2011年4月29日金曜日

房州石・古墳(N-1) 不動岩:富津磯石の故郷へ

不動岩から鋸山はもう近い。採石場の跡が直ぐ近くの様に見える。山の上の房州石とこの附近の海岸の岩とではやはり堆積構造が全く異なる。不動岩の名の由来が此処だと思うが此処では地層が殆ど垂直に立っている。此処でご案内する地層と、後日紹介を予定している鋸山付近の海岸の地層をゆっくりとご覧頂き地層の傾きを観て頂きたい。鋸山の東西の軸線を境に舟型に地層の凹みが見られる。一体この附近の地下に何が起こったのか?単なる褶曲の偶然なのか?しかもその上には大きなスランプ型の堆積層が積み重なって美しい房州石の産地となってしまったのだから、地層は興味深い。この近くには「千畑礫岩層」と言う緑色岩を多く含む礫岩層が有名なのだが、此処を歩いた時は強風で海岸を歩ける状態では無かったので諦めた。この附近を歩く時は「千葉の自然をたずねて」を手にしていると興味深いと思う。画像の中の地層が面白いでしょ!フェンスが有って駐車には不便だけれど、歩きなら ゆっくり弁当を広げる余裕も有る良い場所です。
30日から5月2日まで、超特急で山梨と神奈川の「枕状溶岩」の露頭を歩こうと考えて居るので、3日間、このブログの更新をお休みします。3月の中下旬に予定していた露頭調査をやっと実現出来そう。山梨で確認しようとしている露頭は殆ど文献が無い場所が2箇所。離れているから時間が掛かりそう。神奈川の方はかなり有名で沢山のブログやHPで取り上げられている場所。千葉からは日帰りでは行き難い場所なので今回立ち寄る事にした。他にも見て来たい露頭が多いが天候が心配。

2011年4月28日木曜日

房州石・古墳(M-6) 島戸倉:富津磯石の故郷へ

さてこの地域の最後は少し山側を見て頂きましょう。と言っても丸っきりの山ではありませんが、地層が比較的平らに見える部分です。地層はこの様に平らに見えても実はこの画像を写した側から崖の面に向っては大きく傾斜しています。偶々、見えた崖の面が平らに見えただけの話なのです。明日からはいよいよ鋸山に近付きます。鋸山の尾根筋の北側の海岸と南側の海岸の地層を別々に観て頂くとこの附近の地層の面白さがお判り頂けると思います。そして、この「富津磯石」と呼ぶ泥岩砂岩の互層と、建材として長く使われてきた「房州石」が地層の構造的にも全く別物で在る事が見えて来る筈です。尚、鋸山周辺の地層を巡った後に、多摩川を挟む世田谷と川崎の2つの古墳を歩いた時の事をご案内します。

2011年4月27日水曜日

房州石・古墳(M-5) 島戸倉:富津磯石の故郷へ

国道から真下の海岸線を覗くとこの様に良さそうな「石材」が大量に散在している。

2011年4月26日火曜日

房州石・古墳(M-4) 島戸倉:富津磯石の故郷へ

さてもう余り説明などと言う事は辞めて地層と泥岩・砂岩の様子を見て頂く事にしましょう。堆積した地層は何れも大きく傾いています。

2011年4月25日月曜日

房州石・古墳(M-3) 島戸倉:富津磯石の故郷へ

最初の画像の岬先端附近を望遠レンズでチェックしてみました。先端近くには崖から崩れたと見られるブロックが沢山散乱しています。ウミウらしき姿も見えます。右手に見えるのは電柱くらいの丸太です。この附近から砂浜が右手に広がっていますから舟を寄せて積み込むか?船の間に網を張り泥岩・砂岩の浮力を利用して舟の負担を軽減すればかなりの量が運べるでしょう。少し泥岩・砂岩の厚みがありすぎるかもしれませんが積み方次第ですね。

2011年4月24日日曜日

房州石・古墳(M-2) 島戸倉:富津磯石の故郷へ

前の画像は立ち寄り湯の海岸からトンネルをひとつくぐった場所だが、もうひとつ南に進むとこの様に小さな岬が重なっている。勿論海岸線には古墳に使えそうな泥岩・砂岩が沢山ある。やや黒く見えるのは岩そのものの色ではない事は崖の色から観て判るので問題ない。