2021年2月26日金曜日

凝灰岩質石材の旅:鋸南町竜島・鯨塚:No.124630-17

 所在地:国土地理院地図座標:35.106966,139.832793

JR内房線勝山駅から徒歩:1.2 km

「堤ヶ谷」と云う場所で、石材が採掘されていたらしいと云う情報を得て、時々、この勝山付近を歩いていたのだが、一向に手掛かりが無い。それでもメランジェは有るし、面白い地質がふんだんにあるので諦めずに少しづつ場所を替えながら歩いていた時に、房総の鯨漁と言えば外房の和田浦辺りの専門かと思っていたら、この勝山町にも鯨漁の伝統が有って鯨塚が在ると云うので、「塚」イコール「石造物」の発想から立ち寄ってみた。幸いな事に、小さな丘陵の麓を切り込んで神社が祀られているので、これは地質条件が良さそうだと階段を上がってみた。中には大小の石祠があり、これがなんと探していた「堤ヶ谷石」で作られたと案内板に書かれて居るではありませんか!この日は、午後から金谷で石材のシンポジュームが開催されるので御前中で切り上げたのだが、偶然、堤ヶ谷石の事を詳しくご存知の石工さんにお会いする事が出来た。このコロナ禍で再びお会いする機会が無いままに時間が過ぎているが、もう一度お会いして更に詳しいお話を伺いたいと思っている今日この頃です。

鯨塚の階段を上がると大小の石祠が崖際に多数祀られていた
案内板の記述。この町を歩いていて初めて出会った『「堤ヶ谷石」(地元の石)』の記述。ここからは急展開で、街中の各地に在るこの石材の石造物が出て来始める!
崖に彫りこんだ社殿の前の燈籠と狛犬はも或いはこの石材かと思ったが、ここは「残念ながら」伊豆の緑色凝灰岩だった。
社殿の中にやや大きな石祠が在ったので観察すると、風雨の影響を受けずにいたのでかなり細粒でしっかりした石材だと判るものがある。やや凝灰質と云うよりは泥質の様な雰囲気である。
中に積んだ石材は間違いなく凝灰岩なのでホット一息。しかし、「堤ヶ谷」の名の付く溜池付近には、石切りの跡は全く無いから、その裏山に当たるこの付近でも少しは採掘されたのだろうかと期待を抱く事にした。
石祠は沢山有るのに造立の時期は刻まれていないのが残念。
地山の素の状態を写したのだが、足場が悪くてややピンボケになったのが残念。
どうやら途中で出会ったお地蔵様も、この堤ヶ谷石だと判って来た。と云う事は、加知山神社の脇に有った石祠も鯨塚で、その石材も、加知山神社の道路沿いの石塁も「堤ヶ谷石」と思えて来た。一挙に広がって来たぞ!何かもう少し強い証拠が出て来ないかな?
小さな六地蔵もこの石材!恐らくこの近くに在ったお稲荷さんの狐もそうらしい。トントン拍子と云うのはこんなことをいうのだろう!
地図の赤丸が「鯨塚」、安房勝山駅から青丸で示した「加知山神社」、「お地蔵様」、「稲荷神社」を経由しても約 1.2 km。緑の丸の街中のものは大正時代に建築された製氷工場で房州石を用いている。海岸線の二か所は、メランジェ地質が観察出来る場所。遠いが南側の緑の丸の方が面白い、西ヶ崎そばの緑丸付近には、新小松石の石垣があり、タフォニー風化が面白い。

2021年2月23日火曜日

凝灰岩質石材の旅:鋸南町吉浜・妙本寺歴代住職墓地:No.124630-22B

 所在地:国土地理院地図座標:35.127414,139.838989

JR内房線保田駅から徒歩:2.1 km ;バスは有るけど本数が少ない(道の駅下車)

