2020年12月2日水曜日

成東石の石碑

 この日は九十九里浜に近い匝瑳市と旭市の境目付近を走って、古建築での飯岡石と銚子砂岩の利用状況を調べていた。当初予定の10ヵ所中9か所と、走っている最中に庚申塚を見付けて立ち寄ったりまずまずのデータを得る事が出来た。最後に立ち寄った匝瑳市の「八幡大神」で、社殿の背後に「成東石」を使った塚が建立されていた。「成東石」は不定形の石材で、これまでは庭石か、石碑の礎石としての用途しか見た事が無かったけれど、なる程、ややおどろおどろしさが出て面白いと思った次第。

この地図以外の場所も回ったが、取敢えずは緑で囲んだ場所が今日走り回った場所。
山武市成東に「波切不動院」が在る。この寺院の境内にこの石材の典型的露頭が在る。崖の上に本殿が鎮座
境内の露頭の一つ。石灰質で細砂が固められたものなので、海水が浸透し易かった部分が固まり、流れにくかった部分は固結しなかったので地上に出てしまうと流れ去ってこの様に不定形の露頭を示す次第。
匝瑳市八日市場の八幡大神境内。本殿の裏手の小高い場所に石碑が据えられている。これは「成東石」
凸凹で不定形。20cmのスケールを置いているがこれは背面
正面。スケールは同様に 20 cm
前の画像の部分をもう少し拡大した。時々貝殻化石等も掴まっているが・・・
側面。一枚岩とはいかない。
尚、石碑の火炎型を形成する為に、足元付近等は加工しているので完全に自然石の形状そのままとはいかない。

美しく整った神社基壇

 最近は神社の改修時に基壇にコンクリートか花崗岩が使われる様になってしまって、何となく味気ない気がする。

先日、松戸市内の未だ訪ねていなかった神社をピックアップして六ケ所程を歩いたが、最初の神社で黴も地衣類も殆ど無い美しく整備された神社基壇を拝見したのでご紹介。基壇だけで四種類の伊豆半島産出の凝灰岩が使われている。この日は幸先の良いスタートとなった。

場所は武蔵野線と北総鉄道の交差する「東松戸」から直ぐの高台。松戸からのバス便も頻繁にはしっているので、次のポイントへの移動はバス利用。GPSをリュックに入れていると座標が正しく計測されないと云う例。台地の上の赤丸が「春日神社」。緑の丸が古刹の門前でこの付近では古い部類に属する庚申塔が安置されている場所。造立は「嘉永五(1852)」年の造立。

基壇の角の部分の構成。亀腹の安山岩を除くとこの中に前述の通り四種類の伊豆軟石が用いられている。基壇の最上部の「笠石」には、比較的風化で茶褐色を呈す火山岩塊の集合体で、その隙間がはぎっしりと細粒の緑色の凝灰質で埋められている石材。ここでは珍しく粘土化したものと、風化の程度が浅く灰色のものが混在している。基壇本体は、角礫を含む緑色凝灰岩で、凝灰岩の中ではやや硬い部類に属すもの。細かい加工向きでは無いので、切石か間知石の形で擁壁に使われている事が多い。四隅の上の方は、砂質~やや粗粒の混じる事が有る緑色凝灰岩。これは加工性が良いので石仏や狛犬等にもよく使われる。四隅の下の方は、石灰質の砂岩。須崎半島付近を中心に分布していて、石灰質で「固結」しているので比較的水に強い石材。
笠石の拡大図:真ん中あたりの茶色は既に粘土化している。左右にはまだ灰色の残る比較的風化していない岩塊が見える。普段は気泡が観察される茶褐色の火山岩塊ばかりなので、
余り風化していない火山岩塊は珍しい。
基壇本体の角礫を含む緑色凝灰岩。この岩石も、時に妙に基質が風化して粘土化しているものが有るが、此処のは比較的硬そうだ。少し角礫の状態を見てみよう。
前の画像の一部を拡大したもの。結構、いろんな岩片が混ざっている。小豆色の岩片にはアミグデール:杏仁状構造が観察される事が多いのだが、ここでは長石の斑晶が多い。
角礫が目立つ部分の拡大図。細かなサイズも結構多い。
左手の上下二段の石材は、淡い緑~青色が美しい石材。細粒のものほど緻密で長持ちする鶏頭に在る。加工性が良いので狛犬や石塔・石宮等に使われる事が多い。
淡褐色の岩石は、石灰質の生物遺骸が堆積して石灰質がバインダーとなっている石材。下田市内の須崎半島周辺から産出。
この日は「クサギ」の実の色までもが美しく輝いている様だった。今年は既に画像の枚数が間も無く 15,000枚に達する。一枚当たりのデータ量は 6MB 程度だから 90 GB に達した。
後一か月で何処まで伸びるかな?寒くなるからネ~!