建築物の装飾壁や庭園の燈籠だけでは無く、様々な生活に密着した用途が有ったようです。

2020年7月7日火曜日

岩石と地層の表情:070;多胡碑は多胡石;牛伏砂岩で出来ている

群馬の石材に触れたので千葉県内で眼鏡橋の補修に使われた「多胡石」にも触れておきたい。「多胡石」と言うものが有る事は、たまたま巡検でこの石材産地に近い場所に宿泊した時にその宿の装飾に使われていたので、面白い石材が在るものだな!程度には知っていたのだが、千葉県内では現在は砂岩を採掘できないので南房総に現存する眼鏡橋の補修時に一部に「多胡石」を使用した事はその橋の事を調べるまではほぼ知らなかった。
「上野三碑」については最近立派な案内サイトが出来ているので興味がある方は下記をどうぞ。多胡石の石切場を観察に行く前に先ず最初にこの石碑を拝見する事にした。
https://www.city.takasaki.gunma.jp/info/sanpi/01.html
多胡石は長石や石英が多い「花崗岩質:アルコース質」砂岩。良く見ると雲母も結構多い砂岩です。
多胡石の特徴はその不定形の茶褐色の鉄錆模様に在ると思っていたのだが、多胡碑に使われていた石材にはその特徴的な鉄錆模様は観察出来なかった。尤も、文字を彫る様な岩石なのだから、粗粒ではどうしようもなく、やや細粒の目の詰まった石材だからこそ石碑に使えるのだと思う。まずは文字の彫られた正面画像。
文字の一部を望遠レンズで撮影したものです。ガラス迄越しなので旨くピントが合わないし、薄暗いので少々の明暗を調整して言いますが、「多胡」等の文字も読めると思います。文字は「丸底」で彫られているらしい。
文字の無い面の表面の模様です。実際は長手方向が上下方向になります。幅は石碑の幅より少し狭くしています。淡い模様は堆積時~途中の褶曲などを反映しているのでしょう。
もう少し拡大しています。加工の工具痕を見たくて撮影したものです。
ガラス越しでは痒い処に手が届かないので、公園内にある小さな灯篭に目を付けました。火袋部分と塔身(棹)の部分を観察しています。
火袋の日月の模様です、長手方向が上下方向になります。これならスケールを置くことが出来ます。
目一杯接写をして見ると、長石や石英ばかりでは無く、チョットマーキングしたように雲母も含まれています。
「多胡碑記」碑には根府川石が使われていました。右側に淡いながら斜めの根府川石の特徴ともいえる冷却節理が観察されます。文字は当時の高名な書家が隷書体でかかれたものだそうで、建碑されたのは大正時代です