日光街道の徳次郎にこの地方で産出した日光石(徳次郎石)を蔵や住家に多用している街並みがあります。この日光石を使った景観が素晴らしいと思い日光や塩原方面への小旅行の帰路に時々建物に使用された石材の画像を撮影しています。様々な顔の石材が一体何処で採掘されたのか?不思議なほどに様々なのですが、これは芦野石と同じような圧密・溶結構造の様に見えます。
大谷石の場合は軽石がミソとなって、それはそれで不思議な雰囲気を作り出していますが、勿論その場合もかなり圧密している事は事実なのですが、此処までは薄くない様です。
阿蘇溶結凝灰岩の場合は、もっと高温だったからでしょうか?溶結部には少し隙間が在る場合がみられますが、これはそこまで行っていません。山の露頭なら、少し割って顕微鏡で見てみるのですが、此処では確認も出来ないので、表題には“?”を入れました!
2012年6月30日土曜日
2012年6月29日金曜日
大谷石と芦野石のコラボ 春日部市粕壁
元利根川に近い春日部市粕壁2丁目に在る大谷石の石蔵です。開口部の縁取りに芦野石が使われています。記憶に残る限り初めてこの様なものを観ました。下の画像は窓の部分の芦野石を拡大して撮影したものです。圧密・溶結構造が見えるので芦野石に間違いありません。小松石は溶岩ですから、この様な圧密の構造は見られないですね。
2012年6月28日木曜日
伊豆石 (19) 伊豆石の石蔵
石蔵の画像はこれが最後。大谷石の場合は石材のブロック単位で様々な色合いのものが徳次郎付近では見られるが、此処では一個のブロックの中に様々な色合いが混じっているので興味深い。伊豆は石材の採掘場所が多いので、その顔付もいろいろとみてみたいのだが・・・
2012年6月27日水曜日
伊豆石 (18) 伊豆石の石蔵
望遠レンズで一部分を拡大してみました。室岩洞の石材と少し似ている雰囲気がしませんか?
勿論、あの付近では石材としての採石を今も続けている場所はありません。石蔵は一体どの位の年月を持つのでしょうね。先日、大谷石の鳥居の様な、門の様なものを見掛けてのですが、これは柱に刻まれた年代は1751年でした。片方の柱は鉄のバンドで補強されていましたが、その傍には1815年の鳥居が有りましたから、長持ちするものなのでしょうね。
勿論、あの付近では石材としての採石を今も続けている場所はありません。石蔵は一体どの位の年月を持つのでしょうね。先日、大谷石の鳥居の様な、門の様なものを見掛けてのですが、これは柱に刻まれた年代は1751年でした。片方の柱は鉄のバンドで補強されていましたが、その傍には1815年の鳥居が有りましたから、長持ちするものなのでしょうね。
2012年6月26日火曜日
2012年6月25日月曜日
伊豆石 (16) 石蔵の外壁
修善寺の近くで見掛けた伊豆石の蔵の外壁。伊豆石も実に様々で、この石材がどのような名前で呼ばれていたのか残念ながら判らないのだが、ある知人に無理をお願いしてここまで車で移動し撮影させて頂いた。あと数枚ご案内したい。
2012年6月24日日曜日
伊豆石 (15) 室岩洞の下部地層
前の画像の下を潜って(奥から手前へ)少し歩くと急な海岸に出ます。ここから船積みをしていた様です。対岸に少し平らな場所が有り、ストックを置いていたのかもしれないと想像しています。
この平らな地層の直ぐ下に下部の地層が見えていて、大きく折り返しの褶曲を示しています。急速な凝灰岩の堆積で変形したのでしょうか?
この後は、修善寺付近で見掛けた凝灰岩石材を使用した石蔵の壁の画像をご案内し、序でにと言っては・・・ですが、堂ヶ島の付近の画像を幾つかご紹介して他の地域に移りましょう。
この平らな地層の直ぐ下に下部の地層が見えていて、大きく折り返しの褶曲を示しています。急速な凝灰岩の堆積で変形したのでしょうか?
この後は、修善寺付近で見掛けた凝灰岩石材を使用した石蔵の壁の画像をご案内し、序でにと言っては・・・ですが、堂ヶ島の付近の画像を幾つかご紹介して他の地域に移りましょう。
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