2012年9月1日土曜日

房州石・売津石 (11) 土台石

売津の神田橋を右岸側に渡った直ぐ傍のお宅の礎石です。見える部分では下に比較一般的な房州石を二段に積み、この貝殻片が沢山入った石材を一段積みし、その上に木造家屋が建てられています。貝殻が沢山入っている石材はごく少量ですが方々で見掛けます。此処と同じように一段だけ使っている例が在ります。この石材の産地も今の処「謎」なのです。

山寺⇒高畠⇒赤湯 凝灰岩の旅

写真が鮮明さを欠くのは電車の車窓からの撮影なのでお許し頂きたい。往路は端っこをかすめただけだが帰路はなんとか此処まで漕ぎ付く事が出来ました。奥羽本線羽前中山からやや山形寄りの上山バイパス沿いの最上川水系前川に掛かる石橋。多分、此処だと思うのだが、この沿線にはもう一つ中川の高畠寄りにも列車から見える石橋が在る。(勿論、これもなんとか撮影したが)
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.html?longitude=140.23684798041&latitude=38.130005561402
これらの石橋については下記を参照して下さい。(画像の石橋については触れられていないけれど)土木学会の推奨土木産業遺産の頁です。
前日には、夕方ぎりぎりに東北歴史博物館で「今野家住宅」の復元で、野蒜石を観察出来ました。
早朝から、山寺の立石寺周辺の石材や、石蔵、河川敷の凝灰岩露頭寺院内の石材の状況
高畠では、町の郷土資料館を見学し、H14年の「たかはた・石の文化をさぐる」展示の素晴らしい展示資料を手に入れ、瓜割の採石場跡地を巡り、(有)こやな川さんの資材置き場を覗き、
赤湯では、烏帽子八幡宮の巨大な凝灰岩の鳥居や石橋を見学して来ました。余りの暑さにチョット温泉で汗を流しました。何れ折りを見て、画像をご案内したいと思って居ます。



2012年8月29日水曜日

房州石・売津石 (10)


表面付近の風化を嫌ったのか?それとも次第に掘下げて来て、搬出の利便を考えて輸送用として掘削したのか?不明ですが。採石場跡地にはこの様なトンネルで外に繋がっているものも有ります。天井部分は割れ目でもあったのか?掘削痕はありませんが、側面阿かなり厚い縦の掘削痕が残っています。
採石場跡地の画像は此処までとして、岩石の表面を幾つかご覧頂こうと考えて居ます。また、8月に瀧の谷丁場の採掘場跡地他も見学出来ましたので、この様子も引き続きご案内します。
尚、29-31日は宮城~山形に参りますのでブログの更新は出来ません。

2012年8月28日火曜日

房州石・売津石 (9) 

採石場跡は山中に数多くあり、この様に表層近くの亀裂の在る部分を除いて掘り進んだ様子が良く判る場所もあります。

2012年8月27日月曜日

房州石・売津 (8) 居作越丁場

南へ下る尾根筋にある「居作越」丁場跡です。やや古い時代のものと、この部分は稍新しい雰囲気とが背中合わせで混在しています。尾根はもう少し高かった様で、この採石跡の上にも石積みが見えます。この日の採石場跡地探訪は此処が終点です。
一休みしながら美味しいコーヒーまで御馳走になってしまいました。
売津古道は此処から更に南に下ります。尾根筋の古道は意外とはっきりしています。
我々はここから来た時と少しルートを変えて、堰に近い採石場跡地を見た跡、谷筋の西側を房州石を用いた灌漑水路沿いに北に上り、弾薬庫が在った採石場を観てこの日の日のコースを終えます。

2012年8月26日日曜日

房州石・売津石 (7) 車力道

落ち葉をもう少し片付けてから撮影すれば良かったのですが、山腹の露岩を削り込んで造られた車力道が、売津にも残っています。車力も1台だけ実際に使われていたものが保存されています。

昨日、「売津古道を復活させる会」の方々のお世話になり、瀧の谷(やつ)丁場を見学させて頂きました。大きなトンネルの先に少年野球が出来る広さの丁場が広がり、四角いトンネルの側面には細かな掘削のノミやツルハシの痕跡がくっきりと残っています。
相川の採掘跡や海良の池田酒造さんの房州石を使った倉庫を見学し、海岸に出ると富士山が対岸に美しい稜線を見せて居ました。
帰途に、浜金谷に立ち寄り駅の跨線橋からくっきりと見える鋸山の姿を望遠で撮影する事も出来ました。
来週は、山形の山寺・赤湯・高畠を歩けるかもしれません。
来月初めには、下田付近の海底火山地形巡検に参加の予定です。まだまだこのブログでお伝えする画像の種は尽きません。宜しく御付き合い下さい。