2012年9月8日土曜日

ドレライト と ピクライト玄武岩 礫

正しくは顕微鏡画像では無いのだが、接写レンズで拡大した画像。室内での手持ち撮影で本物の色が出ていないようだが、このくらいのサイズならば岩質が判断出来るかなという画像。
左は斜長石の針状結晶がびっしりと出来ているドレライト。右はピクライト玄武岩のようだ。細かい気泡を方解石か沸石が満たしている。千葉県勝浦の海の博物館前の砂浜で採取。多分、10倍程度の表示になると思う。ウーン!晴天の屋外で撮影しないとやはり被写界深度が足りないか!

房州石・売津石 (18) 貝殻細片を含む石材

地質調査所の文献には瀧の谷の産出石材には「貝殻目」と記されていたので、或いは貝砂が含まれた石材に出会えるかもしれないと期待していたが、残念ながら大量に貝砂を含む石材には出会えなかった。この画像は採石場に残置されていた石材の表面を撮影したものだが、小さな白い斑点状に数個の貝殻片が見える程度である。

2012年9月7日金曜日

房州石・売津石 (17) 瀧の谷の採掘痕

勿論、石材の硬さにも拠るのでしょうが、採石場跡地の壁には、採掘の工具の痕跡が様々に残っています。これはトンネル部分の北側の壁面に残っていたものですが、刃物が二つの方向に入っています。少し、他の部分と異なる様なので撮影したものです。
房州石の採掘方法については、「金谷ストーンコミュニティー」のHPに詳しく解説されていますのでご覧下さい。この組織の責任者は房州石を採掘しておられた「芳家石材:よしけせきざい」を経営して来られた鈴木家の当主である鈴木裕士氏が務めておられます。例年秋口に「石のまちシンポジューム」を開催されており、小生も聴講させて頂いて居ます。
http://kanayastone.com/boushu_noko.html

2012年9月6日木曜日

房主石・売津石 (16) 瀧の谷丁場

トンネルの上部側面は、他の石切の部分と加工痕の方向が異なる。ツルハシを上から振るう事が出来ないので、必然的にこの様にならざるを得ない。狭い区間での作業はかなり大変なものだろうと想像が出来る。

2012年9月5日水曜日

房州石・売津石 (15) 瀧の谷丁場入口


灌漑用堰の少し北側にこの様な大きな四角形のトンネルがあります。
勿論、此処までの道は地元の「売津古道を復活させる会」の皆さんが整備して下さったものです。夏場は雑草がみるみる内に茂って来ます。しかも、猪が整備したばかりの路肩を崩してしまうので、道路整備は大変な作業です。
人物の背丈から高さ6m幅は2m程度でしょうか?この奥に、少年野球が出来る程の広さの丁場が広がっています。このトンネルの上部も採掘の跡がありますので、トンネルが先か、後か?判りませんがここを石材の搬出路に使っただろう事は間違いないでしょう。

2012年9月4日火曜日

房州石・売津石 (14) 車力


売津には実際に使用されていた車力が現存していました。この地域の石材組合の組合長を務められた岩野(岩埜)様のお宅に保存されていたものです。画像は、小生が瀧の谷丁場をご案内頂いた前日に、「売津古道を復活する会」の織本様が撮影された画像を頂戴したものです。
スキャナーを使ったので、やや画質が落ちていますが御容赦下さい。
車輪の径は約50cm、車力の外幅は役48cmでした。私は、分解され保管されている状態を拝見しました。
金谷には復元されたものがあります。下記も参照下さい。
http://iwatotsuchi.blogspot.jp/2011/11/c-3.html

2012年9月3日月曜日

房州石・売津石 (13) 断面

これは湿っていてボロボロでしたが、細かく破砕して内部の状況を見る為に割ったものです。
ハンマーの打撃面がスケール代わりです。
売津の丁場については、8月に再度「瀧の谷」丁場を巡りましたのでこの時の画像なども併せて後数枚ご案内する予定です。車力の現存する画像もご案内します。

2012年9月2日日曜日

房州石・売津石 (12) 崖の風化模様

スケールを入れる事が出来ませんでしたが、この地域の露頭の比較的一般的な表面の風化が作り出す景色です。勿論、露頭の方向に拠っても異なるのは言うまでもありません。