さて、「ウニ」化石つながりで、印西市から南房総の鋸南町に飛びます。鋸南町は文字通り「鋸山」の南側の街です。ここに妙本寺さんはかなりの古刹ですが、歴代住職の墓石に妙に「ウニ化石」を観察される石材が使われています。正直な話、石材の産出地は不詳。これまで一千ヶ所を越えて石材を観察して来ましたが、これに似た化石が多産する石材は勝浦市で古い燈籠で観察例が在るだけです。産出地は不詳ですが、勝浦の例は風化が進み、崩れた部分の色から緑色凝灰岩だと判っています。この妙本寺の墓石の例では、風化で崩れた部分が無いのではっきりしませんが、どうやら同質らしい「香炉」と思われる石造物の表面色から、これも緑色凝灰岩だと推定しているので造立年代も勘案して伊豆の石材だろうと想定しています。残念ながら伊豆で同色の石材を観察していますが、化石には気付いていないのです。房総半島にもウニ化石が多産する国本層等がありますが、此処は固結していないので、墓石に使えるほど硬くはありません。御一人、この方にお聞きすればご存知かもしれないと思う石工さんが居られるのですが、このコロナ禍でお会いするのを控えています。まさかこんなに長引くとは・・・

墓石と聞くとお嫌いな方も多いと思うので墓石の画像は一枚だけにします。歴代住職の墓地で両側に並んでいますが、比較的奥の方の、どちらかと云うと右手の方の墓石に化石は多く観察されます。取敢えず、やや大きめの化石の部分を抜粋して画像を並べてみましたので、何方か、ウニのどんな種類の化石なのか?或いは可能性のある地層や産地についてご教示を頂ければ幸いです。社寺の歴代住職殿の墓石は、何処もと言ってよいと思いますが、時々、改修をされるのですが、改修の時期を刻まれない事が多く時期の特定に困る事が多いものです。恐らく、これらの造立時期は明治時代だと思われます。不思議なのは、全部をチェックした訳ではありませんが、歴代住職殿のそれもかなり重要人物以外に一般墓地には同一石材の使用例が無い事です。



当初は化石が現れていなかったのに、岩の層が薄かったので風化で表面がやられて剥がれたのだと思います
墓石の一部を拡大しています。凝灰岩には間違いない様です。但し、サンプルは絶対に無いので、顕微鏡で確認する訳にはいきません
階段の途中に壊れた香炉の様なものが伏せて置かれていますが、多分これが同じ石材で緑色凝灰岩(砂質)の緑色が退色して風化色が出ているものだと思います。
その香炉の破断面です
勿論、この香炉の表面にも、断面ではありませんが、石灰質の化石が観察されます。
これは「ウニ」ではないかもしれませんが小さな化石の石灰質が溶け出てしまった跡だと思います。私は化石についての知識はほぼ無いので・・・・です。
保田漁港には「番屋」と云う魚メインのお食事処もあります。この地図のもう少し北側です。「道の駅きょなん」には、菱川師宣記念館があります。町営です。その記念館の前に小さな鐘楼がありますが、その基壇は房州石です。房州石の表面は「こぶだし」と云う技法で凸に加工されていますが、この様な加工例は珍しいので時間が有れば見て下さい。私より二歳年上の石工さんの手仕事です。

2021年2月22日月曜日

凝灰岩質石材の旅:印西市木下:木下貝層:No.122319-08

 所在地:国土地理院地図座標:35.839832,140.154825

JR成田線木下駅から徒歩:750 km 天然記念物露頭迄: 1.2 km

凝灰岩では無いけれど、千葉県産石材として忘れてはならないものに「木下貝層」が有る。千葉県だけではなく、貝化石から溶け出した石灰質が固結して貝化石を固めたもので、利根川左岸の方にも分布しているらしいのだが残念ながら未確認。木下地区では、切石にして石垣の積石に使われるか、灯篭に加工されて庭に置かれているものが数多く現存する。露頭もあるのだが、余り保存状態は良く無い。

