2015年7月4日土曜日

岩槻の街中の伊豆石 (3) 顕微鏡で見ると

実体顕微鏡にコンパクトデジカメを望遠鏡用のアダプターを取り付けて撮影したもので視野直径はΦ5.5mmです。最初の画像の中央には割れて居ますが輝石の自形結晶が有ります。左隣は斜長石ですね、石灰岩のモース硬度は3でしたか?これに比べて輝石や斜長石は6辺りですから硬いので突き出しています。下の画像はトリミングした画像です。

 これも四角いのは斜長石です。赤茶色のものは玉髄かもしれません。可能性は大いにあります。


 ここにも輝石の自形結晶があります。斜め左下には貝殻片らしいものも見えます。石灰岩の砂岩ではありますが、伊豆半島は火山の島が日本列島に突き刺さったものですから白浜層群には火山灰起源の鉱物がこのように自形結晶で混入していても不思議はありません。
最初にこの石材に巡り合った時に、砂と礫の丁度両方に跨る粒径だったので、粒子を取りだせれば含まれる岩石か鉱物の種類が判るかもしれないと思って、比較的硬いサンプルをハンマーで潰して見たら礫まで全部潰れてしまって、色は違うけれど皆石灰岩なのだと判って少しがっかりした記憶が在ります。勿論、希塩酸を滴下すると勢いよく炭酸ガスの泡が生じます。

2015年7月3日金曜日

岩槻の街中の伊豆石 (2) 微小な化石と石灰質

市内のある施設で風雨に曝された石材の一部が剥離風化を興していました。厚みは10mm程度ですが、丁度関係者が居られたので許可を頂いて敷地内に入りサンプルとして下図の岩片を頂戴する事が出来ました。カメラの接写レンズを使用しての撮影では、三脚を据える訳にもいかず手持ち撮影なのでどうしても身体が揺れて焦点が期待通りには合わないものですし、顕微鏡で観察しなければ見えないものもありますので、サンプルはとても重要です。普段は建物からサンプルを取る事は全く出来ないので実に幸運でした。
画像のサンプルは、顕微鏡撮影(実体顕微鏡を使いました)の為に、当初の外側の緩やかな曲線はそのままに内側の面を軽く研磨して平面を造っています。接写だけでこの程度に拡大出来ます。
画像は横4096ピクセルを1280ピクセルにデータを縮小しています。
 これも接写で拡大したのですが、撮影がサンプルの端面でしたので、カメラを手持ちにしたので、スケールを置く事が出来ませんでした。私は化石には全く疎いので、これが何の化石なのかは判りません。
 実体顕微鏡の片方のレンズにコンパクトカメラを固定しての撮影で視野直径はΦ5.5mmです。
私のパソコンの第二画面は少しデカいので約50倍の拡大で観察出来ます。
これは多分海生のコケムシの化石でしょう。
 砂岩の大部分が石灰岩の砂と微小礫で構成されています。真ん中の砂には斜めの筋がありますがこれは#400での研磨の筋がのこってしまったのでしょう。非常に柔らかいものが大部分で、しかも風化部分を頂戴したので、ポロポロと崩れてしまいます。勿論、南伊豆の白浜層群の地層ですから火山性の成分も当然含まれて居ます。それは次回に。
洗浄に超音波を使わずに歯ブラシの軟らかいのでさっと飛ばしただけなので研磨の際のカスが残っていましたね。

2015年7月2日木曜日

岩槻の街中の伊豆石 (1) 含貝殻細片石灰質砂岩の礎石

 1週間程、更新をお休みしていましたが、今週も火山への旅も有りお休みが続くのもどうかと思い今日からさいたま市岩槻区の街中で見掛けた「伊豆石」の話を連載する事にしました。10日間ほどこの街に通い、本来は千葉の房州石を探しに行ったのですが、房州石は全く探し出せず、ほぼ同じような伊豆石が様々な施設の礎石に使われている状況を確認しました。
 伊豆の石材が多いのは、恐らくこの岩槻の宿の成立時期が、まだ房州石が関東近郊に進出し始める前だった為に、入り込む余地が無かったのだろうと考えています。
更に、興味深いのは、その伊豆石も、近郊では岩相が異なる例えば青石等もあるのですが、殆どが此処に示すように斜交葉理がハッキリと観察され、しかも二枚貝やフジツボの貝殻細片や石灰藻等の生物遺骸が沢山含まれて居る事でした。
 個人の住居も有り、最近は観察者のマナーが問われる事件も多い様なので、この様なブログで個人の住宅は少し特定出来ない様に配慮していく積りですが地元の方々には判ってしまう可能性は高いですね。でも、一つの街に、これだけ特定の岩相の伊豆石が存在する事は「事件」の様なものなので敢えてご紹介したいと考えます。
 最初の画像は、明治時代の中頃には既に「和洋酒類」を販売していたお店の主屋部分の礎石に使われている下田市須崎から白浜付近に分布する「石灰質砂岩」の斜交葉理が鮮やかな画像です。この石材が街中に数多く目立たぬように使われています。

石材の長手寸法は65~80cm程度が多いですね。