2012年4月14日土曜日

千葉の大地で(4) 万田野層

千葉県内に分布する砂層の大部分は前の画像でも示したように液状化の影響を受け易い粒子の細かい細砂に属する均一な砂から構成されています。でも時々、泥岩や軽石のボールの偽礫を含んだ層や、細かな貝殻の破片と小さな軽石を大量に含む巨大火山噴火を思わせる砂層もあります。その中でも特に特異な構成を示すのがこの万田野層の円礫を大量に含む層です。泥岩の偽礫も含まれて居る部分だけでも実は層厚は2mを越えます。そしてとくにその偽礫の含まれる層の下部に大型の礫を含む層が分布しています。

先日、ある砂取場に入場を許され万田野層の砂層を観察する機会がありました。この望遠レンズを使った画像は偶々斜交葉理の二つの面が画面に入ってくれました。美しい斜交葉理の構造を考える上で興味深いのでご案内します。

2012年4月13日金曜日

岩井袋 海岸の風景

海岸は砂泥互層で砂の部分はこの様に黒いスコリア質です。大部分の地層はかなりの傾斜角ではありますが、きれいに平行な互層を形成していますが、所々にこのようなぐちゃぐちゃに変形した地層が挟まっています。これは幾つか突き出した岬の一番南の海岸です。
興味深いのは、薄い砂質部は波食により抉られている事が多いのに対し、厚い砂層はこの様に泥岩の部分から突き出している事です。画像右奥の海に近い場所に黒い馬蹄形のスコリア質砂層が見えます。ねじれ方が全く異なる事がお判りになると思います。
これはほぼ同じ場所ですが上の画像よりほんの少し西側の露頭です。ぐにゃりとU字形に曲がった黒いスコリア質砂層と、その先に分厚い真っ直ぐなスコリア質砂層が見えます。

2012年4月12日木曜日

岩井袋 石垣の間知石

8月3日訂正追記:房総半島南部の岩井袋の海岸線に沿った道路で見掛けた石垣です。見た時にはこれが小松石だとはとても思えなかったのですが、こおれも新小松石の仲間の様です。
7月29-30日に真鶴と湯ヶ島を歩きました。年内に後2-3回歩く事になりそうですが、小松石にもこれほど柔らかい石材が存在する事が理解出来ました!一段落したら(9月かな!)画像をご案内出来ればと思って居ます。凝灰岩と同じような採掘方法でした。


2012年4月11日水曜日

岩井袋 浅間神社の石垣-2

この画像も神社の石垣のものです。下の画像は別の間知石の一部を拡大してみたもので、少し異なる岩片が含まれて居ます。

2012年4月9日月曜日

岩井袋 浅間神社の石垣

岩井袋の浅間様です。階段横に埋められた銘文によればどうやらH4(1992)年に地元の氏子により石垣が修復されている様です。堅そうな砂岩の上に神社はこの浅間様の尾根一帯が昔の「岩井袋」の建築用石材を採掘した付近ではないかと睨んでいます。この石垣は地元の方にお聞きしても産地は不明でしたが、凝灰質砂岩の様です。下の画像はその中の1枚の間地石を拡大したものです。20年の年月でやや表面が判り難くなっていますが、あと数枚画像がありますのでご案内します。私は始めてみる顔です。場所は下記、当然 富士山の方角を向いています。

2012年4月8日日曜日

大いなる火(上) 写真万葉録・筑豊 2-1

1月以来3ヶ月振りに「写真万葉録・筑豊」の画像をご案内しよう。表題は「大いなる火」その上巻である。引用させて頂いたのは恐らくズリ(ボタ)なのか,石炭なのか?を運ぶトロ(トロッコ)。
本の間に「写真万葉録・筑豊」月報1が挟まれたままになっていたので、これが配本の第一回かと思ったら、第二回でした。「編集室から」の項には「第一回配本の『人間の山』に寄せられた読者の反応は、私たちの予想以上に、大きなものでした。とりわけ地元筑豊の読者から返ってきた熱い反応は、私たちが従来依拠してきた出版もしくは出版流通のありように一考を迫る直截的なものでした。それらはおいおいこの月報で紙面化を図っていきたいと考えます」と書かれています。

岩井袋 海岸の凝灰質砂岩

露頭では中々大きなこの様な黒い石は見つかりませんが、海岸には所々にこの様なスコリア質と言うか凝灰質砂岩の大きな礫が転がっています。奥の石の表面に置いたのはスケール用の10円硬貨です。前の画像の間地石と同じ材質です。大きなスコリアは混じって居ませんが、かなり均質なスコリア質の砂から出来ています。スコリアだけだとなかなか固まり難いし、耐久性が悪いと言うイメージがありますが、何時頃の建設なのか判ると面白いのですが・・・