2016年6月11日土曜日

諏訪之瀬島の火映が強く

別に今日始まった事では無いが、諏訪之瀬島の火映が強い。火映は火口内の条件と共にその上の雲の状況で見え方が大きく異なるので観方に注意が必要だが今日も強い










2016年6月10日金曜日

No.122271-03 浦安市堀江 清龍神社本殿礎石小松石の剥離風化

本殿の礎石には真鶴半島の海岸部で採掘されていた新小松石が使われている。この石材は他の箱根熔岩に比べると凝灰岩に近い強度しかないので比較的早くから採掘されていたが、強度が小さいと言うのは、密度に由来し、更に隙間があって吸水性が高いので、風化の際に剥離し易い。
拝殿の礎石(基壇)を背後から観察すると


やはり風化していますね。間知石をたいへん滑らかに整形している。これは江戸城などの場合は数も多いのでとても出来ない分部も有るのだが、やはり硬さが異なるのです。但し、細かく石材を観ていると圧密構造が観察される芦野石の石材も含まれています。

この画面に含まれた石垣の間知石にも表面が剥がれた間知石が有ります。

剥がれたようには見えないかもしれませんが上の画像に含まれた表面が剥離した石材の画像の接写画像をご覧頂きましょう。剥離はこの様にたいへん薄く目立たない事も有ります。

剥がれた後は、かなり滑らかな表面となっています。

2016年6月9日木曜日

No.122271-03 浦安市堀江 清龍神社外構の房州石

神社の裏手のごく一部に房州石らしい石材を用いた石塀が残っている。
参考用に御紹介する。設置環境はかなり悪い様で、この撮影日には晴天であったにも関わらず結構湿気っていた。



















この画像だけ見ると房州石は弱いと言うイメージが定着すると困るので、箱根熔岩の小松石だって風化の影響で量は少ないけれど風化で剥がれる事を次回の画像で見て頂こう。

2016年6月8日水曜日

No.122271-03 浦安市堀江 清龍(せいりゅう)神社拝殿の伊豆石

境内の灯籠を御案内したので、拝殿の礎石に用いられている伊豆石を御紹介しておきたい。
殆どの参詣者がそんな場所までは観ないだろうと思うのだが、拝殿礎石には鮮やかな緑色凝灰岩と石灰質凝灰質砂礫岩が重ねて用いられている。此処には石灰質凝灰質砂岩が用いれれる事が多く、緑色凝灰岩と併用する様な例は今の処他に観た事が無い。
礎石はまず拝殿回りの回廊の下にあるのです。これは参道を入って来て左側側面です。

金属製の回廊を支える支柱の間を覗くとこんな風景が見えます。

その日の天候により淡い緑に観えたりやや濃い目の青に見えたりかなり色合いは変化します。

緑~淡い青に見える部分は、昔は湯ヶ島層群と呼ばれ、現在は白浜層群の中で、熱水変質を受けた凝灰岩として分類されている地層から切り出されたものですが、残念ながら具体的な石切場は今の処確定するだけの情報が集積されていません。
緑~淡い青色の下の、落ち葉との間に見える部分が、下田付近の石灰質凝灰質砂岩(砂礫岩)の分部です。
この神社には2012年に参詣しているが、その時期には房州石の調査だけをやっていてそれ以外の石材は調査対象では無かったし、殆どが「石蔵」を探していた為に、取り敢えず撮影はしたのですが、下部に砂岩質の石材が使われて居た事までは気付いていませんでした。房総半島の高宕石と、伊豆半島のこの石材との違いがやっと判るようになったので、今回は直ぐに気付きました。下の画像ならば、その砂岩の部分が確認出来るでしょう。

