2021年2月20日土曜日

凝灰岩質石材の旅:印西市松虫・松虫寺と松虫姫神社:No.122319-17

 所在地:国土地理院地図座標:35.789708,140.215013

印旛日本医大駅から徒歩:1.3 km

計画では、これまで石材を観察した1,430ヵ所の観察記録を、ランダムにご紹介するのだが、松虫塚と松虫寺・松虫姫神社は余りにも近いのと、似た様な石材や房総半島の石材も有るのでご紹介する事にした。

松虫寺は所謂「古刹」と言われる場所で、歴史的に貴重なものも多い様だ。従って、石材も様々なものが用いられているのだが、いかんせん時代が古いので所々、目立たぬように改修されている。改修されている部分と、改修されていないけれど表面の風化が進んでいる部分の観察をしていると、時に全く別の石材を思い浮かべる時が有る。砂礫を含む凝灰質礫岩の場合は、含まれる礫の種類を(色分けだけでも良いのだが)押さえてないとまちがいをおかしそうだ。松虫姫神社とその霊廟は寺の境内の一角を占めている。

燈籠の棹に用いられている下田市須崎半島付近に産出する石灰質の砂岩
建物には周囲に銚子の砂岩が多数使われている。青白いのとこの様に鉄錆色を呈すものが有る
境内も石碑と祠が祀られている
細粒の緑色凝灰岩に見えるが、たまたま細粒の部分が見えている、探せばやや粗粒の部分が見えてくる緑色凝灰岩
山門脇の石積みにも強いられたやや硬い角礫を含む緑色凝灰岩
北総鉄道の印旛日本医大駅から徒歩圏内に、先にご紹介した「松虫百庚申」が傍にある。

2021年2月19日金曜日

千葉県印西市萩原(松虫)・松虫百庚申;No.122319-16

 昭和40年(1965)に建立された井内石(稲井石・仙台石)の石碑に刻まれた「松虫百庚申之碑」に拠れば、『此處に奉祀する青面金剛尊像は区内三良谷にある一群の尊像と共に松虫百庚申と呼ばれるものでもともと区内長作に祀られていた享保十八(1733)年はじめて中尊が奉斎されたが文政十二(1829)年願主右兵衛氏等有志十七人によって更に百基の庚申塔を建立して松虫村の安泰を祈念し爾来子孫代代これを継承して今日に至ったが同所が県営ニュータウンの用地となるため此の地に移し祀られたものである茲に遷座を記念し関係者の名を刻銘してこの碑を建立する』とある。

松虫百庚申は、現在は松虫寺・松虫神社の西側往還の南北二ヵ所に分かれて(併せて百庚申))安置されており、北側には松虫姫所縁の乳母「杉自」を祀る「杉自塚」も置かれている。百庚申の建立時期は文政十二年。石材の全てを確認出来る状態では無いが、風化剥離の状態から、伊豆軟石(凝灰岩)が主体で、屋根掛の文字庚申塔等は安山岩が用いられている。

松虫百庚申の北側の風景
形状と青面金剛のお姿は様々。一度に百体を造るので、多くの石工がかかわられたのだと思う
南側の百庚申:文政十二丑(1829)の刻字が読める
南側は密集して置かれているので、右端以外の造立年代は確認出来ないが、石碑の記述の通り全て同一時期であろう。
ピンボケで申し訳ないが、正面から向き合って撮影出来無いのでご容赦願いたい。砂質に見えるが粒の大きなものが混じる。数は少ないが小豆色の火山岩片が混じる。石材産出地は伊豆半島南部の「上賀茂」を想定している。
所在地:国土地理院地図座標:35.791159,140.215373
印旛日本医大駅から徒歩:1.4 km 地図参照
尚、国土地理院地図座標の値は、そのままコピペをすればGoogle 或いは地理院地図web版で周辺地図を表示する事が出来る。但し、Google 地図ではほんの少しだけズレる事が有る。