この様な化石に方解石が美しく成長したものの産地は、場所を明かすと直ぐに化石屋さんが採掘し尽くして売りに出されるので控えるが、例外的にこの様な美しい方解石を生じたウニ化石が産出する。この化石は千葉県立中央博物館に収蔵されている。
方解石の結晶に見えるものは、ウニの化石内部のこの様な形状に沿って成長したものらしい。これは木下貝層の未固結露頭で特にこの種のウニ化石の多い場所で撮影したもの。
石材利用例:表記の座標の場所に在る石垣の一部。
9枚目にご紹介するやや広い範囲の地図の西端にある露頭の状態。この地域では石材として採掘していたと聞くが、残念ながら現状では採掘跡は見当たらない。
この地区で最も大きな三脚の燈籠は高さが 2 m 以上は有る。吉岡まちかど蔵を訪ねて頂いて、その裏手の水神社に行く途中にある。
国の天然記念物に指定されている露頭の状況。これは2020年に撮影している。この場所は木下万葉公園の一角であまり広くないが駐車場も有る。万葉公園の中のもう一ヵ所の
露頭は判り難いが丘の西側に在り駐車場も近いが、こちらの方が状態は少しは良いかもしれない。遊歩道から登れる筈だ。
尚、丘の上は広い公園があり駐車場も広いので、段丘上から利根川の眺めを愛でる事も出来る。埋蔵文化財センターも在るが、この時期は閉鎖されているだろう。
燈籠の棹の部分:この手の燈籠は珍しいのだが、感性が育っていない私には「風情」を感じるよりもなんとも不気味としか感じないので残念。
これも別の燈籠の中台部分。この位密に詰まっているとまだ見過ごせるが、どうにも化石にはあまり興味が惹かれないので・・・
赤丸は石積みや灯篭のある場所。白抜き赤丸は露頭だが、未固結の場所が大半。尚、市役所に行けば千葉県立中央博物館職員が関わり、木下市教育委員会編の「木下貝層」と云う小冊子が販売されている。
木下付近の分布図。

2021年2月21日日曜日

凝灰岩質石材の旅:印西市武西・武西百庚申:No.122319-07

 所在地:国土地理院地図座標:35.793232,140.111331

印旛日本医大駅から徒歩:1.2 km 駐車場有

印西市教育委員会が設置した指定文化財の説明には「武西の様に建立以来の原型をとどめている例は希少で貴重な文化財です」と書かれているが、彼らはこの文化財がこれまで文久三(1863)年以来百六十年余りこの姿を留める事が出来た理由を知らず、今後、この百庚申が風化により崩壊していくだろう事を予測だにしていない。印西市には「石造文化財」について造詣が深い方々は居られるかもしれないが、凝灰岩質石材の風化について知識が乏しい様だ。

この場所の百庚申は、ほぼ全てが文字庚申塔であり、十体に一体程度の割合で、安山岩質石材に浮き彫りにされたものが並べられている。この百庚申は、ニュータウンが造成され、周辺が公園として整備されるまでは松林に守られていたのだが、「整備事業」により、直接風雨に曝されてしまう環境におかれてしまった。石材は、伊豆半島南部の板戸辺りから須崎半島恵比須島付近から南端の石廊崎辺りで採掘されたものと思われる。様々な岩相が見られるが、基本的には発泡しやや風化した火山岩塊の隙間を細粒の緑色凝灰質が埋めている種類の石材で、仏像などの立体的な造形には向かず、殆どが礎石類として用いられている。

百庚申はこの様に土手の上に並んでいる。「整備事業」で洗浄されたらしく、石材の表面観察には程好い条件。周囲にフェンスがあり、教育委員会に依頼すれば少し待たされるが開錠して頂ける。予め、予約しておいた方が良い。
教育委員会の設置した説明。昔はこの写真の様に、松か杉等の林の中に並んでいた様だ
石材を見るとややくすんだ痘痕顔の石材。水色の様な緑色凝灰質が筋目に入っている様に見えて、それなりに美しい。
南西側から北東側を望んだ画像。白線で囲んだ庚申塔の東武に欠けが生じているのが判る。この石材の特徴が現れた風化形態と言える
正面からの姿。淘汰されていない礫岩の欠けや剥離が観察される
頭部の欠けの部分の拡大図。決して何かがぶつかって割れたのでは無い。割れ目も観察されるが、幾つかの礫の集合体だと理解されると思うが
石材の褐色系の岩塊部分と細粒に見える水色(緑色凝灰岩の退色部)の接触部を近くに寄って観察した画像。水色部分にも細かな礫が混じっているし、褐色部と密着しているとは思えない。
同質の岩塊を厚さ12 mm 程度の板状に切断し、平行な面を研磨したものを撮影したもの。細粒と見えた部分にも様々な形状・サイズの岩塊が含まれている事が判る。画面幅:50 mm
他にも数種類の石材が用いられているがこれも伊豆の緑色凝灰岩。岩石組織については後日。
燈籠の火袋に用いられた石材も伊豆の緑色凝灰岩。前の画像の石材の粗粒部
所在地は、北総鉄道千葉ニュータウン中央駅から約1.2 km 。赤丸の西側に駐車場も用意されている