2012年10月の晴れた日に撮影した同じ位置の画像がありましたので御紹介しておきます。やはり色合いが違いますね。

正面側からは礎石を観察出来る位置が限られていますが、下記はその一例です。

真ん中の部分を少し拡大して御案内しましょう。細かな岩相の比較も大切です。


房州石の分部は次回にしましょう。

2016年6月7日火曜日

万成石の灯籠

お江戸の三社祭は有名ですが、千葉県浦安市の三社祭りもかなり広い地域で御神輿の渡御が行われるのだそうで、先日、たまたまこの三社祭の行われる「清瀧(せいりゅう「)神社、豊受神社、稲荷神社に用いられている石材の観察に行きました際に、その祭りの規模の大きさに驚きました。
清瀧神社本殿は安政二年(1855)年の再建で、礎石に伊豆産の緑色凝灰岩と石灰質凝灰質礫岩が用いられているのですが、境内の灯籠に淡い桜色の灯籠がありました。万成石と言う確証はありませんが、類例の一つとしてご紹介しておきます。大正十一年十月吉日の記銘があります。
勿論、一対です。別に天保十三年(1842)の常夜灯は石質を確認出来ませんでした。
岩肌はかなり綺麗です。
結晶の粒度を観る為にスケール入りの画像も置きます。

神社は、前日の四日が御神輿の合同渡御。17日夕刻から宵宮。19日までのお祭りの様です。
私は九州の出身で、祭りの様式が全く異なり、三社祭については全く知識が無く残念。
こんな雰囲気の中で、たまたま、当該の三社を巡ってしまいました。

2016年6月6日月曜日

No.122254-09:君津市東粟倉_愛宕神社階段石

愛宕神社の階段に使われた石材は「高宕石」と言うが、基本的には黒滝層の一部が堆積環境の影響を受け、生物遺骸などの石灰質を身に纏い堅い石材となったものであり、広義の「房州石」として扱う。200年ほど前から、昭和30年頃まで採掘されて居た事が判明しており、石切場の規模も大きい。国土地理院の電子国土Webで直接地図表示が行える、座標系は 35.249702,140.002964  である。
確か階段の段数は200段を越える。石材の表面には時折このように貝砂が顔を出す。
この画像の横幅は30mm
拝殿の前に置かれた石材は横から見ると全て背面を除去して軽量化に務めている。ざっと面積比を計算すると、ほぼ半分の重量になる。背中に背負って山を下り、このような階段を組むには避けては通れない作業である。文献によれば、石材一本が25銭の時代に、木更津の港までの運賃が38銭だとある。良い石材も、この運賃では勝負にならない。しかし、木更津・君津・富津市内には神社だけでも20か所以上納められているから素晴らしい。
神社の近い場所では、石段の幅も狭い。

2016年6月5日日曜日

勝手に「江戸川幹線」記念日

実に久し振りに「地下鉄東西線」の葛西駅に降りた。
多分、40年振りくらいでは無かろうか?当時、私は初めてシールド工事の現場に顔を出し始めていた。最初の仕事がえ「江戸川幹線」下水道の確か「その1工事」だったと思う。シールド直径が4680mmの手掘り圧気シールドと言う奴だ。

画像は、そのシールドが到達立坑に到着した直後の坑内の風景である。この方の名前は失念したが、北海道のご出身である。手掘りシールドはご覧の通り、シールド前面には閉塞用の押え板があるだけでシールドとと言うと思い浮かべるゆっくり回転する「カッターフェイス」が無い。
この付近の地盤は柔らかい「羊羹」の様な雰囲気だから、円の直径が4680mmも有るのに、実は人物がいるステージのその下に開いている四角い穴(確か60~100cm程度の)が開いているだけで、人物の背後の穴はふさがったままで、シールド内部のジャッキで押すと、下の四角い穴から、土砂が羊羹の様に四角い断面で出て来る。スコップを持ったおじさんが、これをちょこちょこと切ながらベルトコンベアに積まれて、背後の「ズリトロ」に掘削土砂が積まれていくのである。
この手のシールドはこの時だけで、その後は土圧シールドか泥水シールドと20年くらいは現役で付き合って来た。チョット懐かしいので、今日は勝手に「江戸川幹線」記念日にしてしまった。
正確な時期を知りたかったけれど、残念ながら手元には全く資料が残っていなかった。