2019年1月26日土曜日

秋間石と多胡石を訪ねて:安中市と旧吉井町 (3)

我々の調査は「日没まで行動」が原則なのでこの日の行動はまだ続きます。、北陸新幹線の「安中榛名駅」近くの「御殿山」山頂直下の「赤穂義士四十七士像」が「秋間石」に彫られたものだと情報を得ていました。「榛名山」図幅を見るとこの義士象のある場所の崖に、“Al2”(上位)と“Al1”の境界が通過しています。“Al2”は、秋間層下部の「長岩火山礫凝灰岩部層」、“Al1”は、「森熊火山角礫岩部層」と規定されています。
現地に行くと、下部の“Al1”は、細かな礫層を挟みながらも整然と堆積層が積み重なっていますが、上部の“Al2”は、下部層を削り込んで大きな礫を取り込みながらぐしゃぐしゃと積み重なっています。此処では“Al2”は不整合をなす巨大な地滑り地塊の様です。詰り、少なくとも秋間丘陵は北側では「湯殿山」付近で、南側は御殿山付近で巨大な地滑りを生み出していた様です。尚、直ぐ傍に駐車スペースが用意されているので、歩くのは 200 m 程度で済みます。

「赤穂義士四十七士像」は、丁度二つの礫層の境界部にずらりと並べられています。

義士像の前にはネットが貼られているので、ネットの上に顔を出している向背の部分を撮影してみました。成程、山麓の威徳神社の燈籠等で観察した石材ににています。

義士像の間にはこの様な家形墓塔も置かれていますが中央部は屋や色合いが異なります。燈籠の火袋と同じで風化し易い構造なので別の石材で補修したものかもしれません。

体を反り返してほぼ真上を見上げるとこんな感じです。崖上の樹木が怖いですね。

下部層の「森熊火山角礫岩部層」は火山性の礫が砂泥互層程には変わりませんが、整然と積み重なっています。

少し詳しく観てみました。ハンマーの先端部がスケール代りです。赤茶色と黒い火山岩礫が殆どですね。

層準によっては、2 mm 以下の砂粒ほどの黒色砂岩礫がぱらぱらと含まれている層も有ります。スコリアでもなさそうです。

二つの礫層の境界部の東側の状態です。上の層が下の地層を大きく削り込んでいるのが判ります。

崖はほぼ東西方向に伸びているので西側も同様です。赤く焼けている様な比較的細粒の部分と、焼けていない粒径もまちまちな礫岩部が見えます。

少し、駐車場側に戻った旧観音堂跡付近に石積みがありましたが、これは上部層の輝石安山岩の様でした。

2019年1月25日金曜日

秋間石と多胡石を訪ねて:安中市と旧吉井町 (2)

 秋間石の石切り場跡は比較的アクセスし易い「雉子ヶ尾峠」にあります。我々は少し北側の坂を下り道路のやや広い部分に車を置き、峠に近い切通しにある登山口から入りました。最初の部分は、只でさえ急傾斜の道路に、凄まじい量の落ち葉とその下に隠れたドングリや石ころで滑り易く難儀しました。付近は梅で有名らしく沢山の梅の木が植えられています。
 巨大な崩落崖のある風戸峠付近から石尊山・御殿山から御岳山・雉子ヶ峠・浅間山・天神山と、地質は少し変わりますが、西北西から東南東に連なる「秋間丘陵」が続きます。秋間層上部の「輝石安山岩,凝灰角礫岩,凝灰岩」からなる記号“Au”のすぐ下に、秋間層下部層の最上部に相当する「茶臼山溶結凝灰岩部層」の輝石安山岩溶結凝灰岩を採掘したものが「秋間石」です。この部分は1/5万「榛名山」の領域なので、興味のある方は当該地質図か、群馬県立自然史博物館から紹介されている「秋間層の溶結凝灰岩」を参照下さい。

山頂から少し西側に石切り場らしい場所に下るスペースがありますが、かなり危険な場所なので必ず複数での行動をすべきです。崖はこの様にナイフで切った様にスパッと切れています。群馬県立自然史博物館の文献では秋間石の最大の石切り場とあります。

