2009年12月19日土曜日

福島県会津下郷塔のへつりカルデラ周辺(6)

これも湖成層に含まれる岩片。これはスケールが無いが岩の上の空洞部分が10~12cm程度だったと記憶する。空洞はタフォニー?か水流で岩片が洗い出されたのか?不明。「塔」の上部には確かなタフォニーが見られるのだが、この層準には内部に岩片がまだ残っているものがあり、洗い出された可能性も否定出来ない。洗い出された場合には穴の入口がもう少し丸みを帯びるような気がするのだが・・・。タフォニーにしては穴の開口面積と奥行きの比率がこんなものだろうか?と言う疑問もある。最もこのような小さな穴が順次連なって大きくなるのかも知れないが、残念ながら知識不足!

2009年12月18日金曜日

福島県会津下郷塔のへつりカルデラ周辺(5)

昨日の画像の中の少し大きな岩片のクローズアップです。右側の四角いものはポケットサイズの拡大鏡。43x54mmの大きさです。下の地層に少しめり込んでいます。又右上側には水流で作られた横方向の縞模様も出来ています。左右が対象形ではないので、この岩片が定置した直後には既に水流が有ったものと思われます。この画面に対して右後方側が上流側に相当します。このほかにも少し大きな岩片が幾つかありますので、順次ご紹介しましょう。この附近の地質に関しては1/50000地質図「宮下地域の地質」に詳しい他、この地質図の主著者である山元孝広氏の幾つかの文献があります。nkysdbでチェックすればpdfでwebから入手出来るものがあります。

2009年12月17日木曜日

福島県会津下郷塔のへつりカルデラ周辺(4)

横に凹んだ部分は高さが大体2m程度大人がゆっくりと通れる。恐らく人の手によって削れたものと思われるが比較的均質な細粒の柔らかい堆積物の層である。但し、どのように混じりこんだのか?結構大きな岩片も含まれていて、特別下の層に突き刺さった様な形跡もない。以前は右岸にかなり長い距離に亘って歩道が作られていた様だが、吊橋よりも下流側は床板が無くなって通行出来ないし、上流側もこの直ぐ先で終わり。大内宿等の人気に支えられて途中に此処を訪れる観光客は多いのだが観光用として観る事の出来る場所は少ない。露頭も結構探すのが大変だし、河床に下れる場所が少ないのが残念。
12/17:訂正追記;画面に大きく見えている岩片の画像が有る事を思い出し点検してみた処、この岩の下の部分はやはり凹んでいるのが判りましたので、明日その画像をUPします。尚、丁度水面の高さから下の部分は水流による侵食を受けて削られていて、右側に張り出した部分の下は綺麗に削られています。画像を観ていて、この下の日陰の部分に沢山の小魚が泳いでいたのを思い出しました。

2009年12月16日水曜日

福島県会津下郷塔のへつりカルデラ周辺(3)

相変わらずスケールの入っていない画像が多くて恐縮ですが、塩原の湖成層の堆積状況とは異なり、ここ「塔のへつり」の湖成層には色々な岩片が含まれて居ます。色白の斜めの岩片は堆積した湖成層が噴火で破壊されてここに着地したものでしょうか?爪の先で傷を付けることが出来るほどに柔らかいものです。ここは観光客が常に多いので観察も容易ではありませんが、様々な岩片が在り、興味深い場所です。

2009年12月15日火曜日

福島県会津下郷塔のへつりカルデラ周辺(2)

これが「塔のへつり」の代表的景観。
塔のへつりカルデラの湖成堆積物が阿賀野川に浸食されて出来上がった景観です。湖成堆積物の水平な堆積層がその硬軟によって差別侵食されてこの様に興味深い風景を作り出しています。
「宮下地域の地質図」によれば、隣接した成岡カルデラ、小野カルデラと連続して、隈戸⇒芦野⇒南倉沢⇒西郷⇒天栄火砕流を1.5Maから1Maに掛けて噴出しています。

2009年12月14日月曜日

福島県会津下郷塔のへつりカルデラ周辺(1)

白河から国道118号を走り、羽鳥湖から先の岩瀬で南下し二岐温泉方面に向かった途中の二俣川沿いで(川はこの奥)に見掛けた露頭。火砕流堆積物かと思ったが、含まれている礫が円磨されているので、どうやら二次堆積物らいし。しかし、この附近でこれだけ円磨されていると言う事は一体どれだけの距離を駆け下ってきたのか?興味深い。
このカルデラはなんとなく惹かれるものが有ってかなりの回数を通っていて、画像の枚数も多いので、恐らく暫く続いてしまいそう。宜しくお付き合い下さい。とは言うものの、閲覧数が少なくて残念。

2009年12月13日日曜日

千葉県鋸山の石切跡 房州石(11)

房州石を切り出した鋸山の姿です。
遠目にも画面を大きく斜めに横切る筋目が見えます。
このブログの最初の10枚の画像が栃木県足利市の足利学校近くで見掛けた立派な「房州石」の画像です。最初はその筋目模様の砂岩の様な石のブロックがどこの産か?全く判らない状態でしたが、「縁」は不思議なもので、その後、千葉県の地質に興味を持ち4年前に千葉県に移り住みました。
足利で見た房州石がこの崖から切り出されたのだと思うと、この崖に現れた筋目の一つ一つがこの様に大きな崖の壮大な姿を刻んで居たのだと実に感動します。この画面の右側が向斜軸になります。大きな平面を石切り場に残してくれた石工の皆さんに感謝です。