切れた断崖を殆ど真横から見るとこんなに滑らかです。

崖から少し離れてみると滑らかさが良くお判り頂けると思います。表面を詳細に検討すると、付着物や変色の状態から人工的に切った面では無く断層の様です。断層面は複雑に交差しています。

表層に近くなると当然の事ながら割れ方は不規則になります。

所々に、この様にステージ状になった場所が有ります。足元はズリが堆積しており、落ち葉に隠れた穴や凹凸があり、しばしば転倒しそうになります。

ピンボケの笹を写したような画像ですが、尾根筋のギリギリの位置まで実は石を切っています。左手の斜面の上は幅1mも無い尾根です。右手にズリがあります。

ズリはこのような状態です。私のハンマーの柄の長さはざっと 32 cm です。

岩相は、芦野石に似ていると云えば多少は似ているかもしれませんが、溶結レンズが全く異なります。ぼやけた筋状のやや濃色のものが観察されます。

スケール無で手持ちで接写してみたものがこの画像です。石材は酸化状態に拠りもっと赤味を帯びたものも有る様です。

この場所で調査した範囲は、せいぜい東西方向で 800 m 程度の範囲です。GPSを持ったまま調査すると線が重なって訳が分からなくなるので途中でリュックとGPSは置いて行動します。峠の東側の364m峯の南側にも大きな石切り場跡が在るらしいのですが、ゴルフ場との境界部が切り立っていて探し出せませんでした。

2019年1月24日木曜日

秋間石と多胡石を訪ねて:安中市と旧吉井町 (1)

安中に「秋間石(鹿間石)」と云う名の溶結凝灰岩があり、これがどうやら芦野石に似ているらしいとの情報が有り、もし、これまで「芦野石」と思い込んでいたものが
「秋間石」であれば、流通経路の見直しが必要になるかもしれないと云う事で、併せて現高崎市の旧吉井町に産出していた美しい模様が有名な砂岩である「多胡石」の産地と併せて1月22-23日の二日間で調査する事になった。初日は、安中市秋間の秋間丘陵にある「御岳山:409m)」の稜線の南側にあるという石切り場を訪ねる事になり、その前に途中に社寺で石材を確認した。

御岳山から眺めた赤城山の雄姿。手前のなだらかな丘陵は榛名山の山裾。

同じく、榛名山の、これは二ツ岳方面だと思うのだが、久し振りに見るので自信が無い。

北野寺の墓地にずらりと並ぶ五輪塔。殆どが苔生していて石材の地肌は確認のしようが無い。僅かに「天保五甲午年二月(1834)」の文字が読めるものが有る。

隣接する神社の本殿基壇には、赤系統や茶系或いは脱色しているのか、白っぽい切石が使われている。これは地肌の観察が出来そうだ。

望遠レンズで確認した石材の中に含まれる礫。左上のやや大きなものは斜長石の斑晶が有る火山岩だが他のものは地衣類かもしれない。

参道脇の燈籠に含まれていた火山岩礫。礫の色・斑晶の有無・気泡の有無・亀裂の有無。大きさ・形状(角・円磨等)・艶(ガラス質等)は強力な判断材料になる。

燈籠の火袋の側面に、水平な構造が観察される。小さな礫や不明瞭な縞模様なども重要。

燈籠の火袋の一部の拡大。これも捕獲岩や流れ模様等の特徴を探す。

初日のコース。「雉子ヶ尾峠」の東側には大きな(危険な急峻な崖の)石切り場跡が観察される。節理というより、断層らしい破断面が様々な方角に発達していて大型石材の取得には苦労したのではないかと思う。峠の東側は藪の中の野茨の為に来ていたものが数か所破れてしまった。石尊山はどうやら試掘跡らしいものが多数あるが、石切り場の体を成していない。安中榛名駅の東側は、御殿山の「赤穂義士四十七士」の像が秋間石だと聞いて行ってみたのだが、崖に現われた礫層の方が興味を惹かれた場所だ。この場所の画像